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二つの宝石
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投稿者:泰紀
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(2011年06月10日 (金) 15時44分) |
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雲ひとつない青空だった。 二匹の小鳥がさえずりながらじゃれあうように飛んでいる。 穏やかな風がふいて草木を撫ぜると葉擦れの音が静かに過ぎてゆく。
小高い森の中にぽっかりと小さく空いた野原がある。そこには小さな屋敷が立っていた。 そしてその屋敷の近く、背が低く赤い実を実らせた樹がある。それが作る木漏れ日の下で自然の音に耳を傾け、目を閉じている一人の男がいた。 成人男性の平均身長より少し低めで、露わになっている腕や手首、首筋は白く細い。 それよりも真っ白で細い髪が、より消えてしまいそうな儚げ感を男に与えていた。 風になびかせていた髪を、これまた細い指でそっと掻き分けて、男は目を開けて青空を見上げた。すると、それとほぼ同時に遠くからの轟音が響いて青空に一筋の雲が出来上がる。それは空を飛び国境へと向かう飛空艇だった。
・・・ヘレディウム大陸。 現在この大陸には四つの国が存在しており、そして大陸統一を狙って戦争をしている。この大陸に住まうものならば誰もが知っていることだ。 そしてこの男が住まうこの国は王政国家フィエルテという。
やれ戦争だ、やれお国の為だ、とこの国中が騒いでいても、男にはいまいち実感が沸かず、まるで絵画をみているような印象だった。 何故なら男は生まれつき身体が少しだけ弱く、人里に住むのも汚れた空気が気管に障るからということで、今までひっそりとまるで小さな宝石を隠すかのように人里離れた場所で暮らしてきていたからだ。 今住んでいる所は、国境となっている山脈から吹き降ろす風と、青々と茂る草木のおかげで、綺麗な空気が絶えず流れ続けている。おかげで昔あれほど苦痛だった慢性的だった喘息も今は殆どない。
しかし、たまに人が恋しくなるのが、最近の悩みだった。 どうしても我慢できなくなったときは転移魔法を使い、首都で働く父や疎開で離れ離れになっている双子の妹弟に会いにいく。それでも軍務中の父の邪魔をしたくはないし、弟と妹には身体のことで心配させてしまったりするので、頻繁に会うことは憚られた。 首都に長居すると体調を崩すし、知り合いは家族以外にいなかった。
やがて男は立ち上がり、赤い実に手を伸ばし、二つほどもぎ取ってから屋敷の中に戻っていく。
戦争という現実から遠くかけ離れた場所で、この男・・・希鳥は暮らしていた。
雲ひとつない青空だった。 しかしそれはあくまでも外界での話である。 分厚く高く聳える壁の内側の深くには青色など存在せず、あるのは赤色だった。
こつこつ、と早足で地下室を進む影がある。要所要所に設置された灯りに照らされると、その影が露わになった。 絹糸のように柔らかな金の長髪、真珠をまぶしたような肌、琥珀のように透き通った瞳を持った男だった。その酷く美しい容姿に微笑を湛えさせれば、まるで虫も殺せぬ聖者のように見えたが、この男は軍人である。 慣れた手つきでセキュリティの厳重な扉を開けると、そこが地下室の出口だった。 地下室からでると、がらりと空間の雰囲気が変わってしまう。開け放たれた窓からやっと青色が見える。 扉の横に待機していた二人の軍人が、男に向かって恭しく敬礼するのを横目に、男はまた早足で歩き出した。
・・・ヘレディウム大陸。 現在この大陸には四つの国が存在しており、そして大陸統一を狙って戦争をしている。この大陸に住まうものならば誰もが知っていることだ。 そしてこの男が住まうこの国は軍事国家アンビシオンという。
男の所属している軍こそが国の最高権力であり、戦争の力そのものである。 現在は他国とのにらみ合い状態となっており戦は止まっていたが、すぐに次が始まるだろう。 それまでに捕らえた捕虜から有益な情報を聞き出すのが、この男の先ほどまでの仕事だった。 結果を報告するために、自室へと戻る際、同僚に声をかけられた。それで立ち話が始まる。
「どうだった?」 「たかだが爪三枚で気絶してしまいましたから、ほっぺ引っぱたいて起こして洗面器に顔沈めてやりましたけど?」 「いやそこじゃなくてな」 「ふふ、分かっておりますとも。・・・とりあえず、上に報告できるようなことはありました」 「・・・それだけか?」 「ええ、それだけです」
そういって微笑む男に、お前ね、と同僚がやや呆れたようにした。 それからもう少し詳しいことを聞こうとしたところで、目の前に人差し指を差し出されて制止された。
「聞き出そうとしても駄目ですよ。まずは周りに漏れないように上に報告。それが私のお仕事ですから。ですから、上から正式な報告があるまで、貴方も休んでなさい」 「それ以外にも仕事はたくさん頼まれてんだろ、どうせ」 「ええそうなんですよ。頼られっぱなしで困ったものです」 「・・・お前は本当に末恐ろしいな」
ひくつかせた笑みでそういう同僚に、男はただただ美しい微笑を浮かべる。
戦争に最も近い血生臭いところで、この男・・・ムヴァは生きていた。
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