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戦没船員の碑 |
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From:菊池金雄 [/]
2005-10-23 戦没船員の碑
太平洋戦争などで6万余人の船員(非戦闘民間人)が命を奪われた。彼らの犠牲の歴史が社会的に明らかにされ、詳細な調査がまとめられたには1969年(昭和44年)、その慰霊が初めて行われたのは1971年(昭和46年)のことだった。 ■陸・海軍徴用船乗組員の記録/菊池 金雄氏 「硝煙の海」「あとがき」より 横須賀市の観音崎公園内にある「戦没船員の碑」に祀られている、第二次大戦中に戦没した六万余人の船員仲間の無念を思うと、痛憤に堪えない。 この戦没者数は、陸海軍の戦死率より高率である。それは日本海軍が艦隊決戦一辺倒の偏った用兵思想から。シーレーン保護について極めて冷淡であったからで、このため裸同然の兵站輸送船が、敵の潜水艦や航空機の餌食となり、多くの船や船員がいたずらに犠牲を強いられたからである。その結果、逐次南方占領地からの戦略物資の還送が意のごとくならず、特に石油の枯渇が敗因のひとつであると、戦史でも指摘されている。 これら輸送船の苦難の真相は「慟哭の海」に詳しく述べられているが、私の乗った輸送船二隻の臨戦体験からも、軍の船舶保護のずさんな対応を指摘しておいた。 しかし、陸、海軍の軍人一人ひとりが祖国のため勇敢にその本分を尽くしたことに対し敬意を表することは当然であり、武運拙く戦死された多くの軍人のご冥福を念じてやまない。 〜中略〜 したがって、わが国は輸出入国との友好関係と、シーレーンの安全確保を、最優先の国是としなければならないことを、国民一人ひとりが肝に銘じ、二十一世紀は二度と国家・国民を破滅させるような、過去の非民主的な政治があってならないことを子孫への遺言としたい。 ▼建立までの経緯 報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため、昭和44年海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されました。 建立に必要な資金は、海運・水産関係をはじめ広く国民に募金を呼びかけ、1億4千万余円が集められました。
2017年11月11日 (土) 18時50分
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