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>@「侵略」は悪いことか
悪いこと。 現代、我々が遠い諸外国の産物を食し利用することができる。庶民が外国旅行する。これはみな帝国主義の歴史を経た恩恵の賜物である。然しながら帝国主義の時代であっても侵略=正義ではない、無理矢理でも大義名分や侵略する口実は必要である、なぜならば、国家間の通商拡大によって自国民の生活向上を求めるものであり、戦争は外地での自国民の生命財産保護が目的であり、公けに行われる侵略行為は個人の犯罪とは似て非なるものである。
例えば、 北朝鮮のような国は19世紀では真っ先に侵略征服される国であるが当時では最貧国であっても国政の運用に隙がなければ侵略されることはない。つまるところ幕末、明治の日本が好例である。
従がって、 人類の発展進歩のために不可欠な必要悪と認む。
>A「戦争」は悪いことか?
前記「侵略」で述べた通り必要悪。 悪い理由として単純明解に多くの人が犠牲になる。但しこういう単純論では始末書のような内容の日本国憲法前文のように諸外国性善説を前提に信義と信頼によって隷従されないということになるけれども、現実には国家や組織の背景があるところに個人的な信義や信頼は当てはまらないのであり、戦争が悪いからしないという民族は戦争が悪かろうが良かろうがするという民族の奴隷にならなければならないことになる。
従がって、 現状の日本はアメリカに自国の防衛を依存している者が自前で国を守る意志も捨てながら反米主義という矛盾したねじれ現象が護憲反米主義である。
>B「戦争責任」とは何か?
法的責任 立憲君主制の根拠として大日本帝国憲法では第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規に依りてこれを行ふ」とあり、前項の統治権は後段で「憲法の条規に依り」と但し書きされておる。つまり憲法に依存するから統治権を行えるということである。つまるところ内閣の上奏により正規の手続きを経た戦争の裁可は同憲法の第13条の条規に従がったものであり制限君主である立憲君主には開戦の責任はない。法的責任が生ずるとすれば憲法違反である終戦のご聖断の方である。
政治的責任 これは憲法違反してでも戦争を止めなかったというもので法的責任と矛盾する。このことは立憲君主である総覧者でなく実際の執政者である内閣の責任であって、内閣は当時の戦争を煽るマスコミ世論や国民に迎合して人気取りで戦争に踏み切ったと後世に批判されても仕方あるまい。然しながら占領されてしまったのであれば政治的責任は戦勝国に拠るところになり、戦勝国は次の道義的責任を根拠に天皇の戦争責任を判断することになる。
道義的責任 国民の意思に拠るところであり、戦勝国が政治的に治安上の理由として天皇の戦争責任を追及しなかった最大の根拠。当時の国民は大正デモクラシーから戦争に至る軍国主義まで経験しており、天皇の責任より天皇に申し訳ないという気分が天皇打倒という革命気分より優っており、極東軍事裁判のA級戦犯は引責で処刑されたという思いから靖国へ合祀を認めたものである。されど君主の立場から昭和天皇は当時の国民と同じ観点でないのは須らくである。 |
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名前:舐小路実麿 / 自宅にて / 私信 / HP
2009年03月01日 (日) 07時23分
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