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極東軍事裁判、所謂〜東京裁判は近い先例としてドイツのニュールンベルグ裁判があり、ナチス党の要人を戦争の共同謀議で訴追したわけであるが、日本の東京裁判でのA級戦犯を満州事変以来から掘り起こし一貫した戦争指導者として共同謀議があったとするにはさすがに東京裁判でも無理であった。
日本ではナチス党のような特定の党派が一貫して政権を牛耳り国民を戦争に導いたことが証明できないのである。また軍部による軍国主義というのも民主主義国家でも戦時全体主義は須らくであり、個人を特定して共同謀議があったとするにはあまりにも要職を占める個人が流動的であり一貫した個人が見受けられない。もっとも代表的戦犯とされる東条英機にしても開戦時の首相であるだけで戦時中にサイパン陥落の責任をとって総辞職しており、戦争に至るまでの前後について共同謀議の首班にするにしても東京裁判で取り上げる範囲では一貫した対象者にならない。
それではなんで戦争になったか考察するには満州事変前後からの朝日新聞の記事だけでもわかるだろう。腰抜け政府!弱腰軍部!とマスコミや世論が批難轟々で慎重な政府、軍部に出兵を促したのは国民である世論が煽って行った様子が克明に記されている。それを後世史観で戦況悪化した末期的な世相下で強圧的だった軍部の姿勢がまるで大正〜昭和とず〜とであったかが如くイメージしちょる。
満州事変では張作霖爆殺事件の絡みで田中義一首相は総辞職に追い込まれており、所謂、日中戦争についても陸軍作戦課では不拡大方針を当初掲げたいたにも関わらず出兵を促し煽ったのは他ならず国民世論ではないか!今の時代の戦前の生き証人と言う80歳前後の老人の経験は平和な時代の戦前ではなく皆、青春若しくは物心がついた少年時代に既に戦時下で軍人が威張っていたという思い出が焼きついたものばかりである。
このことについて、靖国神社にA級戦犯を合祀した頃の国民はまだ、戦前に分別のあった年齢層も数多く残っており、国民世論の言いなりに従い戦争指導者になってしまったA級戦犯に対して国民の代表として引責によって処刑されたことを気の毒に思い合祀に至ったのである。
戦後に朝日新聞など豹変したマスコミこそ無責任に戦争を煽った張本人じゃ。代表としてA級戦犯になった者を批難するマスコミこそ終戦時、米軍に首を差し出すべきであるのに厚顔無恥で破廉恥極まりなし。来る8月15日の終戦記念日に小泉首相が靖国参拝してもしなくても批難するマスコミや言論人はじめ、首相の靖国参拝を反対する政治家、経済人等は長く売国奴として名を残しても恥知らずだからカエルの面に小便か。 |
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名前:時之番人 / 自宅にて / 私信 / HP
2006年08月12日 (土) 12時02分
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