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「硝煙の海」談話室

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[873] 58年ぶり 感動の再会
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/ken_kikuchi3/kaneojp/01/01040202.html

2017年06月22日 (木) 18時17分


[872] 国立国会図書館の蔵書検索 菊池金雄著 硝煙の海
From:菊池金雄 [/]

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004190492-00

2017年06月20日 (火) 18時44分


[871] 小型タンカー 昭豊丸 爆沈記
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/ken_kikuchi3/kaneojp/02/0233.html

2017年06月20日 (火) 06時18分


[870] 国際海洋秩序と日本の歴史
From:菊池金雄 [/]

〜古代から大日本帝国の滅亡まで〜
黄川田仁志/松下政経塾第27期生
大日本帝国崩壊までの日本の海に関する歴史を見てみると、鎖国時代は例外として、日本は国際秩序に参加しつつも、従属することなく独自の立場をとってきた。日本が覇権国となるより、覇権国がつくる国際秩序に参加しながらも、日本の個性を生かして、独立自尊の気概をもって歩んでいくのがよい。
国際海洋秩序と日本の歴史
〜古代から大日本帝国の滅亡まで〜
黄川田仁志/松下政経塾第27期生
夢の終わり〜大日本帝国崩壊
 第一次世界大戦による欧州の混乱の隙をついて中国権益の強化・拡大を図るために、1915年、日本は中国に対して対華21カ条を要求した。1918年にはシベリア出兵がおこなわれた。シベリア出兵に参加した他の国は1920年に撤退したが、日本は1922年まで戦争を続けた。この対華21カ条とシベリア出兵延長により、諸外国は日本に対しての警戒心をさらに深めていった。列強諸国はこの日本の動きを牽制するために、1921年にワシントン会議が開かれ、日本は九カ国条約、四カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約を結ぶ破目になってしまった(ワシントン体制)。九カ国条約によって列強による中国権益の保護が図られ、四カ国条約(米、英、仏、日により締結)により日英同盟を破棄することになった。これにより日本は覇権国イギリスの国際(海洋)秩序から離脱することになってしまった。またワシントン海軍軍縮条約によって英米対日本の海軍戦力比を5対3にすることとなり、日本海軍増強に対する制限がなされた。第一次大戦によって、大英帝国の力が後退し、アメリカが台頭してくるのがこの時期である。中国権益をめぐって日米衝突の状況が整いつつあった。
 日本海軍はワシントン海軍軍縮条約に違反しないかたちで軍備を整えていき、1930年のロンドン海軍軍縮条約を迎えるころには、日本の海軍力は世界第3位になっていた。日本海軍増強に警戒心を抱く欧米諸国は、この条約により日本海軍力にさらなる制限を加えた。この条約をめぐって日本国内政治は混乱した(統帥権干犯の議論がおこる)。1935年に第2回会議が開かれたが、翌年に日本は会議から脱退した。そして海軍軍縮時代の幕が閉ざされた。このころすでに国際連盟を脱退しており、日本は国際政治の場で、完全に孤立することになった。そこからは箍が外れたように、日本は膨張していく。
 1935年に南進政策が海軍によって唱えられ、大東亜共栄圏構想の柱となっていった。1939年に海南島、新南群島(インドシナ)、汕頭、福州などを次々に占領していった。同年に欧州で第二次世界大戦が始まると、東南アジアから英仏勢力が撤退し、それに乗じて日本はより南進政策を推し進めた。1940年に第2次近衛文麿内閣は「基本国策要綱」の中で南方地域を自給圏と位置づけ、日本軍は南部仏印に進駐した。世界有数の海軍力をつけた日本は、ここに至ってアジアの国際秩序を打立てる野望をもったのであった。
 しかし、この意欲的な日本の帝国膨張をアメリカは黙って見ているわけにはいかなかった。英国とオランダとともに日本に対して、対日資産凍結や対日石油輸出禁止措置など(ABCD包囲網)をおこなって、日本の膨張を抑えようとした。このアメリカの対日措置に対して日本は交渉による打開策を模索するものの、第二次大戦に参戦したいアメリカの術にはまり、アメリカとの戦争に突入したのであった。
 1941年12月8日に、真珠湾攻撃により海戦の戦端が切られた。その後、日本海軍は太平洋において、バタビア海戦、セロイン海戦、珊瑚海海戦と戦線を拡大させていった。敗北への転機とされているミッドウェー海戦がおこなわれたのは1942年4月のことであった。しかし、これ以後日本海軍は負け続けたのではなく、第一次ソロモン海戦、南太平洋海戦、レンネル島沖海戦などで勝利した。しかし、戦争が長期化するにつれて、兵站が延び次第に疲弊していった。
 1944年になると日本海軍は総崩れになる。マリアナ沖海戦で制海権を喪失、レイテ湾海戦で連合艦隊が事実上壊滅した。1945年4月7日に戦艦大和が沖縄へ海上特攻に向かう途中に撃沈され、日本軍が誇った連合艦隊は完全に消滅した。そして1945年8月15日に敗戦を迎え、大日本帝国は崩壊した。
 日本は一見、大海洋国になったようであったが、実情は違っていた。明治以来、富国強兵を急ぎすぎたつけが回ってきたのであった。松村劭氏によると「制海権」とは「商圏を守る権力」と定義される。安定的な海上交通の利用を担保し、競争相手国(敵対国)の利用を排除する管制権力を備える必要がある。これを維持する手段は、「艦隊」と「基地」であるという。海軍力とは「艦隊+基地部隊の総和」なのである。しかしながら日本海軍はそのような設計がなされていなかった。日本海海戦圧勝の夢から覚めずに、大艦巨砲主義で、日本近海における艦隊決戦のために日本の艦隊は用意されていた。よって基地に対する考えや海上輸送に対する認識が乏しかった。日本の基地造営能力ははるかに劣っていたことが敗戦の原因の一つとされている。また海上輸送に対する重要性についても意識が低く、海上通商路に関する護衛思想がなかった。戦時中も商船隊に護衛をつけずに丸腰で航行させることもあった。その結果、陸軍20%や海軍16%という死亡率に比べて、戦争に借り出された船員の死亡率は2〜3倍の43%に昇り、海の藻屑と消えた。なんと約2人に1人という非常に高い割合で日本船員は命を落としたのであった。日本は急速に海軍を増強したが、海運・海軍思想が育っていなかった。アメリカやイギリスと比べると海洋国家としてあまりにも未熟であった。日本は国際(海洋)秩序をつくることができなった。

2017年06月19日 (月) 19時58分


[869] 音痴が見つけた生涯の趣味
From:菊池金雄 [/]

 何時の間にか卆寿に達しましたので己の生き様などを回想してみます。
東北は民謡の宝庫で、わが町内会でも皆さんのすばらしい唄声に接し、うらやましく思っています・・・と言うことは、私は生来音痴のため何一つ歌えないので、現職当時あれこれ趣味を物色して謡曲班に入門。退職後も同門グループと交わり、月一回の例会で朗吟を楽しんでいます。
グループの謡会は素謡、連吟、独吟、仕舞等ですが、素謡は謡本を見ながらの発声ですから初心者でも参加できるメリットがありますので、趣味を模索の向きは是非謡曲をはじめてみませんか。
謡曲は腹の底から大声で謡ので、気分爽快でストレスの発散効果もあるように思います。
 旧職場(第二管区海保)のOB謡曲グループは春秋に例会を塩竃市壱番館で開催していますが、京浜地区OBも参加し、レベルの高い発声はおおいに勉強になります。
謡曲は「能」の歌詞の一部分を謡本に収め、初版本から指導をうけ、四季ごとの発表会(お習い会)で、シテ ワキ ツレ等に役付けされ、日ごろの精進を披露して仲間の上達ぶりに刺激されることになります。
該して師匠は、腹から大声を出せ式の教え方で、なかなか朗吟会得に至らずのところ、最近、謡の基本発声法に接しましたので目下修練中ですが、徐々に効果があるようにおもいます。
 以下に「謡曲十徳」をご参考までに付記します。
現代病と云われる気を晴らし、ストレスを解消する。
肺機能を高め、咽喉を強める。
食欲を増進し、胃腸の働きを活発にする。
集中力を養い、脳の働きを増進する。(老化防止)
自ら礼節を身につけ良識を得る。
温故知新、文学、歴史を学び知識と新しき発想を得る。
孤独をも慰め、広く知己を得る。
美しき日本語に接すると共に発音は正確、美声となる。
芸術の深さを識り、感性に富んだ美を追求し表現する。
現実の世界を離れ、中世における演歌とも云える謡曲を吟ずる。

2017年06月19日 (月) 16時05分


[868] 大同海運物故者追悼法要
From:菊池金雄 [/]

大同海運物故者追悼法要に第八十二号海防艦代表者参列の意義
                    平成20年10月   菊池金雄
 拙著「硝煙の海」の資料収集過程で向日丸を護衛した海防艦が第82号海防艦で、森武艦長が、かつて海上保安庁に勤務していたことが判明したので様々追跡の結果、平成14年に物故されたが、同艦長の手記「葉隠れに生きる」があるとの情報が、元同艦隊員の横見氏から電話があった。色々情報交換して同艦長の手記を拝借のうえ、拙著の欠落文脈に参考にさせていただいた。また、毎年同艦の慰霊祭が、同艦沈没日の8月10日呉の海軍墓地内の同艦慰霊碑で挙行しているとのことなので、平成14年8月10日、同艦戦友とともに参列。幸い地元の中国新聞が取材して翌11日の記事に載ったこともあった。
 海防艦側から向日丸OBの集いがあったら是非当時のお礼を述べたい、との申し出があったが船会社には船単位の会合が無い旨を伝えたら、生き残り乗組員に会ってお礼したいとのことで、一度大阪在住の方を紹介したら重病で対面できなかった。(間もなく死去)
 しかるところ10月26日の大同海運物故者追悼法要のことを漏らしたら、是非参列して亡くなった西船長以下乗組員に救出謝意のことばを奉納したいとの申し出があった。
 大同海運は他社と合併を重ね、ジャパンライン〜ナビックスラインと変遷、現在は商船三井に吸収された。また、大同の社史には自社船の戦時喪失一覧表だけで個々の船の戦時記録が無いため、拙著の資料収集に難儀の末何とか上梓し、友人を介し大同OBに数冊配布しただけで大半の方の目に触れていないことと、参集するOBは向日丸とは無縁の方ばかりなので、生き証人のひとりとして配布資料を携行して馳せ参じ、自身の高齢柄、神戸の姪、京都の大学生の孫、熊本から次男のサポートを得て様々根回しのうえ歴史的な祭事を無事終えた訳である。
 ここに、横見氏のご参列、および大同海運OB各位並びに宮道幹事にお礼を申し上げるとともに、わざわざ東京から取材に駆けつけ、近刊「戦時船員たちの墓場」第六章に収録くださった土井全二郎先生にも感謝を申し上げたい。

          光人社NF文庫
戦時船員たちの墓場―消耗品となった  補給路の旗手たち 土井 全二郎【著】
光人社 (2009/01/13 出版) 価格: ¥689

2017年06月17日 (土) 15時55分


[866] 敗色のマニラ
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/ken_kikuchi3/kaneojp/02/0238.html

2017年06月16日 (金) 18時48分


[864] 特設 敷設艦 高栄丸戦記
From:菊池金雄 [/]

http://pico32.web.fc2.com/kansen/shisetsu/kouei.htm

2017年06月14日 (水) 14時12分


[863] 向日丸 戦記
From:菊池金雄 [/]

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/senbotusen/siryo-deta/mukahimaru.htm

2017年06月14日 (水) 06時40分


[862] 勧進帳 ( カンジンチョウ
From:菊池金雄 [/]

http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/673

2017年06月12日 (月) 15時50分







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