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「硝煙の海」談話室

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[1019] 音痴が見つけた生涯の趣味
From:菊池金雄 [/]

 何時の間にか卆寿に達しましたので己の生き様などを回想してみます。
東北は民謡の宝庫で、わが町内会でも皆さんのすばらしい唄声に接し、うらやましく思っています・・・と言うことは、私は生来音痴のため何一つ歌えないので、現職当時あれこれ趣味を物色して謡曲班に入門。退職後も同門グループと交わり、月一回の例会で朗吟を楽しんでいます。
グループの謡会は素謡、連吟、独吟、仕舞等ですが、素謡は謡本を見ながらの発声ですから初心者でも参加できるメリットがありますので、趣味を模索の向きは是非謡曲をはじめてみませんか。
謡曲は腹の底から大声で謡ので、気分爽快でストレスの発散効果もあるように思います。
 旧職場(第二管区海保)のOB謡曲グループは春秋に例会を塩竃市壱番館で開催していますが、京浜地区OBも参加し、レベルの高い発声はおおいに勉強になります。
謡曲は「能」の歌詞の一部分を謡本に収め、初版本から指導をうけ、四季ごとの発表会(お習い会)で、シテ ワキ ツレ等に役付けされ、日ごろの精進を披露して仲間の上達ぶりに刺激されることになります。
該して師匠は、腹から大声を出せ式の教え方で、なかなか朗吟会得に至らずのところ、最近、謡の基本発声法に接しましたので目下修練中ですが、徐々に効果があるようにおもいます。
 以下に「謡曲十徳」をご参考までに付記します。
現代病と云われる気を晴らし、ストレスを解消する。
肺機能を高め、咽喉を強める。
食欲を増進し、胃腸の働きを活発にする。
集中力を養い、脳の働きを増進する。(老化防止)
自ら礼節を身につけ良識を得る。
温故知新、文学、歴史を学び知識と新しき発想を得る。
孤独をも慰め、広く知己を得る。
美しき日本語に接すると共に発音は正確、美声となる。
芸術の深さを識り、感性に富んだ美を追求し表現する。
現実の世界を離れ、中世における演歌とも云える謡曲を吟ずる。

2018年03月12日 (月) 16時05分


[1018] 太平洋戦争と民間船・船員の犠牲
From:菊池金雄 [/]

 太平洋戦争(注1)勃発の直接の原因としては、わが国の中国侵略(日中戦争:1937年〜1945年)に対し、アメリカ、イギリスが中国からの撤兵を求め日本の経済封鎖をしたことに、日本が反発したことから端を発したと言われています。
 石油・資源確保の道を連合軍の経済封鎖により失ったわが国が開戦にあたってとった基本方針は、
 南方の資源地帯を占領し、そこから戦争遂行と国民生活に必要な石油、鉄鋼、非鉄金属、ゴム、ボーキサイトなどを確保するというものでした。広大な西太平洋全域に及んだ太平洋戦争の勝敗を左右するカギは、何と言っても「海上輸送の確保」でしたが、わが国海軍が、日露戦争以来伝統としてきた大艦巨砲主義の艦隊決戦を作戦の中心にし、資源確保のためにシーレーン(海上輸送路)
を通う輸送船の護衛には殆ど注意を払っていなかったということが敗因の原因の一つとして挙げられるようです。
一方、米国は、自国輸送船団護衛のために巡洋艦、駆逐艦、空母などからなる約200隻を超える艦船を準備するとともに、日本の民間商船攻撃のための潜水艦を西太平洋全域に配備し、日本のシーレーンの破壊を目論見ました。
  
日本の陸海軍は、軍事優先の見地から、作戦行動に参加した徴用船こそ海軍の艦船によって護衛しましたが、前線部隊の兵力・物資の補給のため、或いはわが国生活物資の補給のためのロジスティクス(注2)を重視しない結果、資源の輸送に当たった輸送船は当初単独輸送を強いられることもあったり、船団方式を取っていても弱体な護衛で、米軍の格好の餌食になりました。
 こうして戦争が進むにつれて、潜水艦の魚雷攻撃や空爆、触雷、砲撃などにより、民間商船等の多くが失われ、その補充を図るべく「戦時標準船」という資材・工程を簡略化して大量生産した船や、更には機帆船や漁船も駆り出されましたが、そのような船もまた、ほとんどが犠牲になりました。
 南方各地が激戦の中心となっていく中で、満蒙などに温存されていた陸軍の精鋭部隊は、輸送船で占領各地に輸送されていきました。その途中で輸送船が撃沈され、多くの軍人が戦わずして海の藻屑と消えていきました。そして非戦闘員ながら、戦闘地域に赴き、本土と前線部隊との間の海上輸送に命がけで取り組みながら、犠牲になった6万人に上る商船・機帆船や漁船の乗組員のことも忘れてはなりません。船員の損耗率(人口比の死亡率)は43%と、軍人の損耗率(陸軍20%、海軍16%)を上回り、又、15〜16歳といった年少船員の犠牲が多かったことも特筆すべきでしょう。
 以下にその喪失した民間船と乗組員(船員)の数を掲げ、謹んで哀悼の意を表したいと思います。
     太平洋戦争で失われた船(除・軍用船): 7,240隻
内  官・民一般汽船 :  3,575隻
機帆船 (機械と帆で走る船) : 2,070隻  
漁 船 : 1,595隻
死亡した 「乗組員」(船員) :  60,608名

(「戦没した船と海員の資料館」 http://www.jsu.or.jp/siryo/index.html 及び「日本殉職船員顕彰会」 http://www.kenshoukai.jp/より引用)

〔注〕
 1. 太平洋戦争:第二次世界大戦の一環として、日本が米・英・中国などの連合国と戦った戦争。
  アジア地域を舞台にした戦争も含めたということを明確化するため、「アジア・太平洋戦争」或いは「大東亜戦争」という呼称もあります。
 2. ロジスティクス:元々「兵站」(へいたん)と訳される戦争用語で、軍隊の後方にあって、武器・食糧・燃料・生活物資・医療などの後方支援・後方補給などの労務全般をさす言葉ですが、今日ではビジネス用語として転用され、モノの流れを、調達・生産・輸送・保管・流通・販売までの全体的な流れとして統合し、効率化するための戦略として捉える場合の概念になっています。

2018年03月06日 (火) 13時39分


[1017] 電波タイムズ(平成15年8月27日) 回顧録
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/ken_kikuchi3/kaneojp/02/0286e.html

2018年03月04日 (日) 16時24分


[1016] 魔のバシー海峡突破
From:菊池金雄 [/]

(小型タンカー昭豊丸の章抜粋)
約一ヵ月後の深夜、突然の指令で海軍の徴用船、和洋丸(約三千トン)で台湾の高雄まで便乗することになった。十二月一日午前十時半頃--和洋丸・萩川丸の二隻船団は、三隻の護衛艦に守られてマニラ港をあとにした。そして、翌日の午後三時頃--船団はサンフェルナンド港に仮泊--十二月三日朝、高雄向け抜錨した。敵は、日本の重要なシーレーンであるバシー海峡に多数の潜水艦を配備して虎視眈々と獲物をねらっているものと推測された。北上してまもなく、北よりの季節風が強まり--船団の速力は十ノット(時速十九Km)から三ノット(時速六Km)に落ちた。翌四日も荒天--各船は終日難航した。その夜和洋丸は、バシー海峡中央部にある、サブタング水道に辛うじてすべり込み仮泊した。しかし僚船萩川丸と護衛艦を見失なってしまった。終夜--僚船と護衛艦を待ったが遂に合流できず、荒天のためか、または敵襲で消えたものか分からなかった。十二月六日午前七時半--和洋丸船長は悲壮な決断。単独で魔のバシー海峡突破を強行しなければならなかった。ただ一つの頼みの綱--高雄海軍基地からの航空機による支援--接触できなかった。午後になって、北西の季節風がしだいに強まる--夕刻には風速二十メートル以上の暴風雨--速力が五ノット以下になった。敵潜側は、荒天下の攻撃は至難であったものか、幸運にも和洋丸は敵の網をくぐりぬけ--十二月七日午前十時無事高雄に入港することができた。 (海上平穏なとき、和洋丸船内に「浜辺の歌」のメロデーが流れる--以来この曲を耳にすると、魔のバシー海峡がまぶたに浮かぶ
追記;その後私たちは高雄で便船を待って12月31日 クライド丸に便乗。 パレンバン丸と船団を組み 翌年の1月8日夕刻無事門司に帰還しました。

2018年03月02日 (金) 18時39分


[1015] 回想;小型タンカー昭豊丸爆沈記
From:菊池金雄 [/]

  H26年 菊池金雄
この船は戦時急造の三十五日間で進水した戦時標準船(2ET型タンカー 八三五総トン)で、当初パレンバン〜シンガポール間の局地原油輸送に、二ヵ年間派遣の指令を受け、昭和十九年四月十日門司〜鹿児島〜基隆〜マニラ経由シンガポール向け護衛なしの単船で**航海に挑戦し 何とかマニラに無事到着。ところがマニラの暁部隊命で、マニラ〜ミリ間に変更。またまた単船で同年十月二十日頃ミリに到着。近海油槽船所属共同丸(1090総トン)と重油搭載し、二隻船団に陸軍護衛船がパラワン島まで護衛したが、なぜか護衛を打ち切りUターンした直後、昭豊丸は同月二十五日パラワン島北辺のスルー海で米哨戒機に襲われ至近弾だけで沈没。船員一 海兵一 計二名戦死。幸い同行の共同丸に救出され、近くのコロン陸軍基地に揚陸後〜マニラ〜高雄経由〜翌年一月八日門司に無事帰還することができた。
 共同丸はその後マニラ経由で帰国途次の翌年一月六日一三三〇リンガエン湾で、アメリカ第三八任務部隊搭載機の爆撃を受けて沈没し、船員10名が戦死との記録を入手。切に、昭豊丸乗員を救出した恩人各位のご冥福を念ずる。

回想
 齢90途の今日、往時を回顧すると、**航海の途次の戦没は遺憾ではあるが、若し、共同丸と同様マニラ方面に回航したなら何れ米機に襲撃されたかも知れず、むしろ波穏やかなスルー海での戦没は幸いのようにも思われる。
 反面、米潜水艦の跳梁する海域単独航海の陸軍指令は、万一戦没した場合には救出不可のため、まさに特攻的無謀な軍命だったと断じたい。



2018年02月08日 (木) 15時13分


[1014] 南極観測船“宗谷”の内部精密解剖図
From:菊池金雄 [/]

http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00032/contents/010.htm

2018年02月06日 (火) 16時52分


[1013] 土井全二郎著「戦時船員たちの墓場=消耗品となった補給路の旗手たち」
From:菊池金雄 [/]

2009年1月 光人社NF文庫より発売された、土井全二郎著「戦時船員たちの墓場=消耗品となった補給路の旗手たち」http://www.bk1.jp/product/03073427
第六章「ソ連軍機との戦い」に、終戦間際、北鮮北東岸海域でのソ連雷撃機からの追撃を奇跡的に逃れた向日丸(むかひまる)関係戦記の一部が収録されたことから、第82号海防艦関係者から次のようなコメントが寄せられました。

@森武艦長のご親戚から
同艦の慰霊碑に参拝したいので所在場所を教えて欲しい。
回答;呉の海軍軍墓地の一角にあります。

A私の祖父は第82号艦の生き残りの一人で、間もなく90歳になる が最近になってから当時の体験を話すようになった。

B同海防艦幹部ご遺族から
「ソ連軍機との戦い」の項を何度も読み返しました。ご苦労されました先人たちのことを勉強し直し、無用な戦争がこの地球の中から消えるようになってほしいものです。

2018年01月31日 (水) 16時12分


[1012] 貨物船改造タカー高瑞丸(7072総トン)戦時標準船E型タンカー昭豊丸(835総トン   短命悲し
From:菊池金雄 [/]

 タンカーの戦没補填のため貨物船高瑞丸(7072総トン)がS17年末佐世保海軍工廠でたった19日間でタンカーに改造。石油輸送に従事するもS18年10月沖縄近海で米潜に撃沈された。たまたま私は改造直後一航海だけで他船に転勤したので難を逃れた。
Web; ://www.geocities.jp/kaneojp/02/0221.html   ://www.geocities.jp/kaneojp/03/0323.html  

 注:この船の犠牲者は会社の記録ではゼロであるが、他の資料では船員三名戦死とあるので同船の生存者に確認したところ、海軍艦艇に救出され、沈没の件は軍極秘とて小人数毎に分宿させられたので犠牲者の有無は不祥とのことであった。念のため戦没船員顕彰会に問い合わせたところ「高瑞丸」関係の記録無しとのことなので、会社記録が正当かと思われる。

○陸軍徴用船、戦時標準船E型タンカー昭豊丸(835総トン・工期35日間) **航海成らず

 S19年4月私はこの船に乗組。単船でマニラ経由昭南島(シンガポール)に向かったが、途中マニラでボルネオのミリ〜マニラ間にルートが変更になり、ミリで重油を搭載。僚船共同丸とマニラ向け中にスルー海で昭豊丸が米機に爆沈されたが、幸い同航船共同丸に救助された。
当時、陸軍の護衛船がミリ〜スルー海のパラワン島北辺までは護衛したが、ここで護衛を打ち切ったことに疑問なきにしもあらず、あにはからんや米機の餌食とは解せないものがある。戦死者:海兵一名 船員一名の計二名である。 本船の沈没地点を南シナ海との説があるが米機側の誤認であることを証言する。
Web; ://www.geocities.jp/kaneojp/02/0232.html   ://www.geocities.jp/kaneojp/02/0233.html
 回顧;そもそも単船で仕向地への派遣指令は、万一戦没の際は僚船不在のため救出の手段が無いため、陸軍側の無謀な指令と言わざるを得ない。

昭豊丸と同型船の空爆写真 
 出展;  http://www1.mahoroba.ne.jp/~ple/t211.html

2018年01月16日 (火) 16時19分


[1009] レイテ沖海戦
From:菊池金雄 [/]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6

2018年01月08日 (月) 17時21分


[1007] 気管支ぜんそく顛末碌
From:菊池金雄 [/]

加齢とともにあちこち不調傾向は致し方がないのであるが、趣味の謡曲発声時に「ぜんそく」症状に悩み、某大病院で受診して投薬するも改善なく。たまたま河北新報主催の「気管支ぜんそく講演会」で画期的新薬情報をキャッチ。ためしに近所の薬局から入手して服用の結果、効能書き通り一週間後にピタリと改善したので、重い腰を上げて件の病院にこの薬を所望したところ・・・あなたは初期症状だからこの薬をださなかったと弁明。
 やっと処方箋を入手、薬局に出したら「所望の薬ではない」とのことで、主治医に電話確認の結果「書き間違い」(パソコンキーミス)とはナンセンス。ちなみにこの薬名は「アドエアです」。
 目下この薬のおかげで平常に余生消光はありがたい次第です。

2018年01月04日 (木) 16時32分







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