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五・一五事件は、海軍将校による個人的テロであったが、二・二六事件は青年将校による陸軍部隊を動員しての組織テロとして叛乱部隊となったわけであるが海軍自体は陸軍の戒厳司令部とは別に首相岡田啓介海軍大将・侍従長鈴木貫太郎海軍大将・内大臣斉藤実海軍大将が襲撃殺傷されたこともあって叛乱部隊鎮圧のために東京湾に第一艦隊を急行させて陸戦隊を上陸させておる。
陸軍内部でも派閥争いがあり、皇道派将校のクーデーターには統制派が対立する。もっともこの皇道派の押せ押せムードの流れを潰したのは皇道派が推戴し親政を懇願した昭和天皇御自身である。奇しくも叛乱軍将校が起こした事件により政府機能がマヒした結果、一時的に天皇親政となり天皇の下した奉勅命令は叛乱軍の速やかなる鎮圧である。
問答無用で射殺された高橋是清蔵相など思えば日露戦争で金策のために渡欧してユダヤ人資本家ヒスに出会いロスチャイルド等ユダヤ資本の協力を得たことは当時、大国ロシアと新興国日本の戦争で日本投資の進展は高橋是清の目立たぬながら日露戦争勝利への大きな要因である。当時の経済苦境を抜け出すための惜しい人材を失った。鈴木貫太郎侍従長は奥方の懇願により安藤大尉以下の襲撃部隊により瀕死の重態を負わされるも止めを刺されずに一命をとりとめ、終戦時のこの鈴木貫太郎首相が内閣による天皇の輔弼(助言)を放棄して天皇の御聖断を仰ぎ、再び天皇親政の結果がポツダム宣言受諾となった。
今、ニュースでリビアのカダフィー大佐の独裁政権が崩壊の危機と伝えておる。カダフィー大佐は40年前に大尉としてクーデーターを起こして王政を転覆させて政権を握ったわけであるが、二・二六事件の実行部隊の青年将校らも大尉級である。75年前の日本では、天皇・統制派・海軍と陸軍皇道派の雰囲気を逆転する要因が大きかった。然しながら、その後に起こった太平洋戦争をこの皇道派が起こしたクーデーターが成功したら回避できたかというと否定せざる得ない、なぜならば統制派より皇道派の方が過激であり、事件後に皇道派が粛清されて軍部を牛耳った統制派は、この事件により貴族、財閥、政治家等が軍部を恐れて腫れ物に触らぬよう処世したために軍部が増長して夜郎自大にしてしまったんじゃよ。 |
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名前:さね爺じゃ / 国内にて / 私信 / HP
2011年02月26日 (土) 18時10分
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