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文科省が教科書の表記で聖徳太子(厩戸王)でブレたそうであるが、聖徳太子はいなかった?とかいうテレビ番組の受け売りだろう安っぽい役人どもである。厩戸王子の生前当時は聖徳太子はいなかったなんぞはまるで頓智問答で当然おらんわい。聖徳太子は後世の追号だからという専門家の視野の狭い、全体性、整合性のない理由づけにも呆れる。聖徳太子の功績である十七条の憲法、冠位十二階、遣隋使等々確かに全部が聖徳太子の功績ではないだろう。ただ当時、摂政であるから後世においては蘇我馬子の功績にはしたくないからで同じ蘇我系の厩戸王子でも子供の山背大兄王子が蘇我入鹿に殺されており一族が蘇我氏に滅ぼされたとなれば蘇我馬子の功績も聖徳太子一人にしたくなるのも大化の改新後の時代の雰囲気だろう。多数の人の訴えを同時に聞いたという聖徳太子の能力ぶりも当時、遣隋使の答礼使の裴世清が帰国して隋の煬帝に倭国の状況を至る所に朝鮮、中国、アイヌ等々衣装、習俗、言語が異なり複数の民族で構成された移民の坩堝で合衆国のようだと復命していることから聖徳太子は複数の言語を喋れたということである。
倭国の国名も中国が勝手に「われ、わが…わーわー」言ってるように聞こえるから「倭国」と名付けたからと教科書から消すか?日本の国名にしても天武天皇からの国号だし、天皇の称号も然りであるからそれ以前は大王さらにスメラミコトとか教科書に記載しなけりゃならんということになる。それどころか明治以前の歴代天皇すべてが当時はいなかったという理屈になる。日本史に限らず世界史全般もローマ帝国当初は皇帝はアウグストスで皇太子はカエサルと称したから初代はエンペラーではないのか?何から何までなかったことになってしまう世界四大文明の当時の人が自分たちは黄河文明などと話していたわけでもないだろう!
まったく、文科省の役人も学者も馬も鹿も分からぬ輩ばかりじゃ! |
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名前:Sanemaro / どこかで / 私信 / HP
2017年04月09日 (日) 13時07分
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