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高杉晋作 (5221)
日時:2011年11月05日 (土) 07時14分
名前:伝統

【僕は金輪際、二度と『困った』とい云う言葉は吐かない】(高杉晋作)

かの有名な幕末の志士・高杉晋作の人生は、
15分おきに困ったことが勃発するような人生でした。

困ったことが雨あられとなってやってくる。
時には命を狙われて逃げ回り、時には、たった84人で、2000人もの
軍隊に勝負を挑んだ。まさに、波乱万丈の人生です。

でも彼は弱音を一切吐かなかった。自分に誓っていたからです。
「もう、二度と僕は困ったと言わない」と、
そして、弱音を吐かずに見事に大業を成し遂げたのです。

高杉晋作は、後ろ向き発言や愚痴の恐ろしさを見抜いていたのです。
「窮地」と「死地」には、天地雲泥の差があるのです。
その分かれ目は、心の持ち方ひとつなのです。

    ・・・

 【おもしろき こともなき世を おもしろく】

高杉晋作が死ぬ前に残した辞世の句です。

面白くもなんともないこの世の中を、俺は面白く生きてみせたぜ、おまえはどうだ?

そんな句です。

        *以上は「朝にキク言葉」ひすいこうたろう・著 等より

        <合掌 平成23年11月5日 頓首再拝>

桜山招魂場、高杉晋作の漢詩 (5232)
日時:2011年11月06日 (日) 05時05分
名前:伝統


 猛烈奇兵何所志
 要将一死報邦家
 尤欣名遂功成後
 共作弔魂場上花

 弔む羅和留 人尓入るべき 身なり志尓
 弔む羅宇人となるそ は津か志

 謹弔
 霊魂

 故 奇兵隊士 東行狂生
 慶応元年八月 招魂場祭事


(読み下し)

猛烈の奇兵
何の志す所ぞ

一死をもって
邦家(=国)に報いんと要す

よろこぶべき
名遂げ功成るの後
共に招魂場上の
花とならん


弔らわる人に入るべき身なりしに
弔う人となるぞはずかし 


<参考Web:長州の風雲児 高杉晋作>
       http://www.youtube.com/watch?v=Txf4MnDFZ2c&feature=related

<参考Web:あゝ高杉晋作/三橋美智也>
       http://www.youtube.com/watch?v=rJzZnBzVPUQ&feature=related

<参考Web:人と異なることを恐れるな>
       http://www.youtube.com/watch?v=x3nGVfymDgk

        <合掌 平成23年11月6日 頓首再拝>

馬関戦争後の、講和交渉 (6305)
日時:2012年01月25日 (水) 04時37分
名前:伝統

戦後、日本は経済的に発展したが、精神的弱さが目立つ。
しかし、かつての日本人は非常に強い精神力を備えていた。

幕末期、アジア諸国のなかで日本が独立国として地位を保ちえたのは、
当時の指導者たちが、欧米の列強に対してひるむことがなかったからである。

当時のイギリスのパークスという公使が交渉に臨む態度は、
まるで恫喝しているようだったという。

机をガンガンたたき、どなりまくる。
有色人種を馬鹿にしていたのだろう。
インドも、清国も、これでちぢみあがり、言いなりになった。

パークスは、これと同じことを日本でもやった。
交渉の相手は後藤象二郎である。後藤象二郎は、パークスの態度をせせらわらった。
何を馬鹿なことをいうのか。そんなことをいうのなら、この話は白紙に戻そう。

それで攻めてくるのなら攻めてこい。
こんなふうに、毅然たる態度で、パークスの主張をしりぞけている。

馬関戦争後の講和談判における高杉晋作は、それ以上に堂々としていた。

馬関戦争は、長州藩が欧米四カ国の連合艦隊と戦った戦争である。
無謀な戦いであり、当然、長州藩は惨敗した。

このとき、イギリスは、関門海峡の入り口にある彦島の租借を要求した。
彦島を植民地にしようとしたのである。

もし、高杉晋作がこの要求に屈していたら、日本にも植民地ができていたことになる。

四カ国連合艦隊の代表、クーパー提督の通訳だったアーネスト・サトウは、
旗艦ユーリアラス号に乗り込んできた高杉のことを、
「魔王のように傲然と構えていた」と、日記に書いている。

まるでどちらが負けたのかわからない態度で、
クーパー提督を相手に熱弁をふるったという。

  参考Web
   @後藤象二郎とパークス
    http://machi.monokatari.jp/a2/item_1372.html

   A馬関戦争
    http://www.ysn21.jp/furusato/know/03history/history11.html

             <感謝合掌 平成24年1月25日 頓首再拝>

幕末の志士400人を支えた商人〜その1 (6382)
日時:2012年01月28日 (土) 07時00分
名前:伝統

   *「人生に悩んだら『日本史』に聞こう」(ひすいこたろう/白駒妃登美・著)
    からの紹介です。


明治維新は、下級武士が中心になって歴史を動かしましたが、理念や情熱だけでは、
到底彼らの活動は続きません。活動資金が必要です。

当時、長崎の丸山で坂本龍馬率いる海援隊(亀山社中)に、京都の祇園では長州藩に人気が
集まっていましたが、それは、彼らが毎晩のように飲んで、食べて、芸妓を呼んで、
湯水のようにお金を使ったからです。

志士たちの生活費に旅費、それに遊興代まで工面し、彼らの活動を陰で支えていた存在が、
長崎や下関の商人たちです。

その代表的存在が、下関の豪商・白石正一郎です。

高杉晋作や伊藤博文など、地元・長州の志士たちはもちろん、西郷隆盛や坂本龍馬ら、
他藩の志士たちの面倒までみてやりました。
彼が援助した志士の数は、400人に及ぶと言われています。

なかでも高杉晋作との縁は深く、晋作が奇兵隊を結成したときに本拠地にしたのが白石邸なら、
維新史を大きく回天させた、長州藩俗論派打倒のクーデター・功山挙兵も、
彼の尽力があったればこそ。

高杉晋作の偉業の陰には、常に白石正一郎という最大の理解者の姿があったのです。
晋作が結核を患い28歳の若さで亡くなったときに、
葬儀委員長を努めたのも白石正一郎でした。


彼ら歴史の裏舞台を支えた商人たちは、金銭面の援助だけでなく、
志士たちの恋の手助けも買ってでてました。

白石正一郎は、晋作が愛人・おうのと生活するのを、物心両面で支えました。

病床に伏した晋作のもとに、妻の雅子が一人息子を連れて現れ、
愛人のおのうと鉢合わせますが、そのときも、正一郎は、陰になり日なたになり、
晋作とふたりの女性の間をとりなしています。


また、長崎の芸妓たちにモテモテだった坂本龍馬は、妻のお龍(りょう)さんを
下関に残して長崎に単身赴任していましたが、そのお龍さんに自邸の一室を提供し、
生活のすべての面倒をみたのは、下関の商人・伊藤助丈夫でした。

同じく、志士たちを援助していた商人に、大浦慶という女性がいます。
彼女は、長崎で日本茶の輸出を手掛けていたのですが、こんな言葉を残しています。

「田地田畑を買いこんでも、うちの場合人まかせにしてただ寝かせておくだけでっしょ。
それではお金に申しわけなかと思うとよ。そんなお金があれば、うちはこれと見込んだ人たち
に使うてみたか。その人たちがうちのお金で、何か、うちにできん仕事がしてくれる。
それを思うと楽しかとよ。だいいち世間さまへの恩返しにもなるでっしょ」

おそらく白石正一郎も同じ気持ちだったと思います。

<参考Web:功山挙兵
       http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-411.html >

             <感謝合掌 平成24年1月28日 頓首再拝>

幕末の志士400人を支えた商人〜その2 (6409)
日時:2012年01月29日 (日) 07時11分
名前:伝統


   *「人生に悩んだら『日本史』に聞こう」(ひすいこたろう/白駒妃登美・著)
    からの紹介です。

ここで想像してみてほしいのです。
400人の志士たちを応援するって、どれほどのことか・・・。
いくら豪商とはいえ、人生を賭けなければできるものではありません。

事実、白石家は、志士たちを援助しすぎて、1千両、現在の貨幣価値で1億円ちかい
負債を抱え、破産してしまうのです。

自分のお金が毎日毎日、ドンドン減っていき、やがて底をついていく。
それでも、日本のために人生を賭けられるのか?

白石正一郎だって、大いなる不安があったと思うのです。
大いなる葛藤があったと思うのです。
でも、覚悟を決めた。

自らが破産してまで、それでも新しい時代の幕をあけることに人生に賭け切った。


維新後は、白石正一郎が支えた志士たちが明治政府の要人になりますが、
彼らに何一つ要求することはなかったといいます。

歴史の表舞台にはけっして出てきませんが、主役となる者たちの活躍も、
彼らのように経済面で支える存在や、精神面を支える女性たちがいて、
初めて”歴史”になっていくのです。

報われたか、報われなかったか、という次元ではなく、
自分のことよりも大切にしたいものを見出せた白石正一郎、
そしてそのことに人生を賭け切った。

これほどすがすがしい人生があるでしょうか。


自分のことよりも大切にしたいものが見つかったとき、
人はサムライになる!

それが白石正一郎の人生だった。

             <感謝合掌 平成24年1月29日 頓首再拝>

高杉晋作の死生観 (6422)
日時:2012年01月30日 (月) 07時16分
名前:伝統


ある時、晋作は牢に囚われている松陰に手紙を出し、
「男子たる者の死」について質問している。

それに対し松陰は書簡でこう返答した。


【吉田松陰の高杉晋作宛書簡】
安政六年七月中旬 松陰江戸獄  高杉江戸。


  死は好むべきにも非ず、亦(また)悪むべきにも非ず。
  道尽き心安んずる、便ち是死所。

  世に身生きて心死する者あり、身滅びて魂存する者あり。
  心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶるも損なきなり。

  死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。
  生きて大業の見込みあらばいつでも生くねし


松陰が晋作に送った死生観に関するこの手紙が、
後の晋作の生き方に大きな影響を及ぼしたことは想像に難くない。

以降、こうした死に態(ざま)の示唆(しさ)は、高杉にとって、
大きな運命を決する方向性を与えました。

  *参考Web:幕末の革命児 高杉晋作
         http://www.yoshida-shoin.com/monka/takasugi.html

             <感謝合掌 平成24年1月30日 頓首再拝>

神国ニッポンを救った魔王のような男 (8332)
日時:2012年04月14日 (土) 20時21分
名前:伝統

    *メルマガ「名言セラピー(2012年04月12日)」より


幕末、アジアにおいて、

ヨーロッパ列強諸国の植民地にならなかった国はふたつしかありません。
タイと日本だけです。

でも、実は、日本も植民地になりかけたギリギリの場面があったのです。
それを奇想天外なアイデアで切り抜けたのは……

“あの男”です!
大ピンチのなかで、“あの男”は意外な方法で危機を脱するんです。


さて、日本を救った、意外な方法とは?



幕末において、もっともクレイジーだった藩。
それは、長州藩(現・山口県)でしょう。

なんせ、当時、世界最強の4ヵ国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)相手に
たった一藩で戦争をしかけたんですから。


山口県VSアメリカ+イギリス+フランス+オランダ

どう見たって勝ち目はありません(笑)

もちろん長州藩は敗れ去るわけですが、

このとき、

四ヵ国連合は長州藩に賠償金300万ドルを要求。
さらに、長州藩領土であった彦島の租借を要求してきた。

賠償金を払うのは戦争に負けたのだからやむを得ない。
しかし、彦島の租借、これは大問題です。

租借とは、ある国が、合意のうえ他国の領土の一部を借りること。

とはいえ、一度、租借されてしまえば
そこからうやむやに植民地化されてしまうのは、
中国の例でもあきらか。

当時、中国は、
外国人たちに好きなようにされ
屈辱的な生活を強いられていました。

交渉次第では日本も植民地にされてしまいます。

対する相手は、
アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、世界最強の4ヵ国。

こんな状況で
誰が敗戦交渉をつとめるのか?


「もう、あの男しかいない!」

そう声が上がりました。

しかし、当時、“あの男”は、脱藩の罪で逮捕されていたわけですが、

これほどの国難の前では“あの男”に頼るしかない。

超強気で、超威圧的な、世界最強の4ヵ国を相手に、
たった一人で立ち向かえるのは、

「あの男しかいない!」

そこで、脱藩の罪が許され“あの男”は登場したのです!

そう、彼です!→ http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/121_1.html

高杉晋作です。


ひりひりするような緊張感が漂う交渉当日、
現れた高杉晋作を見た連合側の外国人たちは、「なんなんだアイツは!」と衝撃が走ります。


なんと!

なんと!

なんと!

高杉晋作は仮装していたんです!(笑)


鎧直垂に陣羽織、立烏帽子という姿の
奇妙奇天烈な武者人形スタイルの仮装で登場。

そして晋作は仮装のまま堂々と、四国連合艦隊旗艦に乗り込んでいきます。

そして植民地化にもかかわる大問題であった彦島の租借に関して

晋作が発した言葉はこうです!

「天地初めて発けし時、
高天原に成れる神の名は、
天之御中主神、
次に高御産巣日神、
次に神産巣日神。
此の三柱の神は並独神と成り坐して、
身を隠したまひき……」


晋作は、「そもそも日本国なるは」と声高らかに日本最古の歴史書
「古事記」を朗読し始めたんです。

外国の皆様は意味がわからずポカンとしています……。

延々と、延々と、延々と、
古事記を暗誦続ける高杉晋作。

通訳として出席していた伊藤博文(後の初代総理大臣)は
「晋作は気が狂った」と慌てたらしい。

連合国側の通訳アーネスト・サトーも、
連合国側首脳部もあっけにとられた……。

何を言われても、晋作はひるむことなく古事記の朗読を続け、

しまいには、連合国側がウンザリして、

「まあ、いいか」
と彦島租借を取り下げたんです!

高杉晋作の人生をかけたウヤムヤ古事記朗読作戦。

これにて日本は救われました(笑)

アーネスト・サトーは後年、高杉晋作のことを
「負けたくせに傲然として怒っていて、まるで魔王のようだった」と語っています。


ウヤムヤ大魔王・高杉晋作に拍手です!


「おもしろき こともなき世を おもしろく」

これが高杉晋作、辞世の句です。


   <参考Web:1864年 連合国と講和談判
          http://www.takasugi-shinsaku.com/taka112.html >

             <感謝合掌 平成24年4月14日 頓首再拝>



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