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奈良県の櫻井茶臼山古墳で大量の銅鏡が発掘されておるそうだが、卑弥呼の使者が中国の魏から帰国した「正始元年」(240年)の年号が入った三角縁神獣鏡らしき破片もあるそうじゃ。どっちみち中国産だろうが国産であろうが卑弥呼の時代に中国製の銅鏡が大量に邪馬台国に持ち込まれてその周辺で大量の複製の国産銅鏡が作られらたということだな。こりゃぁ邪馬台国の所在地を示す有力な物的証拠じゃ。元々から1世紀前後ならまだしも3〜4世紀では九州より近畿の方が生産力で追い越しておる。従がって、卑弥呼の邪馬台国というのは大和朝廷のことか、その前身じゃろうよ。
然しながら民主党の小沢幹事長は江上何某の騎馬民族征服説を根拠に天皇の先祖は韓国から来たと訪韓先で媚びておったそうだけれども、それだと大和朝廷の任那日本府(朝鮮半島南端)が騎馬民族の本国でそこから日本列島に渡来して倭国を支配したというのである。その後、朝鮮半島の高句麗、新羅、百済三国に追い出されて本国を朝鮮半島南端から日本列島に本国を移転したということであるが、幾ら日本では有史以前だとは言ってももう4世紀の話しじゃ。今までの史実では大和朝廷が任那日本府の盟主的存在だったというのが全く逆であったというのは、かなり無理がある。
当時、任那の韓諸国が常に新羅、百済に圧迫されておったのは事実であるが攻勢に出ていたのは大和朝廷側で史実として大挙海を渡り新羅、百済を制覇した倭人を高句麗の好太王が破ったと好太王の石碑に書いておる。史料的には日本から朝鮮半島に攻め入った話はあってもその逆はない。騎馬民族といっても2000年前のローマ皇帝の銅像ですら裸馬に乗馬しておるくらいだから馬の鞍やあぶみ等が普及したのは3世紀頃で、アメリカ大陸で乗馬を知らないインデアンをスペインポルトガル人が征服したのとは時代が違う。
紀元前ともなれば朝鮮人も日本人もアラルアルタイ語族で北方のモンゴロイドが移動して来たのであろうと思料することはできるが卑弥呼や神宮皇后の時代の邪馬台国や新羅征伐が倭国征伐の話に摩り替えられるのは甚だ疑問である。第一に古事記、日本書紀で過去に本国が朝鮮半島にあったことを隠したり、削除するような改竄をするという理屈がわからない。もしあるとすれば当時ではなく後世になってからであって、戦前の日本を批判するあまり偏見となって自分たちのイデオロギーでは史実を改竄するから古代当時も後世の戦前の軍国主義と一括りにして古代の日本人が20世紀の軍国主義同様の歴史観をもっていると思い込み戦後の自虐史観のように歴史を改竄するに違いないと錯誤した発想が小川幹事長の信奉する江上騎馬民族征服説とは怪しからん。 |
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名前:時事放言 / 自宅にて / 私信 / HP
2010年01月11日 (月) 10時22分
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