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「硝煙の海」談話室

感想を残していただければ幸いです。匿名でも結構です。

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[364] 画「戦時徴用船の最後」について
From:井上二士夫 [/]

早速ですが、元ジャパンラインの機関士をしていました。戦時体験の後、大同海運で通信士をされていたと知りました。未だ「硝煙の海」は読んではいませんが、本年、横浜の日本丸パークの博物館で「戦時徴用船の最後」のタイトルで、大久保一郎氏の画が展示されていました。ご承知と思いますが、僭越ながら小生のHPで紹介しています。ご覧ください。http://manyoarakaruto.web.fc2.com/gaka-ookuboitiro.html

2012年12月03日 (月) 07時40分


[365] ご連絡のお礼
From:菊池金雄 [/]

ジャパンラインOBの由、ご連絡ありがとうございます。あなたのWEBはかねてから拝見し、接触いたしたいと思っていました。
 同社の東北OB会(マドロス会)には二回参加しまして、私の戦時体験談を開陳させていただきました。

2012年12月03日 (月) 10時18分


[363] 私たちの生活と資源〜海外依存の現状〜
From:菊池金雄 [/]


下記WEB参照
http://www.jbic.go.jp/ja/special/resource/001/index.html

2012年11月25日 (日) 18時44分


[362] 記録が語る商船隊の活躍
From:菊池金雄 [/]

下記WEBをご参照ください。

http://www.mol.co.jp/unabara/1208/1208_history.html

2012年11月21日 (水) 18時50分


[361] 終戦60年の節目に思う(要約)
From:菊池金雄 [/]

日本船主協会 常任理事 鰹、船三井 代表取締役社長 芦田昭充氏述

戦没船員のこと
日中戦争〜太平洋戦争の商船被害は、約2,400〜2,500隻・800万総トンという。民間の船が強制的に徴用されて国家の各種輸送船となったためだ。
開戦前の保有船舶を超える船舶(戦時中に造られた戦時標準船を含めて)を戦争で失った。
 何より心痛むのは「3万人におよぶ商船員が、魚雷や砲撃/爆撃で亡くなった」という事実(漁船・機帆船を含めると7,000隻/6万人)だ。ほとんどの商船が何の護衛もなく、日本近海や南方の海を航海中に沈められ、兵士の死亡率を超える4割もの船員が命を落とされた。
 戦後の混乱の中、ゼロから再出発された先達の方々の奮闘努力を思うと涙を禁じえない。海運業はその甲斐あって蘇り、幾重の谷をくぐり大波を越えて今、隆盛のときを迎えている。そのようなときにこそ、後に続く私たちは海運にまつわる史実を、「墓標」というべき水底に眠る船たちを、決して忘れてはならない。太平洋戦争終結60年目の年の瀬に、改めて誓おう。

2012年10月30日 (火) 16時06分


[359] 大量戦没者をだした船団
From:菊池 [/]

下記WEBをごらんください。

http://www.jsu.or.jp/siryo/sunk/

2012年08月22日 (水) 18時43分


[358] 太平洋戦争;喪失商船・戦没船員
From:菊池 [/]

出典;東京新聞2006.8.13(大図解)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6807.html

2012年06月25日 (月) 20時42分


[357] 「海なお深く」DVD情報
From:菊池 [/]

この度表記のDVDを入手しましたので、関連サイトをお知らせします。

http://oilunion.blog6.fc2.com/blog-entry-672.html

2012年06月16日 (土) 10時34分


[356] ありがとうございます。
From:あかべこ [/]

菊池様、本日は私のブログ記(http://ameblo.jp/torisunagimo/entry-11201960734.html)へのコメントありがとうございました。
本来でしたらリンクの許可を得るべきでしたが、無断でリンクを貼り付けてしまいました。申し訳ありませんでした。
「海なお深く」もう一度じっくりと読んでみたいと思います。
これから暑い季節となります。お体ご自愛ください。

2012年06月15日 (金) 19時02分


[354] 何年か前から、読み返しています
From:はま〜@湘南 [/]

はじめまして
何年か前から、非常に気になって何回も読み返しています。
私も40歳を過ぎ、やっと貴殿の書かれていることが理解できるようになってきました。
戦後60年以上経っても、我々の勉強が足りないのかキナ臭い話が飛んでいます。
国際化は進んで、私もアジア関連の仕事していますが、「舌戦」くらいにしときたいものです。

2012年05月27日 (日) 10時40分


[355] ご愛読お礼
From:菊池金雄 [/]

拙著へのコメント多謝です。旧聞ですが下記サイトも見てください。
NEWS GARAGE【KABA式会社OBAKA通信】
2005-10-23 戦没船員の碑
戦没船員の碑
 太平洋戦争などで6万余人の船員(非戦闘民間人)が命を奪われた。彼らの犠牲の歴史が社会的に明らかにされ、詳細な調査がまとめられたには1969年(昭和44年)、その慰霊が初めて行われたのは1971年(昭和46年)のことだった。 
■陸・海軍徴用船乗組員の記録/菊池 金雄氏
「あとがき」より
横須賀市の観音崎公園内にある「戦没船員の碑」に祀られている、第二次大戦中に戦没した六万余人の船員仲間の無念を思うと、痛憤に堪えない。
この戦没者数は、陸海軍の戦死率より高率である。それは日本海軍が艦隊決戦一辺倒の偏った用兵思想から。シーレーン保護について極めて冷淡であったからで、このため裸同然の兵站輸送船が、敵の潜水艦や航空機の餌食となり、多くの船や船員がいたずらに犠牲を強いられたからである。その結果、逐次南方占領地からの戦略物資の還送が意のごとくならず、特に石油の枯渇が敗因のひとつであると、戦史でも指摘されている。
これら輸送船の苦難の真相は「慟哭の海」に詳しく叙されているが、私の乗った輸送船二隻の臨戦体験からも、軍の船舶保護のずさんな対応を指摘しておいた。
しかし、陸、海軍の軍人一人ひとりが祖国のため勇敢にその本分を尽くしたことに対し敬意を表することは当然であり、武運拙く戦死された多くの軍人のご冥福を念じてやまない。

2012年05月28日 (月) 20時20分


[353] 日本海軍のシーレーン保護軽視顛末
From:菊池金雄 [/]

下記Web参照
http://www.geocities.jp/kaneojp/02/0265.html

2012年04月13日 (金) 09時24分







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