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少年海員の悲しい史実 |
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From:菊池金雄 [/]
戦時中の新聞広告には興味を引かれる。なかには「最新・除倦覚醒剤」としてのヒロポン(散剤・注射剤)が堂々と広告しているのなど、現在の人たちは驚くのではなかろうか。適応症として「過度の肉体及び精神活動時」「徹宵、夜間作業、その他睡気除去を必要とする時」「各種憂鬱症」などが挙げられている。戦場でも、銃後でも、ヒロポンは必要だったのである。かつての私も、今は犯罪とされる覚醒剤を服用した経験がある。
話はそれた。戦時中の新聞にこのような広告が見られる。「急げ、一億戦闘配置につけ、船を送れ、木造船を造れ、老も若きも造船報国に挺身応募せよ」。これは造船労働者募集の広告である。ところが船舶には乗組員が必要である。官立・私立普通海員養成所の生徒を大量に採用しなければならない。たとえば毎日新聞の1943年11月13日の朝刊掲載の広告の大要を記そう。「敵は船員をドシドシ作ってる。十月廿七日夜、大本営海軍報道部 富永少佐は其放送に『あらゆる戦力の前提条件は海運力つまり船と船員の増強にある』と叫んだ。今その船員が足らぬ、後日ではない、今だ。国家は船員に論功行賞を行う。また船員掖済援護会も出来た。満十四歳以上の青少年は直ぐにこの恩恵を受けよ。父兄指導者殊に婦人方の理解を期待す」。
横山氏は「僅かの教育で死闘の海に送り出された青少年たち」(第2章第1節)において、泉佐野の第一短期高等海員養成所と岸和田の官立普通海員養成所の実態を明らかにされた。このうち、普通海員養成所は小学校(国民学校)高等科終了以上だから、満14歳で応募資格がある。海軍特別年少兵、予科練、満蒙開拓青少年義勇軍、陸軍幼年学校など、そして日赤乙種救護看護婦養成に至るまで、14歳が狙い撃ちにされたといってよい。
いかに普通海員=下級船員とはいえ、3ヵ月や2ヵ月の訓練で一人前の船乗りが養成出来るはずはない。甲板掃除、マスト登り、石炭撤き。殴られながら雑役を覚えさせられた。
夜になると、部屋のあちこちからすすり泣く声が聞こえた。着衣にはシラミがびっしり。岸和田で養成された少年海員は5139人。彼らは粗製乱造の船に乗せられ、戦場の海に投入された。ほとんどはアメリカ軍の攻撃で海に沈められた。横山氏は、辛うじて生き残った少年海員出身者を探し出し、悲しい史実を浮かび上がらせた。
2015年03月16日 (月) 18時57分
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