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空気のみならず漢字も読めない・・・で、昔の話を想い出した。確か平安の御世で関白藤原道長の時代に蜻蛉日記の作者が母である藤原道綱という者が大納言であった。関白道長の異母兄になる大納言道綱は「後生だから死ぬ前に形だけでいいから大臣にしてもらえないか」なんぞと関白道長に頼み込んだことがあるそうじゃ。
そのことは当時、右大臣であった小野宮実輔の日記、小右記にその話を聞きつけた実輔が記述してあって、実輔は『道綱は大臣になれない!なぜならば漢字が読めないからである。』と言い切っておるんよ。実輔の予想通り、幾ら異母弟の肉親の情があっても関白道長は無教養な兄、大納言道綱を大臣に任用することはなかった。道綱は「せめて、内大臣でいいから…」と病の床で呟いておったが、とうとう大臣になれずに没した。
当節では、 漢字が読めない者でも総理”大臣”まで成り上がれる嘆かわしい時代になったようじゃ。 |
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名前:時之番人 / 自宅にて / 私信 / HP
2008年11月29日 (土) 08時34分
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