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最初の投稿から2年が経ってしまいました。構想が貧弱だったのかも知れません。デジカメのろ換え記最終稿です。 ------------------- スクリーン一杯に名瀬の陽射しがある。慶良間島のビーチの青い珊瑚礁が、東南植物楽園の木々の緑がある。 これだ! これをやろう! 沖縄旅行で撮影したスライドの映写会をT君達が機材を持ち込んで教室の空き時間に開催してくれた時のことである。 その場の空気感まで写し取ってしまうようなポジフィルム(スライド写真)に心が動いた。 新しいカメラを買ってスライド写真を撮ろうと思った。 間もなくC社から自動露出の一眼レフが発売された。自分のイニシャルと同じ製品名だった。 切手を同封して入手したカタログを暫くの間持ち歩いて飽かず眺めていた。
沖縄旅行で気にかかっていた人とは偶然にも帰りの船便が同じで、鹿児島での旅程の一日をグループ同士では あったが一緒に過ごすことができた。ただ写真部所属ということが心に影を落とした。それは高校時代に思いを募らせていた人もまた写真部であったからだ。東京に戻ってからは雪の日光へそして富士五湖へという2回のグループでのドライブと、デートという名のみの喫茶店での淡い一対一の時間を共有したのみであった。
新しい一眼レフを買うまでには一年を要した。O社の宝石を感じさせる小型軽量モデルを買おうとYカメラ店に行ったのだがM社のヘルパー(当時はメーカー派遣の販売補助員が常駐していた)から前時代的なデザインの機種を勧められて辟易して退散した。翌週S店で、憧れていたカタログの製品を買おうとしたが新製品のより小型軽量安価な機種を勧められそれを購入した。当時コンピュータ内蔵と華々しく宣伝されていたモデルだ。その時まで使っていたV6というカメラを下取りに出したがフィルター1枚分にしかならなかった。そして28mmの広角と135mmの望遠レンズにオートワインダーも揃えた。
級友から現像・引き伸ばし装置と器具一式を安く譲ってもらい、写真ライフを始めた。 大学のクラブの行事、就職してからは会社の夏祭りなどを徹夜で引き伸ばしたりもした。 カメラにはポジフィルムも入れスライド写真も多く撮った。 引伸機は全紙まで対応できる高級機に買い換えた。当時交際中であった人にも全紙に伸ばしたポートレイト写真を贈った。 2000年に引っ越した新居に念願の暗室を作った。少しして作業用の流しを誂え、古い食卓をバラし仕立て直して流しの台としたが部屋は未だに暗室としては使われていない。
世の中は既にデジタル写真の時代となっていたのだ。 遅ればせながらデジタル一眼レフは津軽・函館への家族旅行の為に2007年夏に購入した。 これが最後の家族旅行となってしまったのだが。
最初に手にした一眼レフからどれ程の時間が経ったのだろう。 PETRI V6f2、Canon AE-1、Nikon FE、FE(黒)、Canon EOS RT、EOS RS、EOS V1、 中古ではあるが往時のフラグシップ機 Canon F1、そしてカタログを持ち歩いていたCanon FE......
画像を記録する手段は化学現象を利用した銀塩フィルムから、電気的なデジタルメモリーに変わったけれど、 人間の内にある物理的には不完全な記録装置は、記憶内容の強調、欠落を繰り返しながらその持ち主と一緒に生き続けている。思い出そうとしても現れない、忘れたくとも消えないイメージと共に。
返信 2011年02月14日 (月) 01時47分
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