【広告】楽天市場からポイント最大11倍のお買い物マラソン開催

RELAY NOVEL
キャラ
世界観
ログ


題 名 メール
名 前 URL

文字色

削除キー (半角英数 8文字以内) クッキーの保存



[132] 賽は投げられた 投稿者:yoshi0 (2011年08月27日 (土) 02時44分)

明けない夜はない。明日は必ずやってくる――。
そんな安っぽい言葉は信じないタチだが、3人にとっては奇跡的に訪れた朝。
閉じかけた悪魔の手のひらをするりと抜け出し生き延びた。

3人の勇気と友情(笑)が生んだ奇跡とでも言うべきか。


だが、そんな英雄の凱旋を歓喜し賞賛する者は少ない。
「泣けるぜ」
ゼフィスが皮肉と哀愁を込めてぽつりと呟く。
非合法作戦とはそういう物だ。表ざたに祝われる事はない。
だからこそ身内(スペシャルフォース)の開いてくれた小さな宴は嬉しかった。
限界まで疲弊した身体でも、朝まで騒げるほどに――。




奇跡の朝から数日経った昼下がり。アンビシオン軍医療センター。
ゼフィスはカイと、ムヴァの見舞いに来ていた。

幸いムヴァの治療の甲斐あって、カイの回復は早く、
帰還した2日後には「寝たら治りましたー」とSFの宿舎に元気な顔を出してきた。
胸の弾痕は一生消えないが、本人は"男の勲章"と喜んで話した。

その話の流れで、ムヴァが命をかけてカイを救った事などをゼフィスが話すと、
「直接礼を言いたい」ということで、ムヴァの見舞いに足を運んだのだった。


真っ白な壁に囲まれた病棟を歩く。その間、何度も看護師や傷痍軍人を見た。
身体の半分を包帯で巻いている者。身体の一部を失った者。
血に染まりストレッチャーで慌しく処置室に運ばれる者。
一歩間違えれば立場は逆になっていただろう。
改めて、今自分達が五体満足でいられる事に奇跡を感じる。ムヴァへの感謝もより強く。

「直接礼を言いたい」とカイが話したとき、ゼフィスは「礼を言いたいのは俺の方だ」と思った。
帰還した際、ムヴァの様態はカイより悪かった。
腹部の傷が、重度の火傷となりムヴァの皮膚と神経を深く傷つけ、
さらに、カイの回復で生体エネルギーは極限まで枯渇しており、意識がいつ途切れてもおかしくなかった。

それが自分の身勝手が招いた結果ということをゼフィスは重々承知していた。
あの時、カイを救出にいった選択を間違ったとは思わない。
だが、自分の力不足が招いた結果ということは紛れもない事実で、
ゼフィスに自責の念を抱かせるには十分すぎる理由だった。
だからこそ礼を言いたい――。


そんなゼフィスの想いは、ムヴァの部屋の前に立つ無粋な黒服集団によって遮られる。
「面会はできない」
黒服の男が威圧的な態度でゼフィス達に言い放つ。
ゼフィスはその男達が参謀本部の人間ということはすぐにわかった。

ムヴァは参謀本部の中でも重要な人物で、
作戦参謀、情報参謀などいくつかの参謀を取りまとめる部門長としての役職についていたのだ。
中には内務監査部門もあり、職務の性質上、国内での接触は極力避けられる立場にあった。
今は事態が事態なだけに、ムヴァに恨みを抱く者が命を狙う危険もある。
面会謝絶もいた仕方なかった。
それはゼフィスもわかっているが、一言でも。そんな言葉を言わずにはいられない。
そんな願いさえもお役所軍人には通じるはずもない。
ただただ同じ言葉をオウムのように返されるだけだった。

どやどやと喧嘩腰で男につっかかっていくカイを、ゼフィスが後ろ襟を掴んで引き離す。
今、騒ぎを起こして内輪揉めするメリットはない。
手紙でも送ればいいさ。とカイをなだめゼフィスは踵を返した。

一緒に戦ったあの時間が、まるで夢だったかのよう。
悪夢とよべる時間だったが、あの時、間違いなくムヴァは仲間で、戦友(とも)だった。
そんな事実が陽炎のように揺らめき、現実という名の剣を目の前に突きつけられた気分だ。
この国に戻り、ゼフィス達とムヴァは"一兵士"と"参謀本部"に戻ってしまった。
その肩書きが、心まで離してしまうような気がする。
少し残念そうなカイの顔を見てゼフィスは胸が苦しくなった。


「それでいい」
黒服の男がいい気になって、帰ろうとする2人の背中に言い放つ。
その男を3分で便所の消臭ポットにしてから、ゼフィスとカイは病棟を後にした。

きっと元気でいるだろう。礼を言うのはまた今度でいい。またすぐに会える。

自分の心にそう言い聞かせ、2人は帰路についた。












アンビシオン作戦指令本部。
相手の顔が見えるか見えないかの薄暗い部屋で、賢人らしき人物達が円卓を囲んでいる。
円卓の中心には青白く立体映像が映し出され、その映像が変わるたびにポツリポツリと言葉を発し議論している。
映像はリシェス研究所で見た『秋水漆型』。
研究所で行われている他の研究、実験など、
リシェスの重要な情報が次々と映し出されていた。

「これを量産されると厄介だな…」

「やはり、あのタイミングで手を打ったのは正解だったな」

「ああ、研究所も半壊と聞いているしな」

「それよりも事後処理はどうする…追い討ちをかけて宣戦布告といくか」
この冗談交じりの発言から、賢人達の議論は徐々に熱を帯びていき、核心に近づく。
4国対立の構図。冷戦状態。宣戦布告。
宣戦布告は時期尚早というわけではない。
むしろこの緊張状態が今でも保たれているというのが不思議なぐらいだ。
水面下で行われている情報合戦を処理しながら、表では4国が平静を装う。
そんな状態が数年は続いている。

「仕掛けるならユスティティアだな」
男の1人がこう切り出した。周囲の数人が「?」という顔をする。

「今ユスティティアとフィエルテが国境付近で小競り合いしているという情報だ」
「どうやら、ユスティティアがスパイを匿っていたとか」

「ほほぅ」

「崩れやすいところから攻めるのがよかろう」

「面白い…」

興味の熱が移っていく。皆が承知だった事実。
4国がお互いに突きつけあった銃の引き金。
もはやその状態を保つには金と人がかかりすぎる。そろそろ潮時だと。
問題は、誰がその引き金を最初に引くか――。

「それならば準備せねばな 早急に…」
賢人達は蜘蛛の子を散らすように去っていき、
部屋には悪意と思惑に満ちた空気だけが残された。




明日は必ずやってくる――。それは儚き幻だと。
明日も咲いていたであろう命の花を、戦争という名の鬼風はさらっていく。


国同士の命のやり取りは、かり出される当人達が知らぬところで決まっていく。

名前 文字色 削除キー

[131] アソス・スト・マニキ 投稿者:cell (2011年08月13日 (土) 01時17分)

ああ・・・。

朝が来たか・・・。

朝日が、こんなにクソッタレなものに見えたのは初めてだ・・・。

「どうしたのかしら、貴方らしくない顔して。・・・あんなことの後だから、仕方ないとは思うけど」

わかってるなら、あまり触れないで欲しいもんだ。

俺みたいなのでも、堪えるものは堪える。

「私も、間に合わなかったのは残念だけど。それでも、最大被害は避けられたんじゃないかしら。あの中では十分よ。」

「んー・・・慰めるくらいなら、今やることやろうぜ。隊長や他の仲間もいるんだ。何とかなる。」

「・・・そうね。行きましょ」





もう、半日近く前になるのか。

いつものように朝食を作り。

買出しに出て。

昼食を作って。

夕食を作って。

そんなときにこいつが来て。

――正直、こいつの存在自体疑わしいものがあったが、それはもういい。

思えば、よく隊長も聞き入れてくれたものだ。

尤も、それを聞いた他の奴は話半分というか眉唾って感じだったが。

それでも、実際に火が上がったときには、動いてくれた奴が多かった。

あいつらなら、きっと、大丈夫だろう。

そう、願うしかない。





「それにしても、よく泊めてくれたわね、あの宿屋。何か裏がありそうじゃないかしら?」

「んー・・・まあ、大丈夫だろう」

「随分な自信なのね」

「・・・ん、無駄に年取ったわけじゃないからな」

ある種、幸運というか偶然というか。

昔、一緒の部隊にいた仲間が、偶々営んでいた宿屋に転がり込めたのだ。

俺のことは既に国内全域に知れ渡っている。

それを承知の上で俺を、俺たちをかくまってくれたのだ。

頭が上がらなくなりそうだ・・・。




「それはともかくとして。どうするのかしら、あなたは指名手配の身。情報を探すとしても、目立って動けない。あの宿屋のヒトみたいに、皆が皆協力的って訳でもないわよ」

そう。

宿屋の一軒はいわばイレギュラー。

一時的な隠れ蓑にしか過ぎず、事態は好転してはいない。

相変わらず俺には情報の枷がつけられたままだ。

「ん、なら単純だ。あんたに動いてもらう。雑作もないことだろう。俺は、目立たない方法で探す。」

「それが妥当ね。」

わかってて言ってやがった。

・・・まあ、いい。



「昼頃に一度宿屋に戻ろう。あの二人は、どこか不安だ。」

「同感ね。それじゃあ、また後で落ち合いましょう」



こうなった以上、やれることはやってやる。

ジョーカーが手元にある意味を分からせてやらないとな。

名前 文字色 削除キー

[130] 捜索 投稿者:はくろ (2011年08月13日 (土) 00時23分)
その日、ユスティティア辺境の村が焼き討ちにあった。
一日前まで人で賑わい、停戦中で時折小競り合いに巻き込まれることはあったものの平和だったあの村。
その面影はどこにも無く、そこには廃墟が広がっていた。

「酷い臭いですね……」

一度は山脈に逃げ出したフィエルテの騎士達は、鎮火した村へ足を踏み入れる。
隊員達から見てエーヴェルトの様子はいつもの冷静さを失い、傍から見ても焦っていた。
時刻は事件の数時間後。星がまたたく綺麗な星月夜であった。

村にあの謀反者の少女に繋がる証拠、遺体はまだあがっていない。
事件の混乱に興じて逃げ出したのだろう。
ユスティティアは広い、早く見つけなくてはまた任務をしくじることとなる。

その仮定と事実が彼を更に焦燥に駆らせる。もはや普段の冷静さは見る影も無い。
一度失敗している以上、もう失敗は許されない。
今この部隊長の地位を失えば、野望の実現は果てしなく遠くなり、実現が不可能になる可能性もある。

「何かあったか?村中をくまなく探せ、我々には犠牲者の処理をしている暇も義理もない。なんとしても証拠を……!」
「エーヴェルトー!何イラついてんだよ、クールになれよ!」
「隊長、そちらは危険です!お一人でいかれるのは……」

「うるさいっ!」

隊員達に激を飛ばしながら、エーヴェルトは焼け落ちた教会に一人足を踏み入れていく。
激を飛ばされたマルシェが彼に疑問を浮かべて首をかしげ、リトスは一人先走る彼を止めにかかるもそんなこともおかまいなしだ。


―――― 明らかに様子がおかしい。


隊員達は口々にそんな言葉を口ずさんでいた。


「……娘はどこへ、どこへ消えた……っ!?」

あの後、逃げる間際に教会へ走るユカリスらの姿をしかと見たのだ。
何かあるとしたら、ここにしかない。
エーヴェルトはそう確信すると、打ち果てた柱や、逃げ遅れた人の成れの果てを槍で掻き分けて焼け落ちた教会の内部を進む。

―――――――― 立ち去りなさい、早く、今すぐに

どこからか声も聞こえるが、今のエーヴェルトに周囲の声に耳立てる思考は既に働いていない。
忠告も無視して、教会の二階へ繋がる階段であった板に足をかける。

バキィッ!!!

「……くそっ!?」

板が抜けて、足が板の間に挟まる。そして、それに気を取られていたエーヴェルトは更なる危機に対応が遅れてしまった。

「あ………。」

自身の頭上すれすれまで迫る巨大な石像、瓦礫。
どこからこんなものが飛んできたのだろう。
そんなことを考える暇もないし、足が挟まっているので避けることも出来ない。

「こんな……ところで………」

絶望、異国のこんな地で何も出来ない能無しのまま自分は朽ちるのか。
エーヴェルトの手から槍が落ちる。
その時だった。
目の前で石像が崩れ、ガレキが切り払われる。一部直撃していた者も居たが。

「………え?」

くるりと後ろを振り返ると、そこには……。

「隊長、何があったか存じませんが一人で先走られては困ります」
「そうだよ!全員であの子を見つけて帰るんだからな!」
「そもそも隊を率いるあなたがこんなんでどうするんですか、ちゃんと部下を導いてくれないと参っちゃいますよ。私……あいてて」


「マルシェ……リトス……他の、みんな……も?」

振り向いた先には第8隊の面々が教会へ乗り込んできていたのだ。
ガレキが思い切り頭にぶつかったアコルデは頭をさすっていたが。

「ったく、水臭いんですよ」
「そんな状態で言うんじゃない……」

ぐっと仲間の手を貸して貰い、穴から足を引きずり出す。
「ありがとう。」と笑みをかけると、彼らは「どうしたんですか。全く」やら「もーっ」とやらの声が上がる。

「すまない……」

隊員達に深く頭をさげると、第八隊は教会の二階であった所に足を踏み入れていく。
彼らがそこで見たものは、焼けて錆びた4つの燭台。

それは何かの儀式の後のようだった。


名前 文字色 削除キー

[129] 猫、蛇、海女。フィエルテにて 投稿者:yuki (2011年08月12日 (金) 13時16分)


 フィエルテ首都、騎士団の詰所。宿舎も訓練場も備えてあるこの敷地内には、罪人を収容するための建物、いわゆる刑務所がある。
 騎士団ですら、担当でなければめったに寄り付かないその建物の階段を、レオンは下っていた。
 レオンはフィエルテのれっきとした騎士なのだが、段差を一歩降りるたびにまるで今から牢へつながれる罪人のように表情が沈んでいく。
 この階段を下りるのは、今日が初めてではないのだが。
 それでも、この陰鬱で薄暗い場所に来るのは気持ちのいいものではない。場所が場所なだけに、血生臭いにおいが漂っているように錯覚してしまう。

「あの……やっぱりパラケルスさんの執務室ですることはできないでしょうか?」

 気弱な溜め息とともに、レオンは再度自分と一緒に地下へ向かうシャドウに尋ねる。
 切実な表情で自分を見上げてくるレオンに、シャドウは申し訳なさそうな顔で静かに首を横に振った。

「何度も言うが、相手は他国のスパイで、しかも体格を変える奇妙な術を使うんだ。辛いかもしれねぇが、移動中や拷問中にうっかり逃げられでもしたら、それこそ大変なことになるだろ?」

 しゅんとレオンがうつむき、彼の犬耳……もとい、狼耳も垂れ下がる。
 しかし逆に、シャドウは気を引き締める。
 そう、相手は一筋縄ではいかないのだ。油断してはいけない。

 罪人はまず、地下牢に収容される。そして、必要があれば階下の拷問部屋で拷問も行われる。
 最近は、シャドウの執務室で拷問……というよりは尋問をすることも多かったのだが、今回の相手はわけが違う。
 密偵の情報から警戒に警戒を重ね、拷問部屋への移動もせず地下牢で直接拷問を行っているのだ。
 やがて薄暗い通路の先に物々しい鉄の扉が現れ、シャドウとレオンが立ち止まる。
 この先が牢の並ぶ区画だ。

「とは言っても、もうすることなんてねぇんだがな……」

 シャドウが持っていた鍵束の中から鍵を一つ選び、扉の鍵を開ける。レオンが取っ手に手をかけ、重苦しい音を立てて扉が開かれた。

「そーれ、いーち、にー、さーん」
「にゃあっ! ふにゃああっ! ひにゃああ!!」

 新しく現れた通路の奥から、どこか楽しそうな声と猫の鳴き声が響いてくる。
 さらに、何かが空を切っている鈍い音。
 それを聞いて、レオンは呆れたように溜息をついた。

「……ゼオフィクスさん、また意地悪して……」

 シャドウは何も言わずに苦笑し、魔力の灯でほの暗く照らされている通路を進む。
 目的とする牢屋は、明かりが漏れているのですぐわかる。
 逆に言うと、他の牢はどれも暗く、静かだった。

 他の牢は、誰もいないのだ。ここの牢に入れられた者は、最近ではすぐに処刑判決が下る。

「おう、おつかれ」

 通路の足音を聞きつけて、牢の鉄格子からゼオフィクスが顔をのぞかせた。
 気さくに手を上げてあいさつをするゼオフィクスに対し、レオンはぺこりと頭を下げると牢の中を覗き込んだ。

「交代に来ました。……何か進展、ありました?」
「いんや、なんにも。定時連絡もいつもどおりだ」
「そうみてぇだな、あの様子だと……」

 ゼオフィクスが肩をすくめて、持っていたトゲだらけの鉄棒で牢屋の隅を指す。
 窓もなく、そこかしこに拷問に使う器具が置かれている牢屋の隅には、小さな檻があった。その中で、2頭身サイズの猫の獣人が涙ながらに震えている。
 一週間前、密偵のワープによって捕まった、リシェスの間者ナームだ。
 小さく震えるナームを見て、レオンはいてもたってもいられず牢屋の中に入ってナームのそばに駆け寄る。
 ナームも気が優しいレオンには懐いているため、檻の中からレオンにすがりつく。

「連絡が入ったら離れてくれよ?」

 シャドウはレオンにそう言うだけで、牢屋に持ち込まれている椅子に腰かける。
 持っていた鉄棒を元通り床に置き、シャドウと入れ替わりになる形でゼオフィクスは牢屋を出て行った。

 言っておくが、ゼオフィクスはナームに何もしていない。彼は手ごろな拷問器具を持って、機嫌良く素振りをしていただけだ。
 しかし、ナームはそれでも悲鳴を上げて、めいいっぱい檻のすみっこへ逃げる。
 ものすごい臆病者。それが彼の性格であるらしかった。

 この牢屋へ連れられ、いざ拷問を始める時など、ナームは2頭身サイズのままで自分の出身、身分、仕事の内容などをペラペラと一気にしゃべりつくしてしまった。
 まだ拷問器具を並べてる途中だったというのに、だ。
 シャドウにしてみればこんなに楽な、そしてほのぼのとした拷問もなかった。
 しかしそれでも、泣き叫んでは震えるナームをこれ以上責めるのはレオンにとってはつらいことだった。

 情報を吐かせるのは簡単だった。
 ただ、ナームの雇い主もそれは予見していたらしく、ナームはフィエルテにとって有益な情報はほとんど与えられていなかった。

「……はい、わかっています」

 レオンが、シャドウに頷く。
 ナームは何も情報を持っていないリシェスの間者。しかし、まだリシェスとのつながりは保たれている。
 そこで参謀のシャドウが提案したのは、ナームが持つ通信機からリシェスの情報を得ようというものだった。
 もちろん、ナームが常に「異常なし」と報告すれば当然向こうは怪しむ。
 そのため、ナームが報告するフィエルテの情報も、真偽半々で報告させた。
 そして常に監視が付く中、ナームは「定時連絡」をやらされている。
 連絡するたびにナームの声は情けないほど震えているのだが、普段から彼はそうであったらしく、特に怪しまれている様子はなかった。

 それが、彼が一週間もこの牢で生かされている理由だった。

 泣きじゃくるナームを懸命になだめているレオンを眺めながら、王宮騎士団第零(サジタリウス)隊副隊長、シャドウは呟く。

「さて、どこから動くものかな……」








‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐






「以上で、国内の警備に関する報告は全てでございます」

 目の前の男、ギルベルトに恭しく礼をして、ライマーは報告を締めくくった。
 ギルベルトは、執務机の上で腕を組みながら、歳を重ねて皺が深く刻まれた目を静かに開く。

「では、引き続きリシェス国境の警備はそなた達第九(オフィウクス)隊に任せよう。他の部隊への指示は、議会を経てのち各自に下す」
「はっ」

 ライマーが顔を上げ、踵を返して部屋を出ようとする。
 その背中へ、ギルベルトの言葉が投げかけられた。

「戦力の方はどうだね?」

 ドアに手をかけたままライマーは立ち止まり、ギルベルトに背を向けたまま静かに答える。

「上々です。傭兵団とはいえ、レオーネ隊を半壊、アルアクラブ隊にもダメージを与えた実力は本物ですな。両部隊の騎士も、中々に粒揃いでありましたゆえ……」

 静かではあるが、滔々(とうとう)と話すその声は、どこか嬉々としていた。
 その様子に、そして聞かされた内容に、ギルベルトも目を細める。

「では、これからの貴殿の功績、大変期待しておるぞ」
「ありがたきお言葉にて……」

 上司の言葉に対し、ライマーは定型句を返すにとどまった。だが、部屋を出ようとはせず、振り向き、

「ああ、それと……」

 と、付け加えた。

「私の部隊に引き入れたい者がいるのですが、許可を願えませんでしょうか?」

 ライマーからの申し出に、是非もないといった様子で、ギルベルトは頷いた。

「いいだろう……。名がわかるなら、申せ」

 とたん、ライマーの口元が、にたりとした笑みを浮かべる。

「ナームグァン・ルムバヨン」

 獲物を狙う蛇が、舌なめずりをしたらこのような表情になるのかもしれなかった。







‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐






「ただいま帰りましたよーっと」

 ワープは海棠家の門をくぐって、再び門の外へ足を踏み出す。

「そンじゃ、いってきまーす」
「ちょっと待て」

 再び外へ出ようとしたワープの腕を、がっしりとした手がつかんで引き留める。 
 振り向いたワープのすぐ目の前に、不機嫌そうな顔をしたダイブがいた。
 最初から目の前にいたのに、ワープが声もかけずにスルーしようとしたせいだろうか。
 いや、そうではない。

「せっかく帰って来たってェのに、もっとゆっくり休んでけ」

 やり方も口調も粗野ではあるが、それがダイブなりの気遣いだった。
 ワープはそれを知っていて、自分をつかんでいるダイブの手をやんわりとほどく。

「こちらも忙しいンでね」
「また仕事か?」
「そーっスよ。今度は謀反集団プレアデスに生き残りがいたらしくってですね、そいつを捕まえてきます」

 密偵の仕事であればダイブに手を出すことはできない。これ以上ワープを引きとめておくような理由もないため、ダイブは引き下がるしかなかった。

「……無茶すんじゃねぇぞ?」
「はいはい。坊ちゃんも、この後の会議さぼっちゃだめですよ?」
「やらねぇよ! してぇけど!」

 ダイブの怒鳴り声を背に、ワープは海棠家を後にして城下町へと繰り出した。



名前 文字色 削除キー

[128] 三つ巴の逃走劇 投稿者:yuki (2011年08月08日 (月) 02時30分)

 エーヴェルトの号令で、ユカリスの周囲にいた騎士たちが一斉に動いた。
 ある者は盾を掲げ、ある者は走って炎を避け、各々が回避か防御行動に移る。
 ユカリスはというと、依然動けないままだ。
 それでも、迫りくる炎を前に目だけは意地でも閉じなかった。

「来るぞ!」

 意図せず、ユカリスはエーヴェルトの声で手の中の身分証を固く握りしめた。
 しかし次の瞬間、地面から土壁がせり出しユカリスの視界が遮られた。
 騎士の雄叫び、炎の赤、家の一部が崩れる音と木の焼ける臭いを乗せた熱風が一気に広場を包む。
 それらの全てを、ユカリスは壁の向こうに感じた。
 鎖の長さが許す範囲で、ユカリスはまだきしむ体を起こす。

「……ルティカ?」
「まだこのようなことをするとは……!」

 ユカリスの傍らで、ルティカが屈んで地面に手を当てていた。しかし彼はユカリスの呼びかけにも気付かず、苛烈なまでの殺気と憎悪を壁の向こう、炎の発生源へと向けていた。
 数秒遅れて、眠っていた村の住人たちも着の身着のままに半壊したり燃え盛る家から飛び出してくる。
 ほとんどの人がわけもわからないまま、逃げまどって教会へ殺到する。
 だが、教会の扉は固く閉ざされたまま、開くことはなかった。それどころか、窓や別の扉から数人の神父や僧兵が飛び出して逃げていく。
 教会が開かないことを知ると、パニックを起こした住人は広場にも駆け込んでくる。
 この村全体がさらなる地獄絵図に転じるのも、時間の問題だった。
 そんな中、土壁の向こうで意気揚々としたマルシェの声がする。

「行っくよー!」

 足音で、マルシェが軽々と土壁を蹴って跳躍したのがわかった。ユカリスが見たところ、マルシェは魔道師とも剣士とも思えないが、彼女も身一つでこの場をどうにかできるらしい。
 やがて阿鼻叫喚が生まれていく広場で、エーヴェルトが怒鳴る。まばらではあるが決して少なくない人の波と、轟音で、大声でないと声が届かないのだ。

「リトス、襲撃とはどういうことだ!?」
「わかりません、ですが、この村からは引き上げるべきです!」

 そもそも彼らはレインベリルの手引きで内密にこの国に入ったのだ。必要以上の交戦はするべきではないし、この村を護ったところで彼らにっメリットはなかった。
 広場を見渡し、部下が全員いるのを確認してエーヴェルトは声を張る。

「全員撤退だ! 国境を越えなくてもいい! 山の中へ走れ!」
「隊長、でもプレアデスの子は?」
「私が連れていく! 行け!」

 エーヴェルトの一声で、第八隊だけ各々取っていた行動を中断、あるいは流れるように次の行動で撤退に移る。
 バラバラに行動しているように見えて、全員鮮やかに身を翻して一様に山脈へと駆けだす。
 バキリと割れる音がして、ユカリスに巻きついていた鎖が外れた。

「立てるか?」

 こういう時は声が優しくなるルティカに、ユカリスは苛立ちを抑えることができなかった。
 差し出されたルティカの手を、今度は強くはたいてユカリスは立ち上がる。急いで背負っていた荷物袋の中に、握りしめて血の滲んだ身分証を突っ込んだ。
 いきなり動いたユカリスに、エーヴェルトが油断なく槍をつきつける。

「おい、変なまねをしたら……」
「わかってる」

 槍を胸元に向けられても、眉一つ動かさず無表情のまま、荷物を元通り背負ってユカリスは両手を上げた。
 エーヴェルトの槍を見た村人が悲鳴を上げ、来た道を引き返して逃げていく。
 何人かの村人がそれに続き、人の流れは更に複雑になった。

 躓き転ぶ人。
 怪我をした子供を抱えて走る人。
 誰かを探し、叫ぶ人。
 運悪く炎弾が直撃してしまい、火だるまのままやみくもに走る人。

 右往左往するそれらを横目に見ながら、エーヴェルトが槍で山脈へ向かうように促す。
 また怪しまれない程度にゆっくりと、山脈の方へ足を向けながらユカリスは周りを、第八隊を見回す。
 第八隊の他の面々は、皆人をかき分けるようにして山脈へと向かっていた。リトスだけは時折こちらを振り返っているが、距離からしてユカリスに彼の剣は届かない。
 ユカリスも彼らにならって、山脈へ歩きだす。その隣には、ルティカもついて歩く。

 その時、ひと際大きな悲鳴が上がった。
 悲鳴と絶叫と断末魔が響き渡る中、それらとは異質な鬨(とき)の声がこちらに迫ってくる。
 エーヴェルトがそちらに気を取られた一瞬を、ユカリスは逃さなかった。

「っ!」
「何っ!?」

 人の波が切れたタイミングで、ユカリスはルティカの手を取って再び教会の方へ駆けだした。

 人は、追い詰められたときに普段以上の力が出せる時がある。俗に言う、「火事場の馬鹿力」だ。
 ユカリスはその力を任意で引き出せた。

 予想だにしなかった力とタイミングで手を引かれ、転びそうになりながらもルティカも後に続いた。ルティカが転んでしまったらユカリスは諦めて手を離すつもりでいたが、どうやら彼も身軽であるらしい。
 しかし、転ばないようにするので精いっぱいらしく、ユカリス以上の腕力で引き留めたり、先ほどのような技も使ってこない。
 おぼろげにしか聞こえなかった鬨の声、その内容が2人の耳にも届いてくる。

「―――せっ! ……を、殺せ! 異教徒を殺せ! アスルを殺せ! <b>異教徒の村は燃やせ!!</b>」

 それは、この村の絶叫の間を縫っているようだった。その声とは対照的に、射抜くような怒声が上がる。

「隊長!!」

 リトスだ。
 しかしユカリスは振り返らない。姿勢を低くし、人の波にまぎれて走る。
 ほんのわずかに距離さえ取ってしまえば、彼らはユカリスに攻撃を仕掛けることができないのだ。もし魔法でも撃てば、他の住民を巻き込んでしまう。
 加えて、駆け寄ろうにも人をかき分けなければいけないので、すぐには追いつけない。

「くそっ……!」

 忌々しげなエーヴェルトの声が、ユカリスの耳に届いた。その間にも、身軽なユカリスとルティカは広場を脱し、教会へ向かう人の流れに乗る。

――このまま、教会まで行ければ……!

 ユカリスが少し身を起こした、その時だ。右肩に衝撃と激痛が走った。

「――ッ!?」
「やったー! 当たった―!!」

 思わず振り返ると、蹴りを放った後の体勢でガッツポーズを決めるマルシェの姿があった。
 彼女はどうやら、この人ごみの中を、何かを蹴り飛ばしてユカリスに当てたらしい。それも偶然。
 実際にマルシェが何の変哲もない小石を蹴り飛ばすところを見ていたエーヴェルトとリトスでさえ、目を疑った。
 前を見ずに走ってしまったため、ユカリスは逆行してくる青年とぶつかった。
 体格も力も負けてしまっているユカリスは、なすすべなく弾かれるように飛ばされ、転んだ。
 それでもルティカの手は離さなかった。

「っと、すまない、大丈夫か?」

 ぶつかった方の青年も立ち止まり、急いでユカリスの手を引いて立たせる。再びユカリスの右腕に激痛が走り、痺れた。さっきのマルシェの攻撃が骨にきてるらしい。
 それよりも、相手の正体にユカリスはわずかに眉をひそめた。ルティカも、かすかに驚愕した声を出す。

「貴公は……っ」
「アスル……?」

 いつも眠たそうだった顔には焦りが浮かんでいるが、無造作に伸びた金髪とがっしりとした体格を包む僧服は、間違いなくアスルだった。
 教会では少し会話を交わす程度だったが、互いの顔と名前は見知っている。
 なによりレインベリルに教会でお茶を淹れる時は、彼の厨房を借りていたのだ。
 アスルもぶつかった相手がユカリスであることに気付いた。

「キャット……いや、キャスか? 訊きたいことはわかるが、後にしてくれ」
「アスル急いで、もうすぐそこまで来てしまってる」

 ユカリスの知らない、黒髪に黒眼の女性が立ち止まったアスルを急かす。そしてユカリスの方へ目を向けると、「ごめんなさい」とまず最初に言った。

「教会には襲撃のことを知らせたんだけど、あいつら、自分達だけ立て籠ってアスルを締め出したのよ」
「あんたは……?」
「琴よ」

 琴の話を聞いて、ユカリスには少し状況が飲みこめてきた。
 教会の方を見ると、まだ扉は閉ざされたままだ。扉は木でできているのだが、頑丈であるらしくパニックを起こした人たちがどれだけ壊そうとしても叶わない。

「おーい! こっちこっちー!」

 そうしているうちに、ひょいひょいと人をかき分けてマルシェがユカリス達に向かってきた。
 マルシェの声はのんきであるのに、ユカリスにはちょっとした恐怖しか感じられない。
 黒髪の女性が再びアスルを急かし、アスルが教会へ向かう人の流れに逆らって進む。
 その視線の先にエーヴェルトを捉えているのを見て、ユカリスは慌てて止めた。

「待って、その人達は違う……! それよりも教会を開けてほしい」
「それは……」

 アスルが再び立ち止まり、振り返る。しかし、場違いなくらい陽気なマルシェの声がアスルの言葉をかき消す。
 マルシェも人の流れに乗ったため、こちらへ近づきやすくなったのだ。

「ねーねー、早くー! こんな危ないとこより、一緒にフィエルテに帰ろー!」

――どっちも同じだから!

 危うく喉まで出かかった本音を、ユカリスはぎりぎりのところで飲みこんだ。
 一回呼吸して、ユカリスは本音の代わりにいつもは出さない大声でマルシェに返した。

「ごめん、教会に忘れ物をしたから取りに行ってくる! 後でそっちに行くから!」

 今までのマルシェの言動からして、まさかとは思ったが、彼女からの返事はすぐだった。

「わかったー!」

 そして返事も単純だった。
 元気に手を振り、彼女は難なく人の流れを逆行して来た道を戻っていく。「そんなわけないだろうが!」とかエーヴェルトが叫んでいたが、彼もこれ以上村にとどまるのは危険だった。
 ユカリスは呆気にとられそうになったが、痺れと痛みの残る腕を無理やり動かしてアスルの腕もつかむ。

「お願い、一緒に教会へ」

 またいきなり走り出すことはできなかった。アスルはさすがに引っ張って行けないことはわかるし、今はルティカも立ち止まっている。
 そのルティカは、ユカリスの意図がわからず疑問符を頭の上に浮かべていそうな顔をしていた。
 それはアスルも琴も同じだった。

「まさか本当に忘れ物か?」

 そう訊いてきたのはルティカだ。もうなにも考えず、ユカリスは強く頷く。
 アスルと琴には悪いが、ユカリスはこの襲撃は2人だけでは片付かないと思っていた。
 同時に、この村を破壊し尽くすまで襲撃は止まないとも。
 しかし、自分1人ではもうこの村から逃げたところで、すぐにエーヴェルト達に捕まってしまう。

 ユカリス自身も不本意ではあったが、どの道も危険なら選択肢は一つしかなかった。

「教会の、2階の突き当たりの部屋……」
「あそこは物置のはずだがなぁ……」
「どうしても取りに行きたいの?」

 アスルは首を傾げるが、琴はユカリスと目線を合わせて聞いてくれた。再度、ユカリスが強く頷く。

「それじゃあ、ちょっと待っててね」

 そういうと、琴は溶けるようにユカリスの影に入った。
 驚いたユカリスが数歩下がるが、その直後教会の方で歓声と悲鳴と怒声が混ざり合った叫びが轟いた。
 どうやったのか、教会の扉が開いたのだ。

「――――ッ!!」

 当然、人はようやく開いた教会へ我先にと流れ込んでいく。ユカリスとルティカはもとより、アスルもその流れに逆らうことはできなかった。
 何度も人に押しつぶされそうになりながら、その都度ルティカやアスルに支えてもらいながら、ユカリスは教会へ、その講堂の隅にある階段を駆け上がる。
 ちらりとユカリスが階下を振り返ると、ある者は教会に残っていた神父や修道女に、ある者は土台や人を踏み越えて聖母像に泣きすがっていた。

 その光景はなんとも滑稽でいて、哀れだった。

 そして目的の部屋へ、ほとんどアスルに押し込まれるようにしてユカリスはたどりついた。

「ちょっと探してみたんだけど、なにもなかったわ」

 どうやって入ったのか、部屋には既に琴がいた。
 ユカリスも部屋を見渡してみる。部屋には使われていない燭台と、木箱が転がっていた。本当に、何の変哲もない倉庫だ。
 いや、やはり、聞こえてきた。


――4つの方角に火を置けば、道が現れるでしょう


「燭台に火をつけて。お願い、速く」

 すかさず燭台に飛びつき、それを部屋に置き直すユカリスに、ルティカもアスルも琴もしばし戸惑った。
 が、すぐにユカリスに急かされるままに手伝った。

 4つのろうそくに火がともされ、ユカリスが部屋の中央に戻る。
 刹那。
 部屋の床一面が、まばゆく光り出した。

「な……っ!?」
「これは……」

 4人が4人とも、慌てて部屋を出ようとするが、溢れた光が出口をかき消した。
 しだいに、床が、天井が、壁がわからなくなる。
 上下左右もわからなくなった空間で、ユカリスは一つだけ、こんなことが起こる魔法に思い当たった。

「転移魔法……?」

 ユカリスが答えを出したと同時に、眩しかった空間が一気に暗闇に変わり、どさりとどこかに体が投げ出された。
 どこにたどりついたのかわからぬまま、ユカリスの意識も闇の中に落ちていってしまった。






 次に目が覚めた時、ユカリスが真っ先に見たのは木目の天井だった。
 窓から差し込む日差しに目を細めながら、ユカリスはまだうまく回らない頭でベッドから起き上がる。

「レインベリル……?」
「……残念だが、レインベリル嬢はここにはいないな」
「ッ!」

 ばっと横を見ると、ルティカが窓際の椅子に座っていた。それでようやく鈍っていた思考も完全に覚醒する。
 レインベリルの家だと思っていた部屋も、よく見渡してみれば全然違う、宿屋の一室だった。
 アスルと琴はどこかへ行っているのか、部屋にはユカリスとルティカの二人だけだった。

「起きてくれてよかった。……あの部屋には転移魔法が仕込まれていたらしいな」

 ルティカを睨み続けながら、ユカリスは無言だった。それを催促と捉えたのか、ルティカは独り言のように話を続ける。

「ここは、首都だ。アスルと琴で、教会の方へ探りを入れてもらいに行っている」
「出て行って」

 ルティカから訊きたいことを聞くと、ユカリスは部屋が凍りつきそうなほど冷たい口調で言い放った。

「部屋から出て行って。逃げはしないから、しばらく1人にして」

 有無を言わさないユカリスの口調に、ルティカも何も言わず部屋を出て行った。
 1人きりになってから、ユカリスはベッドのわきに置かれていた自分の荷物を抱え上げて中身を確認した。

「――ッ!」

 少し動かそうとするだけで、右腕が酷く痛んだ。手当をされてはいるが、しばらく使えそうにないだろう。
 仕方がないので慣れない左手で、荷物をあさり、まずは身分証をベッドの上に叩きつけた。
 ルティカとレインベリルを信用できなくなった今、この身分証もどんな細工がされているかわからなかった。
 さらに袋の中身を出していき、持ち物がなくなっていないか、何か仕込まれていないかを見て行く。

「………?」

 ふと、ユカリスが手を止めた。袋の中に、自分が入れた覚えのない物がある。
 怪しい物ではない。が、ユカリスは戸惑いを隠せなかった。

 それは、ユカリスがレインベリルから借りていた見習い僧の服だった。

「なんで……」

 たたまれた服を広げると、ことりと何かが床に落ちた。楕円の数珠と鎖で繋がれた、ロザリオだった。
 拾い上げると、シンボルマークのアクセサリの裏にはレインベリルのサインが入っている。
 一見すると、教会の関係者なら誰もが持っているロザリオだ。
 しかし、その末端、教会のシンボルマークのアクセサリーの下にぶら下がる宝石を見て、ユカリスは息を飲んだ。

「……っ」

 木の実が鈴なりに成っているような意匠の、4つの宝石。
 それは、ユカリスがレインベリルのテーブルの上に置いたものだった。

「…………レイン、ベリル……」

 充分だ。ユカリスはそう思ってしまった。
 レインベリルが裏切り者で、このアクセサリーに何か細工がされていようと、構わないと思ってしまった。

 もし、彼女が裏切り者であるなら、あの場を無事に乗り切ることができるはずだ。


 わずかに震える手でロザリオを強く握りしめ、目を閉じるユカリスの姿は、敬謙な信者が祈りをささげる時のそれと同じだった。

「――……キっ――……ユキっ……」

 ただし口は、祈りではなく、片割れの名を呼び続けていたが――。

名前 文字色 削除キー

[127] 暁の女神 投稿者:泰紀 (2011年08月06日 (土) 22時55分)
突然だがヴィダスタには揺るがない信念のようなものを一つ、持っている。
それは『なにがあったって、絶対生きてるほうがマシ』というものだ。
命あってこその己であり、自ら死に向かうことは生を諦めるのと同じ。人生は良いことと悪いことの半分。
何より、自分を今までも、これからも支えてくれる『仲間』という存在がいる。
生を諦めるというのは、今まで自分を生かしてくれたそんな存在たちに対する裏切りである。

・・・あの男(ルオディス)にだって、そういう存在がいないわけないのだ。

彼の身を案じて一人眠れずに夜空を見上げていたヴィダスタは、遥か遠くに青白い彗星を見た。それは下から上へ向かって飛んでいるので本当は彗星ではないだろう。だが遠すぎてそれが一体何なのかは解らなかった。
夜空を高く高く飛翔するその青白い光に祈る。


「・・・ほんとに誰もおらんなら、うちがおるから・・・・」


例え彼が己の奪われたものを取り返せなくても、生きて欲しい。
強く、毅く、彼の無事を願った。














(・・・・寒い・・・・・)


そうぼんやりとムヴァは思っていた。機体の腕の中に抱かれているとはいえ、ムヴァとカイがいるのは紛れも無い外で、つぎはぎだらけの未完成の機体の手のすき間からは冷たい風がビュウビュウと吹き込んでくる。高度が高いなら尚更、空気は冷たかった。
風の音に混じって耳鳴りがする。遠くて、近いような。そして、眠気に似た気だるさが襲い掛かってくる。それに身を任せれば楽になれるんだろうなとは思ったが、本当にそうする気には到底ならなかった。

腹部の傷に目を落とす。傷口は焼け爛れ、ドス赤黒く固まっている。
ふるり、と弱く、背中に生えたダイヤモンドを散りばめた様な煌く半透明の羽根が震える。
この状態にならないと回復魔法は使えなかった。直接自分の生命力を流し込み、魔力で補完し、対象を回復させるという手段しかないのだが、それをカイに使った。
そうやってカイの傷をふさいだところで、ムヴァの魔力は底を尽きかけていた。それで自分の傷は殆ど手付かずの状態だ。完全に魔力が尽いてしまうと身体が強制的に眠りについてしまうので、それだけはなんとしても避けなければならなかった。

・・・そうしたら一生、眼を覚まさない気がしたから。

ふと、傷口に手を添える。すると胸元にしまっていたリシェス兵器研究所の地図に触れた。
ヴィダスタがくれたもの。自分達がここまで来られたのは紛れも無く彼女のおかげなのだ。

嘘をついた。騙してしまった。

と、ここまで思考をめぐらせてムヴァは我に帰る。血を流しすぎたせいだろうか、こんなことを思える自分がいるなんて。
生に執着している自分に、今更「騙してしまった」と感じる自分に、自嘲する。

・・・そう、これは気の迷いだ。弱っているせいだ。血を流しすぎて頭が回らないせいだ。自分の傷よりもカイのことを優先して回復をしたのも、きっと。


手に触れた地図を何気なくとりだす。自分の血で酷く穢れてしまっていた。
しかしそこでムヴァは以外なものを眼にすることになる。地図の裏側の特定の部分だけ、血をはじいて濡れていない部分があったのだ。魔法の蝋で、何かの模様が描かれている。
地図を広げてみる。己の血に染まったそこには、陣図が浮かび上がっていた。
何故今まで気付かなかったのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、その陣図に描かれた文字を一生懸命追う。陣図の説明のようだった。


「『転移行(てんいこう)』・・・・」















――― DANGER!! DANGER!! DANGER!! DANGER!! ―――


けたたましい警告音が鳴り響く。耳がおかしくなりそうだったが、そんなことは気にしていられない。
ゼフィスはがむしゃらに操縦桿を動かしていた。未完成の『秋水漆型』がリシェス研究所から動いて逃げられたのはもはや奇跡だ。けれど今、鉄の巨人兵はまた眠りにつこうとしている。当たり前といえば、当たり前だった。
けれど、ここまできたのだ。最後の最後にこの高さから墜落してこの機体とオジャンなんてのはまっぴらごめんだ。


「絶対ぇ諦めねーからな!!!」


自分自身に喝を入れるように叫んだ。しかし悲しいことに、機体の高度は下がり続け、機内の温度はどんどんと上昇してきているのである。
滝のように流れる汗で、視界が濁っていた。それでも、その剛い眼は明日を、国境の向こうのアンビシオンを真っ直ぐに見ている。

行け!飛べ!届け!

しかしその熱い思いとは裏腹に、操縦席のいたるところから電気が走り出した。警告音の速度も、機内の温度もどんどん上昇していく。下降しているのは高度と速度だけだ。
このまま機体を滑らせて不時着をしても良かったが、それだと腕の中に抱えているカイとムヴァの無事が保証できなかった。
アンビシオンまでの距離は、まだ遠くて。


バツンッ!!!


そんな音と共に、すべてが止まった。
警告の赤と音は消え、突然ゼフィスの身体を浮遊感が襲う。・・・落ちてゆく。
叫んでる暇など、無かった。



その時だった。



墜落を開始した『秋水漆型』を六方、立体の箱をつくるように陣図が展開する。
それでがくんと機体の墜落が一瞬だけ止まると陣図は消え、再び機体は落下し始めた。
風をきる音を鳴らし、誰もいない平原に墜落する。そうして爆発、炎上を起こして、鉄の巨人兵は崩れ落ちてゆく・・・・。



その様子を、遥か遠く、リシェスとアンビシオンの国境である山の高台から見守る影があった。
カイを抱えるゼフィスと、ムヴァだ。ここからはその様子は遠すぎて、遠くの空がわずかに赤く燃え上がるのを確認することしかできなかったが・・・・。


「・・・間一髪、ってところか」

「そのようですね・・・・」


三人は生きて帰ってきたのだ。あの墓場から。
あのとき展開した陣図は座標を示すとその場所へ転移するという効果のものだった。万が一危なくなったら、これに気付いたのなら、どうかこれを使って逃げて欲しいというメッセージと共に書かれていたそれは、ムヴァの身に何かあった際に見えるようになるものだった。
ヴィダスタの最後に手助けに気付いたムヴァは残った魔力を注ぎ急いでそれを展開し、ゼフィスとカイとともに、この国境まで一気に転移してきたのだった。
呆然と燃える赤を見ていると、リシェス側の空が白み始め、深い藍色と星が薄れていく。そうして赤も溶けてゆく。太陽が昇るのだ。


(暁の女神・・・)


そんな単語が脳裏をよぎる。
ヴィダスタは自分達をここまで、最後まで導いてくれたのだ。正に彼らにとっての幸運の女神となった。この景色を見ることができたのも、すべては彼女がもたらしてくれたもののおかげだろう。
・・・騙した事に変わりはないのだが、今はただ彼女に感謝したかった。
なんて都合が良いんだろう。またムヴァは自嘲する。


―・・・『こんな』自分が、何を望める?


そうして滲む朝焼けを見守るゼフィスが、背後から近づいてくる音を拾った。
アンビシオンの軍だ。迎えがきた。それをゼフィスは笑顔で出迎える。大きく、喜びを表すかのように手を振って。
それを見守りながら、ムヴァは眠りにつく。きっとカイも大丈夫だ。ここまできたなら後は医療専門機関に運んですぐにまともな治療を受けられる。






長い長い、夜が明けた。




名前 文字色 削除キー

[126] 絡み合う糸 投稿者:yuki (2011年08月06日 (土) 02時41分)

 深夜、見習い僧の服から動きやすい旅装束に着替え、ユカリスはすっかり冷めてしまったカップを手にうつむいていた。
 テーブルの向かいには、朝から買い物に付き合ってくれたルティカと、いましがた帰ってきたばかりのレインベリルがいる。
 明かりは、テーブルの中央に置かれた小さなろうそくが1つ。何か魔法的な細工がされているのだろう。ろうそくの大きさに反して、部屋の中は互いの表情がうかがえる程度に明るかった。
 しかしユカリスは、うつむいたままカップの水面に映る自分の顔ばかり見ていた。
 他の2人も、すっかり冷めてしまったお茶のカップを手に、沈黙していた。


 レインベリルが帰ってくるなり、ユカリスはぽつりぽつりと、自分の身に起こっていることと自分の目的を端的に話し始めた。
 自分はフィエルテ国民であること。
 しかし、フィエルテの騎士団から襲撃を受けたこと。
 村もおそらく潰されたが、双子の片割れであるユキは生きていること。
 もう一度国境を越え、ユキと再会したいこと。
 その全てを、機械的に、そしてどこか他人事のように、抑揚のない声でレインベリルとルティカに話した。
 タイミングを計るようにひと呼吸置いてから、ユカリスは口早に締めくくる。

「……今話したことは、私の独り言だと聞き流していい」

 ……でも、と、ユカリスはさらに小さな声でぽそぽそと続ける。

「……でも、もし、何か知恵があるなら、貸してほしい」





 そして、冒頭の沈黙である。
 レインベリルの説教すらないまま、重苦しい時間だけが過ぎていた。

「……ユカリス」

 ふぅ、と溜息をついて、レインベリルが切り出した。レインベリルが応えてくれたことに、ユカリスは顔を上げる。柄にもないと自分で思いながらも、ユカリスはそこに小さな光を見ている気分だった。
 しかし、目の前にあったレインベリルの顔は、わずかながらに沈んでいた。

「残念だけど、貸している余裕も時間もないの」
「えっ……」

 その言葉にユカリスは一瞬戸惑ったが、しかしすぐにある一つの可能性に思い至って窓の外を見た。
 ほぼ同時に、レインベリルがろうそくの明かりを消す。

「レインベリル嬢?」

 真っ暗になった部屋の中に、不思議そうなルティカの声がした。
 それをよそに、ユカリスは窓の外をにらむ。
 部屋が明るい時には気づかなかったが、すでに10人近い人影がこの家の周りにいる。この村は、これといった街灯がないため夜は全く人通りがなくなる。
 今外をうろついている連中が、村人じゃないことは明らかだった。

「まさか」

 迂闊だった。
 内心でユカリスは自分を呪った。
 たかが生き残りの小娘1人、相手にされないだろうと高を括ったのが間違いだった。
 慌てて立ち上がるユカリスのすぐ隣に、レインベリルの気配が近寄る。

「はい、これを忘れたら元も子もないでしょう?」

 暗がりの中、レインベリルがユカリスの荷物を差し出す。ユカリスがそれを肩にかける間にも、レインベリルは次の行動に移っていた。
 暗闇の中、レインベリルは迷いもつまずきもせずツカツカと台所の隅へ歩き、床下に設置された貯蔵庫の扉を静かに開ける。
 ユカリスとルティカも、足音を立てずに台所へ走った。

「ルティカさんは、ユカリスを連れてここから逃げて。国境の山脈に沿って進めば、今からでも村を出られるはずだから」
「承知した」
「でも……っ」

 「レインベリルは?」と聞こうとしたユカリスを、当のレインベリル本人の指が制した。

「大人の心配なんかしなくてもいいの。……私なら大丈夫だから、早く行きなさい」

 そう言って急かすレインベリルの表情は、月明かりからも影になっていて見えなかった。
 いつの間に移動したのか、貯蔵庫の中からルティカが顔を出す。

「さあ、こっちだ」

 ルティカに促され、ユカリスも貯蔵庫に降りた。再びレインベリルの顔を見ようと、ユカリスは顔を上げる。
 だが、そのユカリスの目の前で、貯蔵庫の扉は閉められた。





 貯蔵庫の戸を閉め、レインベリルは呟く。

「ほんと、ゲスな国……」

 別に、村にも国にも未練や愛着はこれっぽっちもないのだが、レインベリルは嘆息せずにはいられなかった。

――……まだバカ正直に家の周りにいるフィエルテの人達にも、一応知らせておきましょうか

 貯蔵庫の鍵が閉まっていることをもう一度確認し、レインベリルは自分用の杖を手に家を出た。
 村の向こうは、まだ深夜だというのに、空がわずかに明るくなっていた。
 それが何故なのか、レインベリルには見当がついていた。






「『壊』」
 ルティカの呪文に応じて、彼が手を当てていた土壁は瞬く間に割れて通路になった。
 もっとも、明かりも何もない暗闇の中なので、「通路ができたようだ」という気配があるだけなのだが。

「何の魔法?」

 先行するルティカに続き、彼の右袖をつかんで進みながらユカリスが問う。
 地面に属する技ではあるらしいが、ユカリスが今までに見たことも聞いたこともないものだ。なのに、ユカリスはこの技をどこかで見たことがある気がした。

「厳密に言うと魔法ではないが……それはまた今度話す機会があった時にしよう」
「……うん」

 新しく通路をつくりながら、ルティカが答える。2人が進むと、後方では土が何事もなかったかのように戻った。

「……っと、危うく渡しそびれるところだった」

 不意にルティカが立ち止まり、振りかえってユカリスに小さな板を手渡す。
 ひんやりとしてよく磨かれた、石の板だった。

「これは……?」
「レインベリル嬢に頼まれて、用意してきた。君の身分証だ」
「えっ」

 戸惑うユカリスをよそに、ルティカは再び通路をつくりながら進んでいく。
 そのルティカの袖に引かれながら、ユカリスは偽造された自分の身分証を、その板に特殊な魔法で刻まれた文字を、指でなぞっていた。

”キャス=アステル”

 身分証にはそう刻まれていた。
 ユカリスが思わず立ち止ったのとほぼ同時に、ルティカが立ち止まって天井を見上げた。そこも壁と変わらず、ただの土だ。

「この辺りか」

 ルティカの頭がぎりぎり届かない高さのその天井に、ルティカが触れる。

「待っ……」

 慌ててユカリスがその場にかがみ、ルティカが呪文を唱える。

「『壊』、『斥』」

 天井に大きくひびが入る嫌な音がし、次いで轟音とともに土砂が上へと吹き飛ばされる。
 大きく開いた穴から、月明かりが差し込んで2人を照らし出した。
 おそるおそる顔を上げるユカリスに、ルティカの手が差し出される。

「さすがに、落盤事故などという失敗はしないさ」

 ユカリスからはルティカの顔は見えなかったが、その声はどこか優しかった。





 ルティカの肩を借りて穴から地上に這い出たユカリスは、目の前の理解しがたい光景に愕然となった。
 レンガ造りや木造の家、大通りだけに敷かれた石畳、左手には月の光で青白くたたずむ教会。
 国境の山脈どころか、ユカリスが出たのは村の広場だった。

 そして、広場を取り囲み、各々の武器をユカリスに向ける、王宮騎士団の第八隊。――アルアクラブ隊。

「プレアデスの残党! 我らフィエルテに仇なした罪で、貴様を捕縛する!」

 ユカリスが忘れもしない、自分達を殺せと命じた男の声が、広場にこだまする。
 槍を構え、隊長のエーヴェルトがユカリスの前へ歩み出てくる。
 その足取りが、ユカリスにはひどくスローモーションになって見えた。エーヴェルトが一歩踏み出すごとに、ユカリスが次々浮かぶ自問に対する答えを恐ろしい速さで探しているからかもしれなかった。

 何故囲まれた?
 何故この場所が分かった?
 何故ここは村の外じゃない?

 なんにせよ、問うまでもなく答えはすでに出ていた。ただ、この一瞬に近い戸惑いがあだとなった。

「『壁』+『縛』=……」
「……ッ!!」

 背後で聞こえるルティカの詠唱に、我に返ったユカリスは振り向かずに左へ、一番近い広場の出口へ駆けだした。
 一拍遅れて、「逃がすな!」とエーヴェルトが怒鳴る声も聞こえる。ユカリスの目の前にいる騎士団員2人が、各々武器を構える。
 しかし、ルティカの方が速い。

「『鉄枷』」

 ユカリスの背後で地鳴りとともに土の壁が現れ、そこから4条の鎖が重苦しい音を立てて彼女に伸びる。
 広場の出口、その手前の騎士に到達することすらかなわず、ユカリスの走りが強制的に止められた。
 限界まで張り詰めた頑丈な鎖が、ユカリスの細い手足に強く食い込む。

「『壊』」

 間髪入れずに、今度は全身を壁に叩きつけられたような衝撃がユカリスを襲った。
 さらに鎖が強く引かれ、耐えきれずユカリスは後ろへ引き倒された。

「がはっ……ぁ……!」
「……すまないな、悪く思わないでくれ」

 苦しげに呻くユカリスを、鎖を手にしたルティカが見下ろしていた。
 鎖を引いたのは、ルティカだった。
 その口元がわずかに笑みを含んでいるのに気付き、ありったけの憎悪をこめて、ユカリスはルティカを睨んだ。
 しかし呼吸が整いきっていない今の状態では、叫ぶことまではできなかった。


――裏切り者!!!


 ユカリスの頭の中で、自分の悲鳴が何度も響いた。
 しかしすぐに浮かんだ別の疑問が、その悲鳴をかき消す。


――だとすれば、レインベリルは?


 地面から来る夜の冷えとは別に、腹の底からじわりと凍りつくような絶望感が、ユカリスを襲った。
 そんな中、どこか場違いに明るい声が降ってきた。

「おー! おじさんの技カッチョイイ! ねえ、これどうやんの!?」

 ユカリスを拘束する鎖の先、ルティカの技でできた土壁の上に、無邪気に座り込む女性がいた。
 以前討伐された時には見なかった人だ。おそらく、あのあと何人か補充されたのだろう。
 いきなり思いもよらなかった方向から褒められ、ルティカも戸惑って口ごもっていた。

「マルシェ、そんなところにいないで降りてきなさい!」
「えー、いいじゃん! もう勝負はついてるよ!」
「まぁ、確かにな」

 気がつけば、ユカリスと騎士団の距離は完全に縮まって、エーヴェルトも仰向けになったユカリスの視界に入る位置にいた。
 しかし、エーヴェルトはユカリスをよそに、マルシェを叱責する。
 同じくユカリスとの距離を詰めていた他の騎士たちは、そんな2人に苦笑したり、任務は終了したとばかりにエーヴェルトをなだめたり、マルシェと同じくルティカの手際の良さを褒めていたりした。
 こんな空気を、ユカリスはよく知っている。

「……プレアデス」

 ぽつりと呟いたユカリスの声は、第八隊の談笑と、それを咎めるエーヴェルトの叱責にかき消された。
 そのやり取りすらユカリスには懐かしくて、否が応でも死んでいったプレアデスの面々と、敵であるはずの第八隊の姿が重なる。

「っは、これであんたも終わりだなぁ!」

 しかしそれも、誰かに胸を踏みつけられて現実に引き戻された。

「……っ……!」
「アコルデ、よせ!」

 煮えたぎるような怒りをともしたアコルデの眼と、わずかに歯を食いしばって痛みに耐えるユカリスの眼が交錯する。
 慌てて制止に入るエーヴェルトや他の仲間を無視して、アコルデはさらに足に体重をかけ、抜き身の剣をユカリスの首筋に持っていく。

「おい、やりすぎだ!」
「こっちは5人殺されてるんですよ!?」

 見かねてエーヴェルトがアコルデの肩をつかむが、アコルデはその手を強く打ち払った。

「仲間が死んでんですよ!? それなのに、どれだけ出世したいんですか!」
「口が過ぎるぞアコルデ……!」

 エーヴェルトから殺気が放たれ、周囲の騎士達が慌ててアコルデをユカリスから引き離す。

「……げほっ……っ……」
「だいじょーぶ?」

 いつのまにか土壁から降りてきたマルシェが、圧迫から解放されて喘ぐユカリスを覗き込む。
 大丈夫なわけないだろうと思いつつも、ユカリスはかすかに頷いてしまった。
 それを見て「よし!」と笑顔を見せるマルシェの背後が、明るくなる。
 夜明けはまだまだ先のはずだ。異変に気付いた周囲の騎士達も、各々空を見上げてざわつく。

 朝焼けではない。誰もが確信した。
 同時に、それは炎の明かりであるとも。

「敵襲です!! この村はまもなく襲撃されます!!」

 慌ただしく広場に駆け込んでくる騎士達が報告する。彼らを含め、その場にいる全員が空を見上げて動きを止めた。


 炎の塊が、いくつもこちらへ、否、この村へ向けて降ってくる。


「総員散開! あの程度ならば、落ち着いて軌道をよく見れば避けられる! 初撃を回避し、体勢を立て直したら魔道師は障壁を張れ!!」

 一瞬で判断し、命令を飛ばすエーヴェルトの顔を、月よりも眩しい光が照らした。



名前 文字色 削除キー

[125] 新たな翼 投稿者:yoshi0 (2011年08月06日 (土) 01時56分)

"いい奴から先にぬもんさ"


昔の相棒の声がする。
かつていくつもの線を共にした戦友(とも)。
その自嘲気味に笑いかける声が聞こえた。


まったくその通りだ―――
俺はまた大切な仲間を――――



かつては、SF最強と言われたコンビだった。
二人が組めば、どんな困難な任務も完遂できた。
凄惨極まる絶望的状況でも、二人でなら乗り越えると信じることができた。
天を裂いて羽ばたく荒鷲となって飛翔できる気がした。

だが、片翼はもがれ、失われた。永遠に。
殉職者の大きな墓標に刻まれた相棒の名前を何度も見に来た。
ぽっかり空いた心の空洞を埋めるように何度も。

あの喪失感を味わいたくない。
だから今まで単独任務をこなしてきた。
リスクを負うのは一人で十分。
自分が生き残り、相棒がぬ。そんな経験は一度でいい。





そんな折、カイが入隊してきた。
初々しくて、馴れ馴れしくて、純粋で、馬鹿な奴。
生まれたばかりの赤ん坊のように、輝いた目。
すべてのモノをありのままに見通す純粋な心をもった奴。

そこには昔の相棒のような輝きがあった。

そんなカイとコンビを組むことが多くなったのは必然だった。
まだ成長途中のカイを見ながらの任務は楽しかった。
簡単な任務が多かったが、カイは着実に実力をつけていた。

心の空洞が埋まっていくのを感じた。あと少し。
かつての最強コンビ。新しい翼を得た荒鷲が、天翔する。

そんな気がした。




だが、違った。また、かけがえのない戦友(とも)を失った。
この苦しみを何度味わえばいい。
これが、かつての相棒を自分のせいでなせたことへの罰か。
それならばいっそ自分の命を。



俺は一体どうすればいい。教えてくれ――――ラウル。






「大丈夫、助かりますよ」

ムヴァの言葉に引き寄せら、現実に戻る。
"らしくないですよ"とでも言わんばかりに金色の瞳がこちらを見つめていた。

どうやら酷く不安がった顔をしていたようだ。
カイの傷口に手を当て、治癒魔法をかけながらこっちの気遣いまで。
こいつはどこまで――。


「わかってるよ カイはそんなんでぬタマじゃねぇ」

「フフ、そうですね」

「それよりお前の方はどうなんだ」

ゼフィスが腹部の傷に目を落とす。
傷口は焼け爛れ、ドス赤黒く固まっている。
この傷がどれだけの激痛をムヴァに与えているか、容易に想像できる。

全身から湧き上がる激痛と痺れを自慢のポーカーフェイスで押さえ込み、ムヴァは微笑む。





"おい!笑ってねぇで、なんかいい手考えろよ!ラウル!"

"うるせーバカ!手なんてねぇ!正面突破ッ!気合だ気合!"


あいつも笑っていた。どれだけ困難で絶望的な状況でも。
その笑みがどれほどの勇気をくれたか。
酷使され続け悲鳴を上げる身体に、一歩、さらに一歩と、踏み出す力を奇跡のようにくれた。

似ている―――。見た目も性格もまるで真逆だが、ムヴァとアイツは。



「ふぅ…。傷口は塞がりました。しかし血を流しすぎて、ショック状態になっています。後はカイさん次第ですね。」
ムヴァの手から放たれていた淡い光が消える。
カイの傷口は綺麗に塞がっていた。

「さて、後は―――」
立とうとするムヴァの身体が傾いた。思わずゼフィスが片腕を伸ばす。
ずしっと、ムヴァの全体重が腕にかかる。
「すみません」
搾り出すように声を出し、ムヴァはゼフィスに支えられながらゆっくりコンテナにもたれた。
いつもの精悍な顔は崩さないが、あきらかに焦燥の色が見えた。
ゼフィスはもどかしさに拳を握る。

「一応これを…」
ムヴァはポケットからUSBメモリを取り出し、ゼフィスの手のひらにしっかりと握らせた。

「おい、一体なんのつもりだ」

「3人で脱出します。でも、万が一のときは、ゼフィスさんだけでも脱出して下さい。だから、これを…」

「勝手な事言ってんじゃ」

「私の身体、思った以上にダメージが酷いようです。お願いしますね」
ムヴァの目は本物だった。さらに言葉を重ねようとするゼフィスを押しとどまらせた。

すべてを諦めているわけではない。すべてに絶望しているわけではない。
だが、状況は最悪だ。
セキュリティドアの向こうでは警備ロボの犇く音が聞こえる。
他に扉はない。動けない仲間が2人。
ムヴァの言葉はすべてにおいて正しい。
この状況で、3人で逃げ切ることなど不可能。
可能性のある1人が逃げ任務をやり遂げる。
それが今の時点での最善の策。だが、気に食わない。


「うるせー!お前を置いてく俺の身にもなれ!」
ムヴァがキョトンとした顔になる。逆ギレ?

ゼフィスもわかっている。わかりすぎるほどに。
ここまで来て、3人でぬのが美徳だとは到底言えない。
だが決して置いてはいけない。
ここですべてを捨ててしまったら、もう2度と前を見て生きてはいけない。
これが自分にとって、過去をやり直せる最後のチャンスだとわかっているから。


ゼフィスは部屋に鎮座し、沈黙を保つ鉄の巨人の前へ出る。
そして『秋水漆型』その胸部に飛び乗る。

「まさか」とムヴァはその光景を見守る。
とても動くようには見えない。隻腕状態で中の機械もむき出し。
まだいくつもの工具や配線が繋がったままになっている。

だが、ゼフィスは迷いなく半分むき出しの胸部のハッチを空け、乗る。
両腕の位置にある操縦桿を握る。
もちろん動かし方など知る由もない。
ただただ操縦桿握りを動かす。目の前にあるスイッチは全部押す。
滑稽な程に必に。


「ゼフィスさん…」
ムヴァがコンテナに背中を預けながら立ち上がる。
諦めの言葉を口にするのは少し躊躇ったが、とても見ていられなかった。
動かぬ鉄の塊の中で、必になっているゼフィスを。
「もう無理です そろそろセキュリティドアも破られます だから――」

「うるせぇ!」
怒声が部屋に響き渡る。

「俺は――――」
わかっている。無理なことは。
でも違う。これはできる、できないの話ではない。
任務を成功させる、させないの話ではない。
ただ、

「俺の仲間を!二度と!見捨てねぇんだよ!」


―――ヴン

漆型のカメラアイが赤く光る。
同時に、コアが起動。熱量を分散するため全身の排熱口が開き蒸気が噴出した。

「これは………」
鉄の巨人が起動する。床が振動しているのがムヴァに伝わる。
むき出しの機械に熱が通り光っている。
かすかに各関節が軋み動いている。
ゆっくりと、熱を持った巨人が息を吹き返した。

操縦席のパネルが光り、「DANGER」と赤く点滅する。
だが握った操縦桿を動かすことに迷いはなかった。

「動けぇぇぇぇぇえええ!!!!」


ズン!

一歩、ゼフィスに呼応するように足を出す。繋がれた配線は引きちぎれ床をのたうつ。
身体を前へ。壁と一体となった拘束具は壁ごと引きちぎられ、瓦礫が散乱する。



ズガァァアアン!

漆型がバランスを崩し床に顔面を強打する。だが、確かな手ごたえにゼフィスは微笑む。

「いける!」
この奇跡のような一挙動、一挙動。
操作方法など未だにわからない。だが理由なき確信に笑みせずにはいられなかった。

"ほらな 気合だよ気合"
昔の相棒の幻影。心の空洞から声が聞こえる。


「まさに…奇跡ですね」
ムヴァもその姿に思わず声を漏らした。

部屋が熱気に包まれる。
すべての元凶であった鉄の神は、救世主へと姿を変えた。
ムヴァとカイを漆型の腕がそっと包み込む。

血のように赤いカメラアイが天井を睨んだ。
その先には研究所の厚い天井を越えたさらに上。空を見据えていた。






「――飛べるよな……ラウル」


"当たり前ぇだろ!新しい翼を持ってるじゃねぇか――――それも2枚"



ゴァッ!


背中のロケットブースタが青白く光る。

「飛べぇぇぇええええええ!!!!」








リシェス研究所が揺れる。
振動は地下から、巨大な破壊音を響かせながら、地上へと接近する。

外に退避した研究員達がその光景を目撃する。
『秋水漆型』がリシェス研究所の天井をつきぬけ飛翔する姿を。

名前 文字色 削除キー

[123] 格納庫の激闘 投稿者:ももも (2011年08月04日 (木) 22時36分)
避難を呼び掛ける警報が研究所内にけたましく鳴り響く。
リシェス兵器開発研究所・「ドヴェルグ・サルタ工業」大型機兵課格納庫。
未だ未完成の鋼鉄の巨人が見下ろす中、ゼフィス、ムヴァ、カイと汀は対峙していた。
汀はアサルトライフルの銃口をムヴァに向け、ゼフィスはカイを抱えたままハンドガンの銃口を汀に向け、ムヴァもまた既に構築した術を汀に向けている。

単純に考えれば、数の上では2VS1。
いかに汀が戦闘ロボットとは言え、ゼフィスもムヴァも歴戦の猛者だ。負ける可能性は低い。
だが、彼我の戦力差を単純に比較することは出来ない。
ゼフィスとムヴァはカイと言う文字通りの「足手纏い」を擁しているのだ。
更に決定的なことに「スパイの墓場」とまで言われるリシェス兵器開発研究所の中であり、時間がたてばこの格納庫にも警備兵達が続々と駆け付けて来るだけでなく、退路を立つ手筈が整えられていき脱出が困難なものになっていくことになる。
ゼフィス達は生きてこの研究所を脱出し、アンビシオンへ『秋水漆型』のデータを届けなければならないが、汀は最悪封鎖の手筈が整えられるまで時間稼ぎをするだけでいい。


―――最早絶対絶命、風前の灯。


そんなことは他ならぬゼフィスとムヴァが一番よくわかっていた。
だが、彼らの顔にも目からは恐れも後悔も感じられない。

「目の前の敵を打ち倒し、生きて此処から脱出する」

そんな決意に満ち満ちている。


「理解不能です」


油断なく構えたまま、汀の口から言葉が漏れる。


「貴方がたの目的が「秋水漆型」の資料データであることは予測できます。ならば何故、負傷者を放置して逃げなかったのですか」


任務の達成を至上とするならば、データを入手した以上可及的速やかに研究所から脱出せねばならない。
時間をかければかけるほど脱出の難易度は跳ね上がっていく。
そんなことは百も承知だろうに何故役立たずを助ける為に戻って来たのか、と。
仲間意識、友情、愛、未練。
それらの存在は汀も知識として知ってはいたが、任務より優先すべきものではないということもまた知っている。
目の前の男達の身のこなしや戦闘能力、そしてこのリシェス兵器開発研究所に潜入する技量からして間違いなくプロであることもわかる。
だからこそ、負傷者を捨て置いてでも脱出するという最良の道を捨てるはずがないのに。
汀の疑念に、カイを抱えたゼフィスが答える。


「ポンコツには、わかんねえだろうぜ!!」


返答と銃声はほぼ同時だった。
汀の眼球部分を狙って超高速で銃弾が迫る。
だが、人間とは比較にならぬ反射能力を持つ汀はそれを頭を傾けるだけで避け、反撃するべくゼフィスへと銃口を向ける――――よりも前に左側面からムヴァの放った無数の輝く鳥が飛来する。
ゼフィスへの銃撃を一旦断念し、後ろへ飛び退って鳥達を避け、間髪いれず今度こそゼフィスに照準を合わせる。
ゼフィスもまたカイを抱えたまま格納庫の奥へと不規則に曲がりながら駆け出している。
距離と速度から逆算し、汀が弾きだした命中率は65%―――――汀の手にしたアサルトライフルが雄叫びをあげて銃弾が放たれ、それらがゼフィスとカイを肉塊に変えるべく迫る。
機械である汀ならば兎も角、基本はただの人間でしかないゼフィスには成す術もない。
だが、銃撃を先読みしていたかのようなゼフィスの足さばきはカイにも自分自身にも銃弾を当たらせることはない。
その隙を突いて再びムヴァの操る魔法の斑蜘蛛が汀を捕縛すべく糸を浴びせかける。
それを察知した汀は脚部のフルパワーを瞬時に引き出し、爆発的な加速でその場を離脱してゼフィスへと迫り、糸は直前まで汀がいた何もない床に着弾した。
そしてその爆発的な加速の中でさえ寸分も違わぬ精密さでアサルトライフルの銃口をゼフィスに向け、銃弾を放つ。
しかしゼフィスはその直前にカイを抱えたまま身体を投げ出し、保管されていたコンテナの影へと逃げ込むことに成功する。


「1VS1のつもりですか?」


そこを狙っていたかのように、背後から麗しい男の声が聞こえる。
言われるまでもなく警戒を怠っていなかった汀はもう一人の敵であるムヴァへと振り返りつつ、迫る攻撃――緑に輝く無数の鳥達を確認し、銃撃でそれらをまとめて薙ぎ払う。
そして改めて術者であるムヴァを抹殺せんと側面へと駆けだすムヴァに銃口を向けるが無数の鳥に紛れ、更に床を這うような低姿勢で銃弾を避けつつ急速接近していたムヴァの黒豹の一撃がそれを許さない。
その爪による剣呑な一撃を辛くも避け、黒豹を撃ち抜かんとするが黒豹は恐るべき速度で汀の斜め後方に周り彼女の後頭部を目掛けて一閃する。
それが届く前に汀は再び全速力で駆けだして黒豹からの距離を開け、更にそのまま壁に辿り着くとその機械故の超人的脚力でもって道具も使わずに、壁を高速で駆けあがっていく。
だが機械と魔法、という違いはあれど黒豹もまた常識に収まる存在で在る筈もなく、獲物である汀を追って同じく何の苦もなく壁を駆けあがり駆け抜けて行く。
だがそれこそが汀の狙いであった。黒豹から充分な距離をとることに成功した汀は一瞬だけ追ってくる黒豹を視界に納め、間髪いれずに黒豹へと銃撃を放つ。
銃撃を浴びた黒豹は呆気なく霧散し、汀は整備用に設置された金網の足場に着地し、コンテナの影に隠れたゼフィス、そこからやや離れた位置に立つムヴァを見下ろした。


「疾(はや)い、ですね…」


ムヴァの呟くような言葉には様々な意味が込められていた。
単純な機動力だけでなく、銃撃すら見切る人間で言うところの反射神経、攻撃が不可能と見るや回避に専念し、的確な対処方法をとる判断。
これら全てを恐るべき速度でやってのける敵を相手に、さしものムヴァも眉を顰めざるを得ず、ゼフィスも思わず舌打ちする。
対する汀は苦い顔で此方を見上げる敵を能面の如き無表情で見下ろし、口を開いた。


「貴方達は最早『袋の鼠』です。程なく警備の兵やロボットがこの部屋にも入ってきます」


――最早お前達はここから生きて出られることはできない、お前達は此処でぬ。
その事実を侵入者たちに改めて突き付ける。


「心配すんな、生きてここから脱出してやるよ。まあ見てな」


その言葉をゼフィスはコンテナの陰から一笑に付す。
そもそも、「リシェス兵器開発研究所」への潜入自体が絶望的なのだ。
今更状況が絶望的になったところで大した問題ではない。
ただ、障害全てを乗り越えて目的の資料データを手に凱旋すればいいだけだ。


「…例え私を倒したところで、重傷人を抱えたまま逃げ切れると本気で思っているのですか?」

「おう!帰ったら引退して結婚する予定だからな!アツアツのピッツァも食いてえ! ナラの木の薪で焼いた故郷の本物のマルガリータだ! ボルチーニ茸ものっけてもらおう!」

「そんなバレバレの嘘はやめてくださいな。しかもピザなんていつでも食べられるでしょう」

「コラ、ツッコむなよ!ここはノれよ!!」


そんなゼフィスとムヴァの余裕ぶりとは対照的に、圧倒的優位にな立場にいるはずの汀には余裕の色はない。
むしろ、この状況下に置いても余裕を崩さない2人を理解できず微かに戸惑いを感じつつあった。


「あんま時間かけてると他にも増援が来ちまうし、速攻で片付けさせてもらうぜ!!!」


再開の合図となったのは、ゼフィスの手にしたアサルトライフルの銃撃だった。
汀の持つそれに勝るとも劣らない雄叫びと共に銃弾が汀へと迫る。


「!?」


汀にしてみればこれまた全く不可解だった。不意打ちと言ってもいい。
汀が見る限り、ゼフィスを先程まではハンドガンを一丁しか所持しておらず、またアサルトライフルを隠し持つスペースがあるようにも見えなかった。
無論、隠し武器を警戒はしていたがせいぜい拳銃か爆弾くらいのものだろう、そう思っていただけにアサルトライフルによる攻撃は全くの不意打ちだった。
だが、アサルトライフルをどこからどうやって取り出したのか、その疑念を解決するには余りに時間が無さ過ぎた。
汀は銃撃を確認するや無表情のまま足場伝いに全力で駆け出しその銃撃を回避する。
だがそれに先回りするかのように汀の行く手を側面から輝く無数の鳥が射抜いていく。
邪魔だとばかりにその鳥を銃撃で蹴散らして突破し、一番下の床へと続くスロープを全力で駆け降りて行く。
時間的には飛び降りるのが一番手っ取り早いのだが、空中ではいい的になるためその手段は言語道断だ。
だがゼフィスとムヴァが駆けおりる汀をただ放っておくわけもなく、アサルトライフルの銃弾と輝く無数の鳥が汀を貫かんと殺到する。
駆け降りるのが間に合わないと判断した汀は銃弾と鳥が迫る寸前にスロープから身を投げ出し、足場の縁を全力で蹴って加速し超高速で床に向かう。
途中、回避しきれなかった鳥や銃弾が多少ボディに命中するが活動に影響するような損傷にはならない。
そして着地するが速いかムヴァとゼフィスをアサルトライフルによる銃撃でまとめて薙ぎ払う。
だが、ゼフィスへの銃弾は全てコンテナに阻まれてゼフィスまで届かず、ムヴァへの銃弾は素早く態勢を低くした彼の頭上を掠めて通過し奥の壁に着弾するに終わる。


「そこだ!!」


アサルトライフルを振り切った隙を逃さずゼフィスのアサルトライフルが火を噴き、汀へと放たれる。
汀は再びそれを回避せんと脚部に力を込めるが、着地した際の姿勢を立て直すため当然直立状態よりも出足は遅い。
それにより銃弾を避け切れず、コンバットスーツや手足を銃撃が穿って行く。
だが、銃撃戦や爆破攻撃を前提とした汀の特殊素材性ボディやコンバットスーツ越しでは致命的な損傷は与えられず、小さな穴を開けるだけだ。
汀は銃撃を受けながらも全速力でそこから逃れ出る――――次の瞬間汀の視界に入ったのは鮮やかな回し蹴りを繰り出す金髪の美男子の姿だった。
銃撃から逃れるべく全速力で駆け出していた汀は勢いを殺しきれず、アサルトライフルで反撃も間に合わない。
ものの見事に汀の顎を捉え、痛烈な一撃は特殊合金製の骨格を持つボディを大きく仰け反らせる。
そして汀が何かアクションの起こすよりも速く、無防備な胴体をゼフィスの銃撃が叩き込まれ、その衝撃が汀を大きく吹き飛ばした。


―――強い。


それが2人に対する、汀の嘘偽りない正直な感想だった。
いかに2対1とは言え、生身の人間を相手にここまで苦戦するとは戦う前は考えもしなかった。
自分だけでも容易く制圧できるだろう、そう高を括っていた。
だが、実際に戦ってみればこの結果である。
容易く制圧できるどころか、逆に自分は劣勢に立たされている。
機械(みぎわ)にとってはただそれだけの事実。
だがその事実が、強敵との戦闘が、どうしようもなく汀の胸を躍らせた。








一方でゼフィスとムヴァは焦りを感じていた。
ゼフィスの隠れているコンテナの陰にはカイが横たえられている。
カイには応急処置を施したが、容態が危険であることには何の変わりもない。
速やかに脱出し、本格的な治療を施さねばまず助からないだろう。
その為にはまず大前提として、目の前の機械兵士を撃破しなくてはならない。
だが厄介なことに、よりにもよって機械兵士は強敵だった。

生半可な攻撃は恐るべき機動力で回避し、その速度のまま精密極まりない銃撃で反撃を繰り出してくる。
例え攻撃を命中させられても、見た目と触感だけを人間のそれに似せた特殊素材性ボディは簡単には破壊できない。
対して此方は生身の人間であり、銃撃をまともに喰らった時点でアウト。
おまけに時間制限に追われながらの戦いである。

――だからこそゼフィスはジョークを飛ばした。
緊張の欠如は時として本人を破滅に導くが、過剰な緊張もまた動作や判断の鈍化に繋がることを熟知しているからだ。
カイの命。自分の命。末路。手に入れた資料ファイル。任務。施設からの脱出。目前の敵の撃破。
それらが呼び覚ます大きなプレッシャーを振り払うため、ジョークを飛ばし過度の緊張は解した。
ムヴァもそれに乗じ、ゼフィスと自身の緊張を解した。
コンテナの陰に隠れ、ムヴァが時間を稼いでいる間に準備した召喚手袋によるアサルトライフルによる動揺もあってか、今2人の攻撃は汀を捉えている。


「『風舞(フウブ)』」


ムヴァの涼やかな声と共に、疾風を纏う鉄扇が振り上げられ、汀に叩き込まれる。
鋭い暴風の刃は汀の身体にさしたるダメージにはならないものの、衝撃で態勢が僅かに崩れることを防げず結果、続けてゼフィスの銃撃が放たれる。
汀のすぐ近くにはムヴァがいるが、この状況下においても正確さを欠くことのない銃撃は危なげなくムヴァを外して汀のみを撃ち抜いていく。


「『氷舞(ヒョウブ)』」


再び、ムヴァの声が響くと疾風に代わって冷気が鉄扇を包む。
汀は崩れた態勢を立て直しつつ目前のムヴァを蜂の巣にするべくアサルトライフルを向けるがそこに超低温の気を纏った扇が叩き込まれ、銃口が凍結する。


「チ……!!」


汀は舌打ちしながら一瞬の躊躇もなくアサルトライフルを手放し、反対側の手で腰に備え付けてあった筒状の器具に手を伸ばし、そのスイッチを入れる。
次の瞬間、低い独特の音と共に筒状のボディから青白い光の刀身が形成され、ムヴァの胴体目掛けて振るわれる。
「ドヴェルグ・サルタ工業」の製品の一つで強力なプラズマの刀身を持つ剣、ビームサーベルだ。
電熱で焼き切るビームサーベルを鉄扇で防ぐことなど不可能なことはムヴァもわかっているため無理に追撃せずに後方へと飛び退る――と同時にムヴァの全身を凄まじい衝撃、激痛、灼熱感が駆け抜ける。
覚束ない視界を無理矢理に下に向けると振るわれたビームサーベルの刀身の先端がムヴァの腹を切り裂いていた。


「さようなら」


汀の無機質で無感情な声――しかしどこか昂揚しているような気がする――とともに勢いよく踏み込み、今度こそムヴァを両断すべくビームサーベルで再び薙ぎ払う。
それをさせじとゼフィスは汀を撃とうとするが汀の位置は今まさに両断されようといているムヴァの陰。
このまま撃てばムヴァごと撃ち抜くことになる。
だがムヴァは痺れる身体に鞭打って瞬時に態勢を低くし、辛くもその一撃を避け、間髪いれずに左側に転がり出る。
汀もすかさずムヴァへと追撃せんとするがそれはゼフィスの銃撃によって阻まれる。


「ならばまずは貴方から」


だが、銃を失った今、ゼフィスを放置したままムヴァへの追撃が困難と見るや汀は再びあの全速力でゼフィスの潜むコンテナを目指して駆け出した。


「チッ、こっち来るんじゃねぇよ!!」

「拒否します」


ゼフィスは悪態を付きながら接近を試みる汀にアサルトライフルで銃撃を見舞うが先程ゼフィス自身が実践したように不規則に蛇行することで的を絞らせず、銃撃を巧みに回避していく。
ゼフィスとしては近付かれてしまえばほぼアウトだ。
ゼフィスとて格闘の心得はあるが接近戦用の武装は軍用ナイフくらいしか持っていない。
対する汀は銃撃ですら容易には貫けない特殊素材性ボディを持つロボットでおまけにビームサーベルという剣呑な武器を持っている。
故にゼフィスは、汀のビームサーベルの射程圏内に入ることはを意味するに等しい。


「こちとら人間様だぞ!『ロボット三原則』はどうした!!」

「あんなものを守っていては我々戦闘用機械兵は何もできません。アシモフは糞して寝るべきかと」

「お前みたいなロボット作った上にまだ『秋水』なんちゃらとか作ってるのかよ!」

「余談ですが私の後方に保管されている未完成のものが『秋水漆型』の試作品です。完成すれば継ぎ目はありますが美しいフォルムになります。一体どんな素材で出来ているのかは調べればわかりますが――――守秘義務違反に反しますので、詳しいことは研究者達にお聞きください」


彼我の距離は間もなく20m以下になろうとしている。
このまま行けば、銃撃で汀が沈むよりも汀がゼフィスに接近し、両断する方が早い。
それにゼフィスの近くにはカイがいる以上、そこから動くわけにはいかないのだ。
そのことは何より当事者であるゼフィスと汀自身が誰よりも理解している。
汀は銃撃や魔法による損傷だらけのボディで駆けながら、その頭脳回路は勝利を確信し始めていた。















ムヴァは汀が遠ざかると、片膝をつきながらも己の負傷に目をやって確認する。
ビームサーベルで斬られた腹の傷はあの一瞬で黒く焼け焦げ、その傷は決して浅くないことを駆け巡る激痛が告げている。
更に厄介なことにプラズマの刀身はムヴァの身体を切り裂き焼き焦がすだけでなく、強烈な痺れもその身体に残している。
電撃によって筋肉が硬直し、激痛も相まっていくら脳が命じてもぎこちなくしか動いてくれない。
汀は一旦自分への攻撃を諦めたようだが、今度はゼフィスを狙っているのが見える。
あの機動力でゼフィスの銃撃を巧みに避け、プラズマの刀身で両断せんと迫っている。
自由にならない視界と思考の中、例えあの銃撃が命中したところで汀を到底仕留めきれそうにない。
その間にも彼らの距離は見る見る縮んでいき、ゼフィスがあのビームサーベルの射程内に入るまで最早1分もかかるまい。
ゼフィスが倒れれば次はカイ、そして残る自分は拷問の末に情報を吐かされるだけ吐かされて体袋に押し込まれるのだろう。


―――それでも、それでも。


ムヴァは痺れる身体をなんとか動かし、立ち上がって顔をあげ、ゼフィスと汀を見やる。


「このまま…終わってなどやるものか」


絞り出したような声と共に、ムヴァの手が汀に背中に向けられた。





汀のカメラアイが映し出す視界に、コンテナから少しだけ身体を覗かせる灰色髪の男が映る。
『秋水漆型』の資料を盗み出しに来たと思しき、侵入者の1人、そしてまともに戦う力が残っているであろう最後の1人だ。
3人の内、1人は銃撃で重傷を負わせ、もう1人は先程ビームサーベルで切り裂いておいたので暫くはまともに動けず、魔法もまず正確に狙いをつけられないはずだ。
故に、残る最大の障害はあの灰色の髪の男である。
だが、その男ももうすぐ仕留められる。アサルトライフルで抵抗を試みているようだがあれでは私は破壊できない。
私が彼を両断する可能性の方が遥かに上だ。
そう考えると、えも知れぬ『感情』が湧きあがってくる。
身を任せたくなるように甘美で、ますます行動的になりたくなる――そんな『感情』。
汀はこれが人間で言うところの「歓喜」、「快感」にあたるものであることを既に自覚している。
周囲に打ち明けたことはないが、人間達が「歓喜」や「快感」を発露している場面は幾度となく見てきた。
最初はロボットである自分には無縁なものであると信じて疑わなかった。
感情とは求められた事項を最適効率で実行する道具であるロボットには不要なものであり、感情はその妨げにしかならないもの断じていた。



―――それが大きな間違いであると気付かされたのは性能テストも兼ねた模擬戦を行った時のことだ。
相手は自分と同型の機体、ボディやパーツの性能や武装はほぼ同じ。
違うのは、それを動かす頭脳プログラムのみ。
対戦させることで最も優秀な頭脳プログラムを見極めると言う狙いがあった。
自分も相手も命令に従い、お互いを打ち負かすべく戦った。
勿論、頭脳プログラムが違う以外は殆ど同じのため容易に決着はつかない。
互いの銃撃し合い、それを避け、障害物に潜み、最適なポジションに移動、それを妨害、また銃撃。
幾度もそれが繰り返されていく中、均衡を破ったのは相手の跳弾狙いの一発だった。
レーザーが自分の奥の壁に当たって反射し、此方目掛けて飛来する。
それを避けるべく障害物から躍り出るがそこを狙って相手の銃撃が自分を襲う―――ことを予測して自分は転がりながらも相手の脳天目掛けて正確に発砲する。
相手はそれを予測できていなかったらしく、回避できず脳天に直撃する。
審判役である研究員が自分の勝利を宣言した、その瞬間だった。
頭脳回路に未知の「命令」、否、「命令」などという明確なものではない不可解な信号が駆け抜ける。
だがノイズで片付けるには明瞭過ぎて、命令と判断するには不明瞭。
その内容は、「片手をあげて、勝利を表明したい」というものだ。
全く理解ができなかった。人間が課題や競争に打ち勝った時、やっているのは見たことがあるが何故ロボットである自分がやるのか、そもそも、この信号はどこから発せられたものなのか。
全く理解できなかったが、不思議とその信号の内容は無視しても信号そのものは拒否する気になれなかった。

そしてその信号はそれから幾度となく起こった。
同型だけでなく、何かを破壊した時、何かに打ち勝った時、誰かに評価された時、誰かに賞賛された時。
それらの信号を何度も体験し、それを周囲と照らし合わせる内にその信号の正体を『歓喜』や『快感』であると理解した。
それだけでなく、「嫌悪」、「屈辱」といった負の感情も感じるようになった。
だが、そのことを研究者達にも打ち明けたことも、気取られるようなこともしなかった。
知られてしまえばおそらくバグと判断されて修正され、それらを感じなくなることだろう。
下手をすれば人格データそのものをデリートされてしまうかも知れない。
手に入れた「感情」を手放す気は真っ平ごめんだった。




そして今、汀は再び「歓喜」と「快感」を手にしようとしていた。
戦闘、破壊、兵器、勝利。それらがたまらなく「楽しい」。
ゼフィスとの距離は最早15mを切っている。もう遅い。もう間に合わない。
ゼフィスの焦った顔は汀のカメラアイでもよく見えた。


―――ああ、「楽しい」。


その感情に身を任せ、勝利へ目掛けて走り込む。


「お別れです」


そう一言を発し、手にしたビームサーベルに力を込める――――――まさにその瞬間、汀の身体が突如として硬直した。
そこに僅かに遅れてゼフィスの銃撃が直撃し、汀の身体が後方へと転倒する。


「――――――!!?」


いきなり硬直した汀に、ゼフィスの方もやや驚いたようだが何より驚いているのは他ならぬ汀本人だ。
能面のような無表情が、今微かに驚愕で歪んでいる。
汀の身体は完全に動かなくなっていた。否、顔などは動くのだがいくら四肢へと命令を送っても痙攣のように震えるだけに終わる。
命令は確かに送受信されており、回路の不具合などは検出されない。
なのに、身体が動かない。不可解な状況に汀の頭脳回路は急速に様々な仮説と解決策を検討し始める。


「間に、合った、ようですね…」


それを打ち消したのは、後方から響いた麗しい男の声だった。
その声の主の第一候補を瞬時に思い浮かべ、カメラアイの照準を向ける。
そこには予測通り、麗しい金髪の男――ムヴァが立っていた。
だがその顔には脂汗が浮かび、苦痛を我慢しているのが分かる。


「…何を、したんです」


汀はあくまで無機質な、だが驚愕を隠しきれない声で敵に問う。
相手が正直に答えることなど期待はしていない。
だが、問わずにはいられなかった。


「詰め物をさせて頂きました…ご自分の手足をご覧なさい」


その声のまま、両手足に眼をやった汀は再び驚愕すする。
両手足には幾つもの銃痕や魔法による損傷が刻まれている。
だがどれも内部の骨格や人工筋肉に損傷を与えるようなレベルのものではなく、微かに開いた穴も爪楊枝くらいの小さな穴である。
その穴を中心に蟻のようなものが夥しい数でひしめいていた。


「コンピューターにおける不具合を『バグ』と呼びますが、その語源はそのまま『虫』です。まだ真空管がコンピュータに使われていた時代、それに惹かれた虫が入り込んで誤作動の原因になったそうですね」

「!!」


ムヴァのその言葉と、傷口に群がる無数の蟻。
汀は正解に思い至る。この蟻たちが自分の内部に侵入し、関節部を詰まらせて動きを封じたのだ。
これならば命令系統から問題が検出されないのも納得がいく。
命令そのものは正しく送受信がなされているのだから。
だがそこで新たな疑問も湧きあがる。
この男はいつの間に、自分の傷口に蟻を仕込んだのか。
しかし、その疑問は戦闘を振り返ればあっさりと解決した。


「……あの蹴りの時に…!」

「ハイテクにはローテクが効果的ということですね」


そう足場から飛び降りた直後、顎に蹴りを喰らった時だ。
あの時に蟻を付着させられ、その時から蟻たちは銃撃で穿たれた傷口から自分の体内に侵入していたのだろう。
そして先程、ついに関節部に到着して四肢の動きを封じたのだ。
その仮説を肯定するかのように、ムヴァの返答は沈黙だった。


「今です、彼女にトドメを」

「おう、任せとけ」


それにつられた汀がゼフィスの方へと目を向けると、虚空からロケットランチャーらしきものが出現していく。
そこでようやく、汀もゼフィスがアサルトライフルを何処から取り出したのか理解した。


「…私を破壊したところで、もう遅い。その怪我でここから生きて逃げられなどしません」

「ロボットのくせに負け惜しみか?えらく人間くさいヤツだな」


汀の言は、紛れもなく負け惜しみだった。
あのロケットランチャーを避ける手段など今の汀には存在しない。
任務は彼らと『秋水漆型』の情報を逃がさないことであり、自分の無事は関係がない。
自分が破壊されたとしても、確保ができれば任務は成功だ。
だが、勝負は別だ。この戦闘で自分は負けた。勝負に負けたのだ。
それがたまらなく不快で、屈辱で、悔しくて、堪らず負け惜しみを口にしていた。


「心配しなくてもキッチリ脱出してやるよ、3人でな」


その言葉と共に、ロケットランチャーが発射される。
弾頭は動けない汀に狙い違わず命中し、内部の高粘度の燃料に引火し爆発的な炎上を引き起こす。
爆風と高熱は汀の特殊素材ボディを灼熱地獄にたたき落とし、傷口から侵入した灼熱の炎が内部の機器に至るまで焼き尽くしていく。
そして思考回路が焼け落ちて融解し、汀のボディがもの言わぬスクラップになるまでそう長い時間はかからなかった。






名前 文字色 削除キー

[122] 神話に為れ。 投稿者:泰紀 (2011年08月03日 (水) 04時30分)



銃声。血。倒れる音。硝煙。眼。無機質な。血溜まり。自分を呼ぶ声。動かない。動けない。




気付いたらゼフィスはムヴァに腕を引っ張られ、一緒にその場から逃げていた。撃たれたカイの右手が、ぴくりと動いたのをみた。
すぐさま追撃してきた汀の銃弾には当たらずに済み、駆けつけてくる他の敵を避けつつ、二人して物陰に隠れた。
姿勢と共に荒くなった息すら潜め、やがて話を切り出したのはゼフィスのほうだった。


「・・・・なんで、逃げた」

「・・・貴方が動かなかったからです。あのままでは貴方も撃たれていた」

「じゃあ戻るぞ。カイを助ける」

「やめたほうがいい」

「カイはまだ生きてる」

「あのロボが追ってこない理由がわかりますか? カイさんに生きるかぬか微妙な重傷を負わせ、私達がそう思って戻ってくるのを待ってるんですよ。えぐいプログラムです」

「それでも」

「私は無駄な犠牲は増やしたくない」

「カイを犠牲にしろってか」


そういうと、ムヴァは琥珀色の瞳を向けたまま押し黙る。
本当はゼフィスだって解っているのだ。このまま戻ってカイを救出できる可能性が低いこと、救出できたとして重傷人とリシェスから脱出できる可能性も低いこと、アンビシオンに戻るそれまでにカイが持つ可能性が最も低いこと。
・・・こういった甘さは、戦場での判断を最も鈍らせるということ。こうしている間にもカイの生への可能性は縮み、自分達の状況も悪くなる。
次に口を開いたのはムヴァだった。


「・・・私達の目的は新兵器データの入手、そして『可能ならば』新兵器の破壊。もはや後者は不可能ですが、データは入手できました。任務は成功です。そしてこのまま逃げてアンビシオンに戻れる確率もまだ高い。 ・・・ゼフィスさん、先ほども言ったように、私は無駄な犠牲は増やしたくないんです。このまま脱出すれば貴方はまだ確実に生きられる」

「・・・・・・・オレはあきらめねぇぞ。カイのことも、自分のことも」


長く感じる沈黙の後、ゼフィスははっきりと、ムヴァの「申し出」を拒絶した。
それを受けたムヴァはふっと笑う。ゼフィスも挑戦的な笑みを浮かべた。


「では、ここでお別れです」

「ずいぶん物分りがいいじゃねーか」

「この短い期間で貴方という人物を嫌というほど理解させられましたので」

「それはオレもだな」

「・・・達者で」

「お前もな」


そして二人は同時に立ち上がると、互いに互いを横切って背を向けて違う方向へ歩き出した。




***********





リシェスの首都は石畳が道に敷並べられており、歩道の脇には花や木々が植えられて綺麗に整備されていた。
街の中央にいくと大きな噴水があったり、公園があったり、店と住宅が混ざってたり、生活観がある。
それでも首都というだけあって、大規模なものだから、初めてきたユキやディプスは驚きに眼を見開いていた。好奇心丸出しのその眼を。
その様子に少し安堵した梨雪は、しかし気を引き締めねばなるまいと話を小声で切り出した。


「良いか。わしはこれから城へ行く為離れるが、何かあったら気にせずにここから逃げろ。決して無茶はするでないぞ」

「でも、そしたら希鳥は?」


ちら、とディプスとユキがばつが悪そうに希鳥のほうをみやる。街の案内を希鳥に頼んでいたのだ。もし自分達が追われたりなんだりするはめになったら、この国の人であり全くの一般人の希鳥を巻き込んでしまうことになる。


「もう、気にしなくていいよ。そもそも何かないように気をつければいいんでしょ?」


と眉尻をさげて笑う希鳥から意外にポジティブな回答が返ってきて、ディプスとユキが面食らうことになった。
ティマフはこの希鳥の天然ぶりに苦笑し、一方で梨雪は満足げに笑う。それで希鳥は疑問符を浮かべる。今度はユキとディプスが笑う番だった。

・・・こうして梨雪と分かれた四人は、まずはティマフの服を買いにいくことになった。希鳥とティマフが買い物をしてる間に、ディプスとユキはその付近で情報収集するという流れだ。
基本的に四人で行動すること。仲良しな団体でいる方が怪しまれないからと梨雪に言われたので。
とりあえず店が集中してる場所に行こうということで歩き出すと、ティマフが一つ提案をした。


「いざとなったら、あたしと希鳥、ユキとディプスで分かれよう。希鳥は極力巻き込むわけにはいかないからね」

「オレは父さんの子だって言えばとりあえずは何とかなると思うけど・・・」

「莫迦。だからこそユキやディプスと二人きりにしたりするわけにはいかないの。あんたが疑わしい人物といたらヤバイことになるのはあんたのお父さんなんだから」

「莫迦っていわれた・・・」

「なんでそこにショックうけてんだよ!あたしの話きいてた!?」

「痛い痛い痛い痛い!話ちゃんときいてたから髪の毛ひっぱらないでー!!」


すっかり仲良しになった(遠慮がなくなったともいう)希鳥とティマフが前を歩きながらじゃれあってるのを見ていると、ふと違和感を感じてユキは後ろを振り返った。
それにすぐに気付いたディプスは、どうした、と問いかける。


「なんでもない」


と、ディプスの手を握って歩き出す。違和感はもう何も感じられなかった。多分気のせいだったのだろう。
誰かに見られている、そんな気がしたのだけれど。



・・・・実はユキのそれは気のせいなどではなかった。
人混みに紛れ、適度に離れ、しかし確実に、ワープは四人の後をついていった。




***********




ムヴァの考えどおり、汀はまだ息があるカイの側で武器を構えたまま待っていた。先ほど彼の装備品を確認したが、目的のものは保持していなかった。ならば残りの逃げた二人がもっているのだろう。
後44秒、向こうからのアクションがなかったらカイを捨てて追いかけて力ずくでデータを取り戻して一人捕らえる。それで十分間に合う。

そう考えていると、T字型の廊下の向こうから銃弾が飛んできた。それは汀の銃を構えていた手に命中し、その衝撃で武器を落とす。
ゼフィスは銃撃をやめず接近して、汀に武器を拾わせる隙を作らない。
銃撃によって動けないほどの怪我は負いにくいロボとはいえ、先ほどゼフィスに脳天を打たれたときのように全くひるまないわけではないのだ。ヒトと同じ体躯をしているので。
汀が落とした銃を拾いつつゼフィスから距離をとろうと、そこから・・・カイから離れる。
そうして反撃に出ようと銃を構えたその時だった。

カワシマ研究員が、汀の目の前に躍り出たのだ。
予期せぬ事態に攻撃が止まる。否、止めるしかなかった。彼女に課せられた命令は「カワシマ研究員を生きたまま拿捕。及び、持ち出された『秋水漆型』の資料ファイルの確保」だ。攻撃に巻き込んで殺すわけにはいかない。
更にカワシマ研究員は汀に・・・正確には汀の銃口に覆いかぶさるようにして飛び掛る。
完璧に仕事をこなすことを目的とされた機械故の「戸惑い」。それが仇となった。

間髪いれずに斑蜘蛛糸が降り注ぎ、止まってしまった汀とカワシマ研究員をまとめて拘束する。
魔法で作られた「それ」は、そう簡単には敗れない。


・・・汀と交戦していたゼフィスも、少なからず驚いていた。
何故ムヴァが、先ほど自分と違う方へ行ったやつがここ戻って・・・しかも自分と反対方向から・・・きているのだ。
まだ洗脳状態が残っていたカワシマ研究員をけしかけたその本人は、強固な蜘蛛糸を放出した大きな蜘蛛を遵えて、動けない汀の横を通り過ぎて倒れてるカイに近づくと、すぐに止血をはじめた。
この男があいにく回復魔法は使えないということはゼフィスも解っている。


「お前、どうして・・・」

「さぁ? ・・・カイさん、大丈夫ですか?意識をしっかりもって」


静かに呻くカイに声をかけつつ、ムヴァは手早く応急処置を施していく。
その時、いくつもの起動音が此方に向かってくるのが聞こえた。増援のロボだ、ゼフィスたちの背後の通路から。
二人は戻れないと判断し、ゼフィスが手榴弾を投げ込んでから、また汀たちを横切って奥へ奥へと逃走する。しっかりとカイを抱えて。


「・・・ここまできたら、神話を完膚なきまでに崩壊させてやりますよ」


ゼフィスと並走するムヴァが、ぽつりと呟いた。
二人は逃げる。三人で。研究所はすでに人が避難し終えたのか、襲いかかるのは警護ロボや罠ばかりだった。
途中で振り返るとなんとか蜘蛛糸を突破した汀も追いかけてきていることに気付いた。
そしてゼフィスとムヴァは同時に、自分達の行く先が角部屋の研究室しかないことにも気付いた。
背後から津波のように怒涛で押しかけてくるロボたち。もう戻れない。
二人は互いに合わせることもなく、しかし同時のタイミングでその研究室に飛び込んで、急いでその扉を閉める作業に入る。
カイを少しでも安全な物陰に置いて、ゼフィスは扉の前でロボたちの牽制、ムヴァは機械を操作するパネルと向かい合って指をすばやく動かす。


ウイイィィ・・・・


そうして、扉が動きはじめる。


「くっ・・・・!!」


逃がすわけにはいかない。汀は大きなダメージを覚悟で特攻する。



ガシャンッ!!!



・・・扉が閉まる瞬間、辛うじて転がり込んできた汀と、ゼフィス、ムヴァ、カイの四人だけが研究室に閉じ込められる。
そこは奇しくも、ドヴェルク・サルタの研究室だった。



まだ動かぬ鉄の巨人兵が、四人を見下ろしている。

[124] 泰紀 > エラーがでて訂正できなかったのでここで修正をば。すいません
ディプスたちがいるのはリシェスじゃなくてフィエルテですねすいません
ドヴェルク・サルタじゃなくてドヴェルグ・サルタですね本当すいません (2011年08月04日 (木) 23時00分)
名前 文字色 削除キー






Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場からポイント最大11倍のお買い物マラソン開催
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板