[110]
猿田毘古と唯勝
|
|
投稿者:ももも
|
(2011年07月08日 (金) 01時16分) |
|
リシェス商工会議の翌日。 その日の朝、出社「ドヴェルグ・サルタ工業」の社長フェーゴ平時通り、業務を淡々とこなしており、目立った変化はない。 ―――ただ一点、アルムから渡された「商工会議」のバッジを身につけている点を除いて、だが。
その日、兵器開発研究所から戻った汀はタイトなスーツに着替えて首都を闊歩していた。 時刻は昼休憩の真っただ中ということもあり多くの勤め人がオフィス近くに出店している弁当屋や食堂で昼食をとり、或いはとりに行くべく出歩いている。 前後左右どちらを見ても視界に映るのはビルと人。 行き交う自動車の走行音とエンジン音は鳴りやむことなく太陽に照らされたオフィス街に響き渡っている。
さて、世間では昼食の時間だがロボットである汀には無関係な事柄である。 活動するためのエネルギー補充は確かに必要だが汀の動力となるのは内蔵された充電池が生みだす電力であり、食物から得られる類のエネルギーではない。 汀はひしめく勤め人達の流れに乗りながらある程度歩くと、急に方向を転換し路地に入る。 その途端人通りはまばらになり大通りの喧騒が遠ざかっていく。 左右を見渡せば居酒屋をはじめとした飲食店やや雑居ビルなどが立ち並んでおりこちらも都市に相応しい様相だ。 だが汀はそれらには目もくれず、更に深い路地へと足を踏み入れる。 人影はさらに減り、日差しは差し込まず薄暗さと湿った空気と換気扇の音、建物を超えて聞こえる大通りの喧騒が全てだった。 大凡(おおよそ)そんな路地に似つかわしくない服装で、更に歩くこと約2分。 辿り着いたのは小さな町工場だった。 壁に設置された錆びた看板を見ればそこが「自動車修理工場」であることがわかる。 この自動車修理工場が今回の汀の目的地だった。 汀は慣れた風にインターホンを鳴らすとそこから女の声が聞こえた。
「どうもお世話になっております、『ドヴェルグ・サルタ工業』の者ですが」
「はい、少々お待ち下さい」
10秒もしない内にドアが開かれ、現れたのはとび職のような服装の少女だった。 お互いに挨拶を交わし、少女――ウーミンの案内で汀も工場内に足を踏み入れる。 それを確認したウーミンはまたきっちりとドアを閉めた。 ―――まるで、何かから隠れるように。
中では丁度昼食を終えたらしいフォルアが事務室から出て来たところだった。 汀とフォルアは互いに形式的な挨拶を済ませると事務室に移動した。
「ご用件の方ですが…矢張りアレですか?」
「えぇ、対魔術装甲の買付に」
表面上笑顔の汀に対し、フォルアの表情は能面のように冷え切っている。 通常、このような商談の席では商談をスムーズに進めるため、可能な限り笑顔で臨むのが常識である。 仏頂面では相手に圧迫感や嫌悪感、不快感を与えかねないからだ。 その常識を、ましてや企業としての規模としては天地ほどの差があるにも関わらずそれを無視してフォルアが高圧的にも見える態度に終始できるのは「高圧的な態度でも商談に影響を与えない」という自信の表れに他ならない。 事実、汀としてもフォルアが多少高圧的な態度に出ようともそれを受け入れざるを得ない理由があった。
「数と種類は如何ほど?」
「イ型、ロ型、ハ型をいつもの2倍ほどお願いします」
「納期のご希望は?」
「来月の頭くらいを目途に」
フォルアは眉一つ動かさず、今や時代遅れとなったレトロな電卓を叩いて見積もり額を出しながら「機兵の増産が決まったのだ」と確信した。 汀が注文に来たのは「ドヴェルグ・サルタ工業」の兵器部門の主力商品である機兵に使われる装甲、それも対魔術加工を施したものだ。 無論、それを自社だけで生産が出来ないほど「ドヴェルグ・サルタ工業」は貧弱ではない。 だが、この小さな自動車修理工場は少なくとも、その分野に関しては「ドヴェルグ・サルタ工業」のみならず並入る大企業を圧倒しているという確かな現実があった。 そしてリシェスの仮想敵国――否、敵国達は高度な魔法技術を有している。 その現実があるからこそ、フォルアは今のような高圧的とも取られかねない態度に終始できているのだ。
「お値段の方は――」
「いつも通りで。後程で正式なお見積りを送らせて頂きます」
「商談」は滞りなく、スムーズに済んだ。 用の済んだ『自動車修理工場』を後にし、汀は本社へと戻るべく来た道を戻っていく。
その最中のことだった。 突如内部に搭載した通信機器に着信があり、電子文章が送信されてきたのだ。 送信元は「ドヴェルグ・サルタ工業」本社である。 情報保護のために複数の形式で幾重にも暗号化された電子文章を復号化し、内容を読むと「兵器研究所」へ向かえという命令だった。 どうやら先方で『秋水漆型』の開発において何か進展があったらしく、臨時会議を開くらしい。 兵器の進歩に密かに胸を踊らせながら、汀は本社ビルへと足を進めるのだった。
|