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「正義」の国に入り込んだ異物
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投稿者:かやさた
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(2011年06月14日 (火) 02時56分) |
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「……おい。」 「……聞こえているのか?」 「……返事をしないか、レインベリル!」 ---呼びかけは、6回以上無視するのが基本。
「まったく……、制作をしている時は、周りの音が耳に入らないのだから、困ったモノだ。」 ---いえいえ、実際聞こえてないわけじゃないのよ。そう思わせているのです。
「だいたい、何でこんなイカレタ格好の女が、教祖様の錫杖制作を任されている…」 「言うなよ、ああ見えて腕は良いらしいんだから。」 「頭の方はからっぽみたいだけどな。」 ---お褒めの言葉として、受け取っておきましょう。そう思わせて、いるのだから。
「おい」 僧兵は持っていた錫杖で、作業台の角をコツコツと叩く。今気づいたとでも言うように、レインベリルと呼ばれた女は目を丸くして、僧兵を見上げた。真緑に染め上げられた巻き毛が揺れて、油の浮いた頬に張り付く。汚い物でも見るように、僧兵は眉を潜めたが、女はそれには気づかないフリをした。 「作業は順調か?」 「いいえ、今は中断させられてるわ。」 女はそう言って、歳柄も無く殊更に無邪気な笑みを浮かべてみせる。問いかけた僧兵は飽きれたように、長くため息をつき、入り口付近で控える騎士は、吹き出したのをあわてて手で押さえた。 「……まあ、いい。教祖様の錫杖だ。くれぐれも粗相の無いようにな。」 「やぁね〜、わかってますって〜。」 能天気そうにヒラヒラと手を振る女の前に、ころりと、小さな木片が差し出される。 「これ、なぁに?」 「聖樹の木片だ。」 「せいじゅ?」 知らんのか、という顔で僧兵が眉をしかめ、 「お前は気にしなくてもいい。それを錫杖の中心に埋め込むようにと、上からの指示だ。」 面倒だと思ったのか、説明もせずに用件のみを伝えてきた。 「いいか、くれぐれも粗相の無いように、だぞ。だいたい、教祖様に仕える身であるならば、聖樹のことぐらい勉強しておけ。」 僧兵はそれだけ言い残し、騎士とともに部屋をあとにする。 「は〜い」 という、暢気な返事は、勢いよく閉まったドアの音に相殺された。
---あれで、礼拝の時などは教師然として、壇上から説法をたれるのだから、ちゃんちゃらおかしいわね。 レインベリルは、くっと口の端を吊り上げる。 ---別に、頭が空っぽなわけではないのよ。 外には監視が控えており、聞き耳をたてているため、口には出さずひとりごちる。
わかっていることはたくさんある。例えば、フィエルテの上層部は腐ってるとか、リシェスのアルムコーポレーションの社長は馬鹿を装っているだけだとか、この国の聖職者には生臭坊主が多いだとか……この木片は、木材ではない、とかだ。巧妙に似せてはあるが、重さと、ひんやりした感触は、おそらく樹脂製だろう。木片もどきの表面をついと指でなぞれば、ひっかかりを感じる。慎重に捻ると木を模した樹脂製の殻は、たやすくはずれた。
中身を確認し、レインベリルは初めて眉間に皺を寄せる。 ---ゲスな物を……
それは、彼女は知らぬことではあったが、数日前にアルムコーポレーションの社長が「新製品」と称して記者に見せていた物である。 その「新製品」を何故知り得たのかと言うと、彼女もそれの開発者の一人だったからだ。
しかし、彼女は、その「ゲスな物」に元通り殻を取り付けると、何事も無かったかのように作業を再開した。
わかることもわからないと言い、知っていることも知らないと言い、頭が空っぽで、宝石にしか興味が無くて、常識の無い人間を装うこと。それがこの国で生きるための処世術だったから。
・・・・・・・・・・
月も沈みきった深夜だった。作業を一段落させて帰宅したレインベリルが、自宅の鍵をまわし、中に入る。明かりをつけると、布団に寝かされていた少女が警戒の目を向けてきた。悪いことをしているわけではないのに、何故こんな目で見られないとならないのだろうか。らしくないことをした、と後悔する。
傷だらけで、意識の無い少女を拾ったのは、昨晩のことだった。 植え込みの陰に倒れていたそれは、泥とほこりで汚れきっていて、最初は雑巾が捨てられているのかと思ったほどだ。
---面倒ごとを背負い込むのはごめんなのに、なんでこんなの拾っちゃったのかしら。リダスタ家からの依頼の納期も迫ってるっていうのに……
そんなことを考えながら、レインベリルは少女…ユカリスに、淡い色の見習い僧の服を差し出した。
「わけありなんでしょう。面倒だから聞かないけれど、とりあえず着替えなさい。着てた服は燃やしちゃったからね。」
「……これは…?」
「……妹の、よ。変なところに穴なんか開いて無いから、大丈夫……。」
---そういえば、妹が死んだ時もこのくらいの年齢だったっけ… 女は感傷を断ち切るように、かぶりを振る。
「テーブルの上の物は食べてていいわ。出てく時は一声かけなさい。」 レインベリルはそれだけ言い残し、返事も待たずに自宅の作業場へと消えていった。
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