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商船の戦時記録僅少の事由 対遭難船員;陸海軍の処遇事例 |
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From:菊池金雄 [/]
海軍側の戦記が多いのに商船側のものが極めて少ないのはなぜであろうか? 言うまでもなく商船は民間会社で運航するもので、軍艦のように参謀等のスタッフは不在で、所定要員のみの配置のため、これが記録に余裕がなかったためと思慮される。
対遭難船員;陸海軍の処遇事例 レイテ作戦当時、マニラに一万人くらいの遭難船員がホテルやンションに収容され、中にはダンスホールで空き室待ちを余儀なくした。これが管理は陸軍の停泊場司令部で最小限の衣服も支給された。海軍徴用船の場合は、軍の雑務にかりだされたとのこと。 なぜこんなに大勢の遭難船員が集まったのかは、敵に制空権をうばわれたのにしゃにむにレイテ作戦に増援部隊を投入したため戦没船が続発したことと、日本への帰還させる便船が僅少であったからである。 一例だが散散苦労して門司に帰還したら、暁部隊から一流料亭を宿所にあてられ、長袖衣服(当時流行のカーキ色の国民服)が支給された。翌日の軍属解雇式で暁第2940部隊長が全帰還船員に木盃を配って謝辞を述べ、自宅までの切符も渡された。 他方、海軍徴用船の場合・・・徴用船の戦没は軍秘とて小人数ごとに分宿させられたとのこと。 これらのマニラで待機遭難船員中、各船の船長・機関長は軍の輸送機で空路帰国し、門司で自社船員を出迎えたケースもあるが、出迎えなかった例が多いのは会社側に帰還情報が無かったのではないかと思う。それは、私が帰郷途次、真っ黒な顔で会社に出向いても、誰一人から「ご苦労さん」の言葉が無かったとのことからも首肯できる。
2019年01月19日 (土) 15時25分
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