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「硝煙の海」読後感 |
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From:菊池金雄 [/]
平成14年6月6日 川崎 稔 半生紀以上も前の記憶を呼び起こしての資料収集は大変な作業だったとお察し申しあげますとともに,小生も当事の記憶が蘇り興味深く読み進みました。 第2章「緒戦の海」・・・・では偶然ですが高瑞丸が貨物船からタンカーに改造後の初航海時、佐世保からシンガポールまで私は同僚達と便乗していて、シンガポールのセレター軍港に入港した時の目の覚めるような風景・・・グリーンの芝生の丘にオレンジ色の屋根の白い家々が点在し、それを取り囲む朱色や藤色の花をつけた木々の美しさは日本では見たこともないものだったので・・・一同唖然としてその風景に見とれたのを思い出すます。 ジョホールの王宮見学は小生と若い社員2名が貴方達とご一緒したのです。極彩色の伊万里焼の大壷が何個も有ったのが印象的でした。 高瑞丸に便乗したのは,大同社員2名と作業員12名で「バリックパパン行きの社員2名が下船した・・・」は貴方の記憶違いで,彼ら2名は小生より1ヶ月位先にボルネオに向いました。 高瑞丸の渡辺礼儀船長はこの航海の約半年後,ボルネオのバリックパパンの大同の子会社「大和航運」の社長として赴任したと思います。 同社長や大和航運の社員達は終戦のときジャグルの中を死に物狂いでさまよって九死一生を得たのだそうです。 その中の一人「野中」氏は、今も四国―松山でお元気のようで、多分87−8歳の筈です。 また、第二大源丸も懐かしい船名です。小生が経理部整理課に勤務していたとき,航海収支計算書を船舶運営会に提出する係りをしていて、社員各自が何隻かの船を担当しました。近距離航路の船は一ヶ月に何航海もするのですが、第二大源丸もそんな船で、多分大連近くの秦皇島(しんのうとう)から石炭を積んできていたと思います。 近海航路の船を担当すると,処理件数が多くなり皆嫌がるので、小生は進んで引き受けたので、あの頃は張り切っていたなー・・・と大源丸の名をみると思い出します。 それから第六章「戦後の海」を加えられたのも、とても良かったと思います。それは戦時中の話だけでは、あまりにも暗すぎますから・・・・。 カルカッタで革靴を値切って買った話などとても面白い挿話でした。 次ページで支払いを委託されたK航海士が、概靴店のインド商人に感謝された話を読むと、誰に対しても誠実な菊池さんのお人柄が良く分かり・・・ほほえましく・・・いい話だなあーと嬉しく思うと同時に、K航海士さんも菊池さんにおとらぬ誠実な人なんだなー・・・いかにも海員らしいなー・・・と思い、昔の日本人はみなこうだったんだぞー・・・と周りの人達に言ってやりたい気分になりました。 以上「硝煙の海」の読後感を述べさせてもらいました。益々のご健勝を祈ります。
2017年11月24日 (金) 15時58分
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