[941] |
第82号海防艦戦没者慰霊碑 |
|
|
From:菊池金雄 [/]
昭47.8.10 建立 合祀者117柱 艦種艦名長さm幅m吃水m排水量t速力kt主要兵装 丁型第82号65.08.63.0590017.512cm高単×2, 昭和19年度計画, 建造所 三菱長崎造船所 昭19.9.6起工, 19.11.18進水, 19.12.31竣工, 海防艦に編入 昭19〜20 太平洋戦争。 内地,台湾及び日本海方面の海上護衛戦に従事, 20.8.10 朝鮮半島城津東北東でソ連機の雷撃を受け沈没 20.9.15 除籍 「第八十二号海防艦」は、偶数番号型海防艦として、昭和19年12月31日三菱長崎造船所で竣工、急速訓練ののち翌20年2月15日第一海防隊に編入された。 船団護衛任務につき南に北に奮戦し、終戦を目前にした7月5日、第二海防隊に編入され隠岐島に移動した。8月9日羅新、清津方面上空に猛火煙を望見、攻撃中の100余機視認、ソ連参戦の電報受信で、攻撃の飛行機はソ連機と判明した。 8月10日最後の避難船を護衛して南下中、ソ連雷撃機隊24機が来襲、次いで第二波が来襲、魚雷が後部に命中、瞬時に沈没した。93名が救助されたが、機関長田島長次郎大尉以下117名が終戦を目前にして散華した。 戦後、27年たって生存者の間で、共に戦って散華した戦友の英霊を鎮魂をする声があがり、この碑をお参りに来る人々と共に永遠の平和を願ってこの〃碑〃を建立し ページ187 第82号海防艦は昭和19年暮当時東南アジアから南北太平洋全域に拡大された戦線の随所において戦況極めて不利の状況に転じていた頃三菱長崎造船所で竣工直ちに第一線部隊に編入せられ就役したものである。 乗組総員215名、明けて昭和20年初頭から船団護衛対潜掃蕩作戦に従事し終戦直前の同年8月10日日本海方面において単艦作戦行勤中ソ連機の来襲を受け、これを多数撃墜せるも間断なき敵機の攻撃により遂に被雷爆沈117名将兵の尊い命を一瞬のうちに失ったのである。 爾来27年平和と繁栄の時代を迎えた今日生存者相寄り、かねて念頭の慰霊碑を此所ゆかり地に建立し心からなる祈りを捧げて戦没者の霊を慰め且つこの地を訪れる人々と共に永遠の平和を希うものである。(航海長 歴 義一郎)
2017年10月14日 (土) 17時06分
|