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(削除) (5621)
日時:2011年12月09日 (金) 23時32分
名前:システムメッセージ

投稿された方の依頼により、2014年09月07日 (日) 21時41分に記事の削除がおこなわれました。

このメッセージは、設定により削除メッセージに変更されました。このメッセージを完全に削除する事が出来るのは、管理者の方のみとなります。

アメリカの対日先制爆撃計画 (1) (5663)
日時:2011年12月12日 (月) 20時07分
名前:歴史

前座としての紹介です。

       <Japan On the Globe(H23.12.11) 国際派日本人養成講座より>

(1)ルーズベルト大統領が語らなかった真実

   70年前の昭和16(1941)年12月8日、日本の真珠湾攻撃の直後、
   ルーズベルト大統領が行った上下両院合同議会での演説はラジオで全米に放送され、
   数百万のアメリカ人が聴き入った。

   その演説の中で、大統領は真珠湾攻撃を
   「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」と非難した。

   __________
   しかしながら、その中で合衆国大統領は、アメリカの爆撃機による日本本土に対する
   焼夷弾爆撃を後押しする計画があったことを明かさなかったし、ビルマで活動を
   展開中のアメリカ特別航空戦隊の件にもいっさい触れていない。[1,p295]
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   こう語るのは『「幻」の日本爆撃計画』の著者アラン・アームストロング氏である。
   氏は膨大な公文書から、大量の爆撃機とパイロットを中国に送って、中国から
   日本本土を爆撃しようとするJB-355と呼ばれた計画の全貌を明らかにした。

   氏は結論部でこう述べている。
   __________
   JB-355計画が生まれた政治状況は、アメリカが公式には交戦状態にない時期に、
   事実上、一交戦国を援助し、軍事行動を率先して計画・実行しようとした
   アメリカ大統領の姿を明らかにしている。

   もし1941年の夏に、JB-355計画の全貌がアメリカ国民に知られていたとしたら、
   大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない。[1,p319]
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   ルーズベルトはこの前年に3選を果たしたのだが、その時の公約は、
   欧州で生じていた第2次大戦に米国は決して参加しないというものだった。
   当時、参戦に賛成する米国民は3%しかいなかった。
   その米国民には極秘で、こんな策謀を進めていたのである。

(2)「中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだ」

   1940(昭和15)年12月8日、真珠湾攻撃の1年前に、財務長官のモーゲンソーは
   蒋介石の代理人である宋子文とともに、ルーズベルト大統領との昼食会に出席した。

   当時の蒋介石政権は内陸部の重慶にまで追い詰められていた。
   また米国は、石油や鉄鋼の対日輸出を禁じていたが、
   あくまで経済的制裁にとどまり、建前としては中立の立場を維持していた。

   昼食会後の宋子文との会話を、モーゲンソーは以下のように記録している。

   __________
   そこで私は、1942年までに航空機を提供できるかもしれないが、東京や日本の
   その他の都市を爆撃するために使うという了解の下で、長距離爆撃機を数機供与する
   というアイデアについてどう思うか、と宋に尋ねた。
   彼の反応は、控えめに言っても熱狂的だった。・・・

   私は宋に、この件に関して大統領とは相談していないと言ったが、それが大統領の
   アイデアであることはほのめかした。事実、部分的にはそのとおりで、なぜなら、
   大統領は私に、中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだと語ったからだ。
   [1,p68]
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   「中国側がこれを実行するなら、極東情勢の全貌が一夜にして変わると私は確信して
   いる」とモーゲンソーは記している。

(3)日本の都市は「木材と紙だけでできている」

   この会談の後、宋子文は蒋介石の覚書をモーデンソー経由でルーズベルトに提出した。
   その中にはアメリカとイギリスから派遣されたパイロットと整備工によって機能する、
   200機の爆撃機と300機の戦闘機からなる特別航空戦隊の結成を提案しており、

   また日本から1000キロ以内の範囲に、利用可能な軍用飛行場がいくつかある事を
   指摘していた。

   モーデンソーの記録では、この覚書を読んだ大統領は「非常にご満悦」であり、
   即座に具体的な計画の策定を命じた。

   そこでモーゲンソー、宋子文、さらに中国空軍の幹部・毛邦初将軍、毛にスカウト
   されて米陸軍航空隊を除隊し、中国空軍を指導していたクレア・シェノールトが
   参加して、具体的な計画を打ち合わせた。

   その中で、モーゲンソーは、日本の都市は「木材と紙だけでできている」ので、
   焼夷弾の投下を勧めた。
   なぜ財務長官であるモーゲンソーがこんな事まで知っているのか。

   実はこの数ヶ月前、東京のアメリカ大使館付海軍武官から次のようなレポートが
   送られていた。

   __________
   (日本の家屋の)100中99は、驚くほど早く引火する薄手の木材で建てたものだ。
   日本の都市一帯に焼夷弾をばら撒けば、これらの都市の主要な部分は灰燼に帰すだろう。
   ・・・
   輸送施設はすでに過密であり、民間人の避難は著しい困難を伴うだろう。
   日本のすべての家庭はすでに満員の状態だから、難民の収容施設は限られている。

   飛行機工場、鉄鋼・ガス会社、主要交通機関、政府建物などを含む重要な爆撃目標の
   完成したリストは、近く作成し、送付するものとする。[1,p106]
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   日本爆撃のアイデアは、ルーズベルトの個人的な思いつきというより、
   ある程度、組織だって準備されつつあった、ということを窺わせる。

   それにしても、この海軍武官のレポートからは、一般市民への無差別爆撃が
   重大な戦争犯罪であるという認識のかけらも感じられない点に留意したい。

アメリカの対日先制爆撃計画 (2) (5664)
日時:2011年12月12日 (月) 20時09分
名前:歴史

(4)ソ連スパイだった大統領補佐官の後押し

   しかし、この計画はマーシャル参謀総長が疑問を呈したために、一時停滞した。
   彼は、イギリスが対独戦のために爆撃機を必要としており、中国に多くの爆撃機を
   送ることは、それだけイギリスを劣勢にする、と主張したのである。

   日本爆撃の計画を再び推し進める原動力となったのが、大統領補佐官として
   中国を担当していたロークリン・カリーだった。

   カリーは1941年春に中国を訪れ、5月に米国に戻ると、大統領宛てに覚書を書いた。
   大統領からは、航空機供与を含む対中支援計画を進めるよう指示が出された。

   カリーは、マーシャル参謀総長にも文書を送り、京阪神地域と京浜工業地域への
   空爆を提唱し、そのために同年10月1日までに中国に350機の戦闘機と
   150機の爆撃機を提供することを提案していた。

   カリーは戦後、ソ連のスパイとして追及され、本人は容疑を否定しつつも、
   南米コロンビアに逃れた人物であった。カリーがソ連と極秘情報のやりとりを
   していた事実は、その後、米暗号解読機関が確認している。

   著者のアームストロング氏はこの点を深く追求していないが、当時の状況から見れば、
   ソ連のスパイとして、カリーが対日爆撃計画に注力したのは当然と思える。

   日本が蒋介石政権を打倒し、中国全体を支配すれば、毛沢東の中国共産党も一掃
   されてしまう。ソ連はドイツからのみならず、背後から日本の脅威を受ける。
   日本と蒋介石を戦い続けさせて共倒れにさせることが、ソ連にとって一石二鳥の
   戦略なのである。

   また米国を対独・対日戦に参加させることは、ソ連を大きく有利にする
   もう一つの戦略であった。

   ルーズベルトは、最後通牒とも言うべきハル・ノートを送って、
   日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃に立ち上がらせたのだが、
   その案を作成したハリー・デクスター・ホワイトもソ連のスパイであった。

   この時期のルーズベルトは、スターリンの送り込んだスパイたちによって
   操り人形となっていた感がある。対日爆撃計画もその一環ではなかったか。

(5)ルーズベルト大統領の計画了承

   カリーの対中航空機供与計画は、一部修正された後、5月28日に提出され、
   陸海軍首脳部の承認を受けてから、JB-355計画としてルーズベルト大統領に提出された。
   ルーズベルトがサインをした計画書の原本が写真で公開されている。

   ルーズベルトは、計画書にこうメモして、承諾を与えている。

   __________
   「1941年7月23日。了解ーーただし、軍事使節団方式を採るか、
   アタッシェ(大使館付武官)方式を採るかについては再検討されたし。
   FDR(JOG注: フランクリン・デラノ・ルーズベルトの頭文字)
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   軍事使節団方式か、アタッシェ方式か、とは、中国での米軍機による
   「特別航空戦隊」の将校たちを、どういう規模と形で送るか、という問題だった。
   当然、アタッシェ方式の方が目立たないが、人数が限られる。

   航空機の供与は、この年3月にルーズベルト大統領が成立させた武器貸与法によって
   合法的に実施できた。この法律は、大統領の判断で、あらゆる軍需物資を売却、
   あるいは貸与できるというもので、これ自体が中立国としての国際法違反の疑いがある。

   しかし、この武器貸与法によって、中国軍がアメリカの戦闘機や爆撃機を使っていても、
   米国内向けには「米政府が売った、あるいは貸したもの」と言い逃れができる。

   しかし人員まで提供したとなると、ごまかしは効かない。
   米軍軍人が中国で日本爆撃を行う「特別航空戦隊」を指揮していたとなれば、
   ルーズベルト政権は議会の承認を受けずに、実質的に米国を対日戦に参加させていたと
   非難されるのは確実である。

   これが冒頭で、アームストロング氏が「大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない」
   と述べた問題であった。したがって、JB-355計画は米国民に知られないように、
   極秘のうちに進めなければならなかった。

(6)民間義勇兵という擬制

   より深刻な人員問題は、アメリカの最新鋭戦闘機・爆撃機のパイロットや整備士を
   どうするか、ということであった。飛行機は大量生産できるが、人材の育成には
   時間がかかる。

   中国空軍も中国人パイロットの育成を図っていたが、そのレベルは低いものだった。
   1941年3月に成都上空で行われた空中戦では、日本軍の12機と中国軍の31機の
   戦闘機が交戦した。

   中国軍はすぐに編隊を崩したが、日本軍は2機編隊で中国機を追い詰めた。
   1時間の戦闘後、日本軍機は燃料が不足し始めて帰還したが、
   目に見えた損害はなかった。

   一方、中国軍は15機が撃墜され、8名のパイロットが生命を落とした。

   中国人パイロットの技量がこの程度だったので、膨大な数の米国の戦闘機、
   爆撃機を中国で使うためには、それに相当するアメリカ人パイロットと整備士も
   送らなければならなかった。しかし、現役の軍人を送ることは許されない。

   そのために、現役の軍人を退役させ、あるアメリカ企業の中国現地法人である
   民間会社が彼らを雇って、義勇兵として活動させる、という擬制をとった。

   報酬は倍となり、また日本の飛行機を1機撃墜するたびに500ドル支払われる
   という好待遇だった。しかも1年の任期の後は、ふたたび、もとの地位で米軍に
   復帰できるという条件付きであった。

   アメリカから中国に供与された第一陣、戦闘機100機の要員として、
   100名のパイロットと200余名のサポート要員が1941年6月初旬、
   サンフランシスコから船で出航した。

   彼らはビルマのジャングルに送られ、最新鋭のカーティスP〜40戦闘機の
   操縦訓練を受けた。

アメリカの対日先制爆撃計画 (3) (5665)
日時:2011年12月12日 (月) 20時10分
名前:歴史


(7)「理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には」

   しかし、爆撃機が中国に送られる前、12月8日に日本の真珠湾攻撃が敢行され、
   アメリカの「特別航空戦隊」は、戦闘機のみの戦隊として、日本軍に戦いを挑んだ。
   これが「フライング・タイガーズ」と呼ばれる「アメリカ人義勇兵部隊」の正体
   である。

   日本政府・軍部は、アメリカの先制爆撃計画の情報をつかんでおり、
   真珠湾とフィリピンの米軍基地、それに中国内陸部への攻撃によって、
   米爆撃機の中国移送を不可能にさせた。

   1942年4月18日、米空母から発進したB〜25爆撃機16機が東京、横浜、
   横須賀、名古屋、神戸に爆弾を投下したが、目立った損害は与えられなかった。

   その後、燃料が切れたために、1機はウラジオストックに、
   4機は中国東部沿岸地方に不時着し、残りは乗員がパラシュートで脱出し、
   全機が失われた。

   これは、日本爆撃計画を不完全になぞらえた作戦であるが、中国と西太平洋の
   制海・制空権なくしては、もともと無理な計画であった。

   米軍が日本空爆を実施したのは、1944(昭和19)年7月のサイパン島攻略後、
   同島からB29を発進できるようにした後であった。

   「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」とルーズベルト大統領は
   真珠湾攻撃を非難したが、その1年も前から自らリーダーシップをとって、
   日本への爆撃計画を進めさせていた事実は、闇から闇に葬られた。

   しかしアームスストロング氏の労作は、
   米国の公文書を使って、その事実を暴きだした。

   この経緯は、東京裁判で日本無罪論を主張した
   インドのパール判事の次の言葉を思い起こさせる。

   __________
   時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を
   剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
   過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



  1. アラン・アームストロング『「幻」の日本爆撃計画』★★、
    日本経済新聞出版社、H20

   『「幻」の日本爆撃計画』については、次のWebも参考になります。
   http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid591.html

       <Japan On the Globe(H23.12.11) 国際派日本人養成講座より>

「ルーズベルトは狂気の男」 フーバー元大統領が批判 (5706)
日時:2011年12月14日 (水) 17時19分
名前:歴史


前座、第二弾としての紹介です。


フーバー元大統領は第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。
46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。

その際、フーバーはマッカーサーに対し、
日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。

在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、
日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

*ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)


ルーズベルトの対日経済制裁

●1939年
7月26日、米国が日米通商航海条約を破棄

●1940年
1月4日、米国が錫、屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 
6月5日、米国が工作機械の対日輸出を禁止
7月31日、米国が航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止
9月26日、米国が屑鉄の輸出を全面禁止

●1941年
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる
     日本本土爆撃計画に署名

7月25日、在米日本資産を凍結

8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止

11月26日、ハルノート提示

12月7日、真珠湾攻撃


 産経ニュースより、
 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4476.html



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