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本流宣言掲示板


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「心を込めて『いただきます』『ごちそうさま』を…」 (425)
日時:2011年04月06日 (水) 18時44分
名前:伝統

以下は、「日本一心を揺るがす新聞の社説」(水谷謹人著)からの紹介です。

《命に合掌》

その絵本の帯に、一人の名も無い主婦のメッセージが書かれていた。
「朗読を聴いて、うちの娘が食事を残さなくなりました」
絵本に食肉加工センターの「坂本さん」という人が登場する。
実在の人物である。

坂本さんの職場では、毎日毎日たくさんの牛が殺され、
その肉が市場に卸されている。
牛を殺すとき、牛と目が合う。
そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。


ある日の夕方、牛を荷台に乗せた1台のトラックがやってきた。
「明日の牛か…」と坂本さんは思った。
しかし、いつまでたっても荷台から牛が降りてこない。

不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、
牛のお腹をさすりながら何か話しかけている。
その声が聞えてきた。
「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」

坂本さんは思った。
「見なきゃ よかった」


女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。
「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。
だけん、ずっと家に置いとくつくもりでした。
ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。
明日はよろしくお願いします…」

「もうできん。この仕事はやめよう」
と思った坂本さんは、明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。

しのぶ君はじっと聞いていて、一緒にお風呂に入ったとき、
しのぶ君は父親に言った。
「やっぱりお父さんがしてやってよ。心の無か人がしたら牛が苦しむけん」

しかし、坂本さんは休むと決めていた。
翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。
「お父さん、今日は仕事ば行かないけんよ!(仕事に行かないといけないよ)」


坂本さんの心が揺れた。そして渋々仕事場へと車を走らせた。
牛舎に入った。坂本さんを見ると、他の牛と同じように、
みいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。
ごめんよう」
と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。


殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。
坂本さんが、「じっとしとけよ、じっとしとけよ」と言うと、
みいちゃんは動かなくなった。

次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。
牛の涙を坂本さんは初めて見た。
      (『いのちをいただく』/西日本新聞社刊より)
〜〜〜〜〜

その小学校(熊本県)では、
助産師として日々キラキラと輝く命の誕生の瞬間に立ち会っている
内田美智子さん(福岡県行橋市)と、酪農家が心を込めて育てた牛を
毎日解体している坂本さんのお2人をお招きして、
「いのち」のお話を聴くという授業をしたのだった。

その絵本は、坂本さんの話を聴いて感動した内田さんが、
坂本さんにお願いして出版させてもらったのだそうだ。


その「いのちをいただく」(西日本新聞社)のあとがきに、
内田さんはこう書いている。


「私達は奪われた命の意味も考えず、毎日肉を食べています。
自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の
悲しみも苦しみも知らず、肉を食べています。


『いただきます』『ごちそうさま』
を言わずにご飯を食べることは私たちには許されないことです。
感謝しないで食べるなんて、許されないことです。
食べ残すなんてもってのほかです…」

考えてみたら、冷蔵庫って食べ物を腐らせないためにあるのに、
その冷蔵庫の中でいろんなものが腐ってはいないだろだろうか。

残さないで食べ切ることがどうしてこんなに難しいのか、
特に宴会やパーティーで…。

坂本さんも内田さんも、ステキな人だけど、
このお二人を呼んだ小学校もステキな学校だなぁと思う。


そう、私たちはいのちを食べていた。今日いただくいのちに…合掌。

*参考Web http://saisyoku.com/poem.html

          <平成23年4月6日>

手を合わしましょう!、命に合掌! (5079)
日時:2011年10月25日 (火) 04時27分
名前:伝統


    *以下は「朝にキク言葉」ひすいこうたろう・著 より

先日、無農薬でお米を育てている、ある農家さんを訪ねました。
その農家さんはこう言っていました。

「お米を作るようになって、変わったことといえば、雨の日がうれしくなりましたね」

私たちが普段、「あー、今日は雨がぁ」 なんて思っている日、
お米にとっては、農家さんにとっては、それは恵みの雨なんです。

また、寒い日が続いたときなんかは、お湯をたくさん田んぼに持っていき、
水面が凍らないようにずっとあたためていたりするのだそうです。

農家さんって、子どもが熱を出したときに、ひと晩中寄り添うお母さんみたい。
「土の状態はどうかな。水の状態はどうかな。雑草はどうかな」と、
いつも気を配っているのです。


あなたが今日食べるお米、そのひと粒ひと粒が、どれだけ愛情込めて
送り出されたお米なのかを、考えてみたことはありますか?

そこに思いをはせながらごはんをいただくこと。
それ以上の贅沢はないように思います。


「いただきます」という言葉は、食材の命をいただくことに対してのお礼を述べる言葉です。

「ごちそうさま」は、農家さんや漁師さんをはじめ、食材を作ってくれた人、
また、選んでくれた人への感謝の気持ちを伝える言葉です。

「ごちそうさま」、漢字で書くと「ご馳走さま」、
「馳走」とは「走り回る」という意味で、目の前のごはんをいただくことができるのは、
多くの人が走り回ってくれたおかげですよ、という意味です。


食べることを大切にする人は、自分の命を大切にできる人です。
食べることに感謝できる人は、自分の命に感謝できる人です。

すると、自然に、自分のこの「命」を何か大切なものに「使」いたくなってきます。
そこから始まるものが、あなたの「使命」です。


「いただきます」「ごちそうさま」という言葉、最高に美しい日本語です。

”心を込めて、「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせよう!”

       <合掌 平成23年10月25日 頓首再拝>

「いただきます」「ごちそうさま」は日本人の作法! (7593)
日時:2012年03月17日 (土) 06時50分
名前:伝統

   *竹田恒泰・著「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」(P95〜99」

(1)「食前と食後」の挨拶の言葉

  @米を一粒も残さない日本人の感覚は、
   食前の挨拶である「いただきます」に象徴されている。

   「いただきます」は「ごちそうさま」と並んで、
   英語などの主要言語に翻訳しにくい言葉である。

  A「いただきます」とは「あなたの命を頂きます」という意味であり、
   食材そのものに対する感謝の気持ちを表す言葉であるから、
   キリスト教徒が神に食事を感謝するのとも性質が異なる。

  B日本人の伝統的価値観によれば、食事とは、あなたの命を私の命に換えさせていただく、
   いわば命を交換する儀式なのである。

   人は生きていくうえで、毎日命を摂取しつづけなければならない。
   人は自分の力で生きているのではなく、
   大自然の恵みを頂きながら生かされているのである。

  C一方「ごちそうさま」は「ご馳走様」と書くことから分るように、
   食事を作ってくれた人と食材を生産した人に対する感謝の言葉である。

  D時間の流れのなかで言葉は変わってきたかもしれないが、
   日本人は縄文時代から1万年以上の間、
   食事のたびに食材と料理人・生産者に感謝の言葉を唱えつづけてきたのである。


(2)日本人の作法として

  @「いただきます」と「ごちそうさま」は現在では手を合わせて唱えるだけの簡単なものに
   なっているが、本来は一拝一拍手の後に和歌を詠み、続けて「いただきます」もしくは
   「ごちそうさまでした」を唱えるのが作法である。

   数が違うだけで基本的には神社参拝の二拝ニ拍手一拝の作法とかたちは同じである。
   参拝と食事の感謝が同じ作法であることからも、料理そのものが神であることが分かる。

  Aちなみに、食前の和歌は
   「たなつもの百(もも)の木草(きぐさ)も天照す日の大神のめぐみてこそ」で、

   食後の和歌は
   「朝よひに物くふごとに豊受(とようけ)の神のめぐみを思へ世の人」。

   最初の歌は、すべての草木が育つのは太陽の神である天照大御神の恵みを得ているからと
   いう意味で、次の歌は、食事をするたびに豊受大御神の恵みに感謝しましょうという意味
   である。

  B和歌こそ詠まなくても、せめて一拝一拍手は試してみてほしい。
   清々しい気持ちでおいしくお食事を頂くことができるであろう。

   食前感謝と食後感謝は、人は人として生きるうえで、
   神々、大自然、食材、生産者、料理人などに感謝する美しい日本人の作法であり、
   日本人としての最低限の振る舞いであるのです。

            <感謝合掌 平成24年3月17日 頓首再拝> 

「ごちそうさま」の向こうには・・・ (10312)
日時:2012年06月16日 (土) 05時00分
名前:伝統


    *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P83〜88)より

世界がもし100人の村だったら
 〜「世界がもし100人の村だったら 総集編」より


この村でつくられた穀物を、平等に分ければ
すべての人が、1日2800キロカロリーの食事をとることができます。

もし、めぐまれた25人が、肉や牛乳やバターをたべるのを
10%へらしたら、17人の栄養不足の人に穀物をまわすことができます。

もし、アメリカと日本の人がビタミン剤や健康食品につかうお金を
食糧不足の国ぐににまわしたら、11人が飢えずにすみます。

そんなのは夢だと、あなたはいうかもしれません。
でも、こうも考えてみてください。

コンビニやスーパーには、フェアトレード(公正貿易)のコーヒーも売っている
ところがあります。もしあなたがそれを飲めば、
ラテン・アメリカなどの小さな農園の農民は、きちんとした食事ができます。

もしもあなたが、草地で育った乳牛のミルクや
国産の餌で育った牛の肉を買えば、こんなにたくさんの穀物を輸入しなくてもすみます。

また、フランスのように、学校に飲みものの自動販売機をおくことをやめたなら、
若い人たちが、ソフトドリンクの飲みすぎで太りすぎることもなくなります。

(中略)

お金は、人気投票の手段です。
わたしたちは、より好ましい世界からやってくる、より好ましいたべものを買うことで、
より好ましい世界を少しずつ、でも確実に引き寄せることができます。

さあ、想像して下さい。

もしあなたが、もう少したくさんごはんをたべたり、国産の米粉でパンや洋菓子を焼いたり、
肉や卵や牛乳を少しだけへらしたり、工夫して、水道の水でおいしいお茶をいれたとしたら、

もしあなたが、地元でとれた野菜や魚を買って、自分で料理し、旬のくだものの皮をむき、
自分がたべられる分だけとりわけて、なるべくのこさないようにしたとしたら、
ごみを土にかえしたとしたら、

「ごちそうさま」の向こうには
どんな世界がひらかれるでしょう?

            <感謝合掌 平成24年6月16日 頓首再拝> 

「いただきます」 (10343)
日時:2012年06月17日 (日) 04時34分
名前:伝統


    *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P89〜92)より

大いなるものへの感謝

「いただきます」は、山のてっぺんを頂(いただき)というように、
本来は頭上に載せることを意味しました。

中世以降、自分より上位の人から物をもらう際に頭上に載せるような動作をする
習慣があったことから、「もうらう」の謙譲用法になったといわれてます。

やがて、上位の人からもらった物や神仏に供えた物を飲んだり食べたりするときにも、
頭上に載せるような動作をしてから口にするようになりました。

そのために、飲食する意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として
「いただきます」というようになったと伝えられています。
いまでも、仏教国のスリランカやチベットでは頭上に戴く習慣が残っているそうです。

また、浄土真宗によると、食材となった動植物に対する感謝を表す言葉だといわれています。
生き物である植物や動物の命を絶って、調理し、
「あなたの命をいただいて、私の命とさせていただきます」という思いを込めたものだというのです。

動植物への感謝だけではありません。
調理してくれた人や食材を調達してく人、漁師や農家の人々、
ひいては種から育ててくれた人々への感謝を表す言葉です。

もっといえば、動植物を育んでいるのは人間だけではありません。
大地、光、水、大気という自然の恵みがなくては、野菜一つ育てられません。
地中ではミミズやバクテリアがはたらき、ハチや蝶が媒介して花を咲かせ、実をつけます。

その花の蜜や樹液、木の実などを食べて生きている虫や小動物がいて、
それらを食べる動物もいます。死んだ動物は土に戻り、微生物によって分解されて、
植物の養分となります。こうした巧みな循環がなされるからこそ、野菜が育つのです。

人間は、手を貸しているのであって、大いなる自然、サムシング・グレートが命を
つくっているわけです。

だから、「いただきます」というとき合掌するのは、食材になった動植物を供養するだけでは
なく、神仏に手を合わせるように、やはり人間を超えたものに対する尊敬と敬虔な気持ちから
手を合わせるのではないかと私は思っています。

(中略〜ある小学校の給食の時間に、「いただきます」をいわせないでほしいと言う、
    保護者まででているという話もあります)

「いただきます」精神が失われているから、「もったいない」もわからないのです。
考えてみれば、命あるものを何の断りもなく殺して食べているわけだから、ひどい話です。

せめて、「いただきます」と感謝して、「おいしい、おいしい」といってよろこんで食べて、
「もったいない」という気持ちで残飯を減らしていかなければいけないのではないでしょうか。


・・・・以下は、参考として、
    「世界がもし100人の村だったら Bたべもの編」
     (池田香代子・著、マガジンハウス 編)より


      さんまの塩焼きに
      さといもの煮っころがし
      あとは、ご飯と味噌汁と漬け物
      これが、4、50年前の日本の
      ありふれた夕ごはんでした。
      ほとんどの人が
      家族とともに食卓を囲む時代でした。
      1人が1年に112キログラム
      いまの2倍の米をたべていました。

      貧しい食事だと思いますか?
      でも、このころの日本は、たべものの
      80%近くを、自分たちでつくっていました。
      万が一、外国から食料が入ってこなくても
      じゅうぶんやっていけました。

      そして
      21世紀になりました・・・


      世界には65億人の
      人がいますが、
      もしもそれを
      100人の村に縮めて
      〈たべもの〉のありかたを
      見てみると
      どうなるでしょう。


      村びと100人のうち
      16人は、1年を110万円以上で暮らし、
      いろいろなものをたくさんたべています。
      そのうち
      2人は日本の人で、1年を
      平均360万円で暮らしています。

      43人は、1年を64万円で暮らし、
      きちんとたべています。

      41人は、1年を8万円以下で暮らし、
      ときどきしかたべられません。


      そのうち12人は
      戦争や、干ばつや洪水や砂漠化のために
      いつもお腹をすかせています。
      この12人のうち
      3人は、インド
      2人は、中国
      3人は、ほかの地域のアジア
      3人は、サハラ以南のアフリカ
      1人は、ラテン・アメリカに住んでいます。
      その多くは、農村の女性や子どもです。


      100人のうち、1人に満たない
      アメリカの農民が、
      41%の大豆
      38%のとうもろこしをつくっています。
      アメリカは村いちばんの穀物輸出国です。

      この村には、20人の中国人がいます。
      そのうち、14人が農民です。
      この14人が、村全体の
      半分ちかくの野菜をつくっています。
      キャベツ、トマト、たまねぎ、きゅうり、
      にんじん、すいかなどです。
      卵、米、肉類、いも類も、中国の農民が
      いちばんたくさんつくっています。
      それでも、中国はこの村で2番目に
      たくさんのたべものを輸入しています。


      世界がもし100人の村だったら
      1年のあいだに
      75人は、20キロの
      25人は、80キロの
      肉をたべています。

      1人が1年にたべる肉は
      インドでは、5キロ
      中国では、45キロですが、
      イタリアでは、80キロです。

      家畜の餌は穀物です。
      肉や牛乳や卵をたべるということは、
      穀物を食べることです。
      たとえば、1キロの牛肉をたべると
      11キロの穀物をたべたことになります。


      たべものをつくるには
      たくさんの水がいります。
      村でつかわれる水の
      70%は、農業につかわれています。

      1キロの米をつくるには
      4トンちかい水がいります。
      1キロの牛肉をつくるには
      20トンの水がいります。

      牛丼1杯には、2トン以上の水がいります。

      いっぽうで
      16人の村びとは
      料理につかうきれいな水がありません。
      40人の台所には
      下水施設がありません。

      畑でトラクターをうごかし
      化学肥料や農薬をつくり
      たべものを工場で加工し
      包装するものをつくり
      運ぶには、石油がいります。

      アメリカの4人家族は
      1年にたべる牛肉のために
      1000リットルの石油をつかいます。
      アメリカでは、石油の
      15%を、たべもののためにつかっています。


      村では、この30年のあいだに
      穀物が1.5倍以上とれるように
      なりました。
      肥料は4倍以上つかわれるように
      なりました。
      肥料や農薬のつかいすぎで
      村の農地の65%は
      すっかりおとろえています。

      村の水田のうち、日本の水田は
      1.6%です。でも
      村の、稲作のための農薬のうち
      半分以上は、日本がつかっています。


      ヨーロッパは、せまい国がほとんどです。
      でも、食糧自給率は
      フランスが、121%
      ドイツが、99%
      イギリスが、61%です。

      日本の食糧自給率は
      40%です。
      わたしたちのからだの
      60%は、
      よその国の資源をつかって、
      よその国の人がつくった
      たべものでできています。

      日本の穀物自給率は
      28%です。
      砂漠の国、サウジアラビアは
      29%です。
      日本の大豆の自給率は5%、
      小麦も野菜も、おおかた輸入です。
      和牛の餌も
      70%以上は輸入です。

      日本のわたしたちは
      世界でいちばんたくさんの
      たべのこしを捨てています。
      わたしたちが捨てるたべのこしは、年に
      2000万トン以上です。
      世界の食糧援助量は、年に
      1000万トンです。

            <感謝合掌 平成24年6月17日 頓首再拝> 

もったいない (10420)
日時:2012年06月20日 (水) 06時56分
名前:伝統

    *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P73〜79)より

「もったいない」の「もったい」とは、物の本体を意味する「勿体」のことです。
もともとは「物体」と書き、「ない」はその否定語で、
「もったいない」とは、物の本体を失うことをなす言葉でした。

「もったい」には、重々しく威厳をもつものという意味もあり、」それを「なし」にする
ことから、畏れ多い、むやみに扱うのは不届きである。その物本来価値が生かされず、
むだになるのが惜しい、という意味で使われるようになったのです。

『もったいない「完全保存版」』(プラネット・リンク編、マガジンハウス)には、
こんな例が紹介されています。

   ・・・

   日本には古くから
   「お酌」という風習があります。

   目上の人や年長者からお酌してもらうと、
   「畏れ多い」という意味の
   「もったいない」気持ちになるのでした。

   そんな感情も風化しつつあります。

   ・・・

   高校受験の日、
   お母さんがせっかく作ってくれたお弁当を、
   電車の網棚に忘れました。

   こういうときの「もったいない」は、
   お弁当を失った無念さよりも、
   お母さんの真心を置き忘れてしまった
   「申し訳なさ」なのです。

   ・・・

   肉や魚を食べるということは、
   生きものの命をいただき、
   人間が生き延びる糧にするといういうこと。

   ですから、決して粗末にはできません。

   日本人は昔から慈しみの心をもって、
   魚を頭、内臓、骨、皮まで、
   余すことなく食べてきました。

   しかし、今では漁師町の名物料理などしか、
   お目にかかることはできません。

   ・・・

物的損失を惜しむ気持ちは、「もったいない」の一面にすぎません。
何よりも重要なのは、失った物をつくるのに費やされた努力とか労力とか、
形には表れない大切なものに対する感謝の気持ちが込められているということです。

世の中の事物すべてをさす「物体」は、単独では存在しえない縁のつながりも意味します。
そうした縁の連鎖や万物の命に感謝すると同時に、それらを無にする行為を惜しみ、
嘆く気持ちがないまぜになって、日本独特の精神世界をつくってきたわけです。

年配の日本人は、ご飯の最後の一粒まで食べます。
親や教師から、お米をつくるために、
お百姓さんがどれぐらい努力されたか教え込まれましたから、

(お米を、「八十八」と書くのは、八十八回、農家の人が手を入れているという意味です)

しかも、植物をつくっているのは人間だけではなくて、
太陽や水、空気、ひいてはそれを授けてくれた「サムシン・グレート」なるものが
いらっしゃる。

だから、お米一粒でも粗末にしたらもったいなのです。

人間はお米をつくるヘルパーにすぎません。


この宇宙のすべてのものは、循環とバランスで成り立っています。

たとえば水は、水蒸気となって雲になり、雨や雪となって大地に降りそそいで、
川の流れをつくって海にそそぎ、再び蒸発して雲になります。このように水は形を変えて
地球をめぐり、バランスを取りながら多くの生命を育んでいるのです。

この自然の循環システムのどこか一つでもひずみが生ずれば、
異常気象を引き起こし、私たちの生命は危うくなります。

日本人は縄文時代から、自然を破壊して人間社会をつくるのではなく、
自然と共生してきました。

その歴史のなかで培われた「もったいない」という精神は、使い捨てをせず、
循環させて、物を生かすという考え方で、自然の循環の原理にかなっているのです。

            <感謝合掌 平成24年6月20日 頓首再拝> 

ごちそうさま (10522)
日時:2012年06月24日 (日) 06時07分
名前:伝統


    *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P92〜94)より


食後は「ごちそうさま」といいますが、
本来「ごちそう」の「馳走」は、「馬で走りまわる」ことをいいました。
そこから、「走りまわって用意したものでもてなす」という意味に転じたようです。

職にたずさわっているすべての人に対する感謝の意味で「御」と「様」がついた
「ごちそうさま」が食後の挨拶として使われるようになったのは、
江戸時代後半いわれています。

浄土宗の作法では、「いただきます」と同じように手を合わせて、
食事を恵む神仏に対する敬意と感謝を表しています。

最近の調査によると、一人で食事をするときに、
「いただきます」をいうのは60.7%、
「ごちそうさま」は53.0%と少なくなってきています。

本来の意味を理解していれば、一人のときでもいえるようになると思うのですが。

外国には「いただきます」「ごちそうさま」に該当するような食前食後の挨拶はありません。
ヨーロッパに留学していた知り合いの女性は、しかたなく日本語で通したそうですが、
「それは神様に対する感謝の言葉なのか」と聞かれたそうです。

そこで、食事に対する感謝を表す言葉だと説明したら、
ホームステイ先の家族は非常に感動して、
彼女と一緒に「いただきます」「ごちそうさま」と唱えていたといいます。

            <感謝合掌 平成24年6月24日 頓首再拝> 

お米を大切にする心 (11260)
日時:2012年07月14日 (土) 07時50分
名前:伝統

   *竹田恒泰・著「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」(P47)より

神社では二拝ニ拍手の作法で参拝するのが通例だが、食事と食後に、食事に向かって
一拝一拍手をするのが日本における食事への感謝の作法である。

食事は神霊を帯びた御饌(みけ)のお下がりで、食事そのものを神と考え、
それに対して感謝の気持ちを込めて一拝一拍手をする。

そして「いただきます」という言葉は、
もともと「あなたの命を頂きます」という意味である。

人が生きていくためには、動植物の命を摂取しつづけなくてはならない。
日本人はおそらく縄文時代から、食事をするたびにこのように大自然の恵みに感謝してきた。

だから、昔から、米を一粒でも食べ残すと目が潰れるといって、
子どもたちに米を大切にする心を教えてきた。

日本人の食事に対する意識は異邦人とはまったく異なるのである。

            <感謝合掌 平成24年7月14日 頓首再拝> 



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