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愛される桜 (7879)
日時:2012年03月31日 (土) 06時41分
名前:伝統


(このスレッドでは、”桜”に関する情報を紹介して参ります)

【束の間の美だからこそ、愛される桜】

     *ドナルド・キーン(平成24年3月30日読売新聞)の記事より

桜はどうして、これほど日本人に愛されているのでしょうか。
もちろん美しいからですが、もう一つの理由は花が長続きせず、束の間の美だからです。
日本人が愛するのは、桜の儚さにあると思います。

花は散り、形あるものは壊れる。
何事も永遠には続きません。
まさに無常ですが、日本ではそうした物事が変わり続けることが受け入れられて来ました。

その中で、早く散る桜が美の象徴として崇められるように至ったのは不思議ではありません。

西洋では永遠の美を求めて、大理石で宮殿を建てました。
しかし、日本では大理石どころか煉瓦の建物さえ多くありません。

とにかく、桜は日本中で愛されており、
毎年の春に「桜前線」が予想されるのは、世界中で間違いなく日本人だけです。

桜は日本人にとってはただの花ではないのです。
春の訪れを告げて、わずか数日の栄光に彩られた後、あっさりと散ってしまう桜こそは、
日本においてはすべての花を代表する花と言えるでしょう。

          <感謝合掌 平成24年3月31日 頓首再拝>

古(いにしえ)より愛されてきた「桜」 (7915)
日時:2012年04月02日 (月) 04時24分
名前:伝統

以下は、百人一首に収められている「桜」を歌ったものです。


『花の色は うつりけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』

『ひさかたの 光りのどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ』

『いにしえに 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな』

『もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし』

『高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ』

『花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり』


 
 百人一首では桜を歌ったものは6つ程ですが、
 万葉集に詠まれた桜の歌は40首、対する梅の歌は118首あるそうです。


 奈良時代には、花と云えば梅を指し、
 平安時代になって花と云えば桜を指すようになったと云います。

 奈良時代に中国の思想をもとに造営された平城京、そしてそれを受け継ぐ平安京、
 その平安京では御所の紫宸殿(ししんでん)前にあるのは当初「左近の梅」でしたが、
 菅原道真の進言によって桜に代わったと云います。

 
 ただ、奈良時代より以前の神話の時代の話では、これまた花と云えば桜だったようです。
 
 日本の代表的な花は、奈良時代を除けば、「桜」であったことは間違いがないようです。


 さくらの語源については、いくつかの説があります。
 その一つに、古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが
 転化したものだという説があります。

 また、さくらの「さ」は穀霊(穀物の霊)を表す古語で、「くら」は神霊が鎮座する場所を意味し、
 「さ+くら」で、穀霊の集まる依代(よりしろ)を表すという説があります。

 昔から、桜の開花が農作業の目安の一つになっていたことを思えば、
 いにしえの人々が桜に実りの神が宿ると考えていたようです。

          <感謝合掌 平成24年4月2日 頓首再拝>

三日見ぬ間の桜かな (7943)
日時:2012年04月03日 (火) 04時27分
名前:伝統

西行法師の「桜」の歌も有名です。

西行法師は、NHKの大河ドラマ平清盛では、佐藤 義清です。
北面の武士として鳥羽院に仕えています。
23歳で出家し、漂泊の歌人として多くの和歌を残しました。

その西行法師の桜の歌に

「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ しのびし人に逢う心地する」

があります。この歌からも桜をこよなく愛した心が伝わってきます。

・・・

さて、『古(いにしえ)より愛されてきた「桜」(7915)』にて、
百人一首に収められている「桜」の歌を紹介しておりますが、

百人一首以外で、「桜」を歌ったもので、次の歌も有名です。


 ・【さまざまの こと思い出す 桜かな】芭蕉

 ・【世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし】(在原業平)

 ・【散る桜 残る桜も 散る桜】

 ・【三日見ぬ間の桜かな】


谷口雅春先生も講話テープの中で、「三日見ぬ間の桜かな」を引用して、
ぱっと咲いて、ぱっと散るような桜ですが、自然界の豊かな表現として、
神様は人間に愛でてもらえるように置かれているのであり、無駄なものは
一つもないのでありますと説かれております。 

・・・

谷口雅春先生の説かれた「音霊」では、

「サ」行の音霊は「サ」の響きでよくわかるように、さらさらとした、
爽々(さやさや)としたさっぱりとした、明し(さやけし)とか、
「さわやか」というような意味があるのであります。

蕾の状態は、まだ凝り固まっていますけれども、「咲く」というと「サッ」と
開いてしまう。これが「花咲く」という相(すがた)であります。
「木花佐久夜毘賣命」の「花佐久」が此の精神であります。

   (*以上は、谷口雅春先生・著「真理第4巻」より)


また、あるWebでは、次のような紹介もあります。

<桜の花は、なぜあんなにも早く散るのでしょう?>


サクラの冒頭の言葉『サ』

「サの神」は、みんなにわけるために持ってきた「幸(さち)」を、
いったん桜の花びらに閉じ込めたのです。
その一枚一枚に。

ですから、
桜のそれぞれの花びらには幸せがギューッと詰まっていると日本人はとらえたのです。
そして、その幸せは、桜が散ることで一斉にあたりに振りまかれます。
みんなに幸せを届けるために、桜は早く散る必要があったのです。

みんなにその幸せを届けるために散り急ぐ。
早く早くみんなに幸せをわけたいから。
それが桜なのです。


【三日見ぬ間の桜かな】ではありますが、日本の「桜の花」は、
その短い生涯を短期間でその「生命(いのち)」を輝かせ、
日本の国土に住まう人々に、喜びと勇気を湧かせてくれます。

          <感謝合掌 平成24年4月3日 頓首再拝>

京都の桜 (7990)
日時:2012年04月04日 (水) 04時26分
名前:伝統


     *メルマガ「大和しうるわし(2012年03月24日)」より

(この世に)永遠不滅のものはない・・・奇跡の連続


奈良の吉野の桜を一目見てみたいと願う、大和人の心根が、
今の京都の桜につながっているのです。

西行法師の辞世

「願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」

は有名です。

西行が亡くなったのは今の3月30日ごろですから、
まさに桜の咲き始める時なのですから、あまりにも見事です。

この世に永遠不滅のものなどどこにもありません。
形あるものは壊れ、すべてなくなってしまうものです。

人の命も同じです。いつかは消えてなくなってしまうこの命です。
その儚さを、桜の咲き姿・散り姿に見ることができる日本人の感性が素晴らしいのです。

春になり咲き誇った桜が、儚く散ってしまう。
どの桜もすべて散ってしまう。
そして、厳しい冬を乗り越えて、今年の春の訪れとともに、桜は甦ってきます。

いつも桜の木を見るたびに、
「この木は、花を咲かせることを誰に教えてもらっているのだろう?」
と不思議になります。

毎年決まった時に花を咲かせるのですから、
桜の木は、はっきりと季節を感じているのでしょう。

毎年咲く桜も、いつも同じではありません。
毎年毎年咲き姿は違うのです。

それは、私たちの置かれている環境が変わったり、その時の気持ちまでも変わっているからです。
昨年見た桜と、今年の桜は同じ場所に咲いていても、
私たちの心に映る桜の姿は当然違ったものになります。

「一生に一度、心に残る桜に出会いたい」と願う心が大切です。

今年は辰歳ですが、壬辰歳は60年に一回しか訪れません。
ですから、今年の春は生きている間には二度と来ないということになります。

人生は一度きり、いつ終わるかわからない命です。
できる時に、できることをしておくことが大切で、
亡くなってしまってからではできなくなるのです。

<参考Web>

(1)京都 桜 kyoto sakura 2011
   http://www.youtube.com/watch?v=Yv5mijLWRqQ&feature=related

(2)2010京都春景(動画)
   http://www.youtube.com/watch?v=MS2FzRq0g7Y&feature=related

(3)満開の京都の桜 CHERRY BLOSSOM in KYOTO 花の名所案内
   http://www.youtube.com/watch?v=Ib0mexLoGCU&feature=related

          <感謝合掌 平成24年4月4日 頓首再拝>

「さ」の神 (8064)
日時:2012年04月06日 (金) 06時41分
名前:伝統


    *メルマガ「ことだまプレミアム(2012年03月27日)」より

日本人はなぜ桜が好きなのか?
ことだまで紐解いてみる。


山にカミがいると古代の日本人は考えていました。
カミは上(カミ)にいる。一番身近な上が山でした。
現在でも山の頂上に神社があるのはそれを教えています。
富士山(コノハナサクヤヒメ)白山(シラヤマヒメ)など。


日本人はそのカミのことを「さ」の神と呼びました。
「さ」の神は私たちに幸を与えてくれる神様です。
日本人は神様は幸を与えてくれる存在として考えていました。

そして「さ」の神は春になったら里に降りてきて、
春夏秋と里にとどまり私たちに幸を与え、秋に山に帰ると考えました。

冬の間に私たちに与えてなくなってしまった幸を増やして
再び春に里に降りて私たちに幸を与える、
そのサイクルを繰り替えてきました。

冬の語源は「増ゆる」
幸を増やす季節と言えます。


「さ」の神の働きを今の残しているのが 「花見」と「祭り」になります。
花見と祭りは「さ」の神様に対する喜びと感謝を表す神事でした。

祭りは神社が関係しているので
神事としてわかりやすいですが
花見も実は神事と言えます。

花見を「さ」の神が来るお迎え儀式。
祭りを「さ」の神を見送る儀式。

そのように見ると日本人が祭りと桜が
好きなのかの理由が見えてきます。

花見と言えば「桜」が思い出されますが
桜の花見と他の花見の違いを見てみます。

それが場所取りです。
場所を取って花見をするのは桜しかありません。
そして花見の下でお酒を飲んだり食事をしたり楽しむのも桜の花見だけです。

これは神事だからです。

古来より神様に来ていただくためには依り代が必要でした。
依り代の代表が「木」でした。現在ではご神木などとしてあります。

桜の木は「さの神様」に来てもらう依り代でした。
桜の木の下で神事を行う。これが桜の花見でした。

儀式に必要なのが酒、食事、人です。
儀式を行うために場所が必要です。
それで桜の花見は場所取りが必要になります。


「さ」の神に関することは「さ」の音が多いのが特徴です。

「さ」の神が山から下りてくる道を「さか」と言いました。
「さ」の神様が降りてきたことを教える木が「さくら」
「さくら」の木の下で「さけ」を飲み「さけのさかな」を食べ
「さら」に入れ「ささ」を敷いた。
「さ」の神が来る季節を「さおり」と呼びました。

古代は稲のことを「さ」と呼びました。
稲を植える季節を「さつき」
稲を植える女性の「さおとめ」が「さなえ」を植えました。
 ( *古来は女性が田植えをすると豊かに実ると考えられていました。)

不思議なことに「さ」の神に関する言葉の
「さくら」「さおり」「さなえ」「さつき」など女性名として使われています。
「さちこ」という名前の「さち」から名前と言えます。
また最近は「さら」という女性もいます。

これは「さ」の神が女性であることを教えているのではないかと思います。
古来日本では女性が幸を与えると考えられていました。
山にいる神はコノハナサクヤヒメ、シラヤマヒメなど女性を表していることが多いです。


女性が幸せを与える国、これが日本なのかも知れません。

桜の季節は日本人が何を大事にしてきたのかを改めて感じる季節といえます。 

          <感謝合掌 平成24年4月6日 頓首再拝>

花見 (8098)
日時:2012年04月07日 (土) 06時11分
名前:伝統


気象庁は東京都心のソメイヨシノが満開になったと発表しました。
開花が平年よりも5日遅く、昨日(6日)の満開が平年よりも3日遅れだったことから、
いつもよりも短い期間でぱっと咲きそろったことになります。

桜は日本を代表する花であり、古くからこよなく愛されてきた特別な存在で、
この時期、花見と言えば、桜というように愛でられております。

(1)京都・醍醐の花見

   庶民の花見のきっかけとなったともされているのが「醍醐の花見」。

   この花見は、豊臣秀吉が慶長3年(1598)の春、
   花見に際して畿内から700本の桜を植え、
   三宝院の建物と庭園を造り、贅を尽く盛大な宴を開きました。

   息子・秀頼や正室・北政所(きたのまんどころ)、側室の淀、三の丸など
   女房衆1300人余りが参加したといわれています。

   この故事にならって、毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」が開催され、
   終日境内は賑わいます。

   <参考Web:太閤秀吉が演出した空前絶後の「醍醐の花見」>
    → http://www.kirinholdings.co.jp/csr/food-life/column/foodculture/03.html

   <参考Web:秀吉が愛した桜>
    → http://www.kobemap.com/sakura/s_data/018.html


(2)江戸の花見

      *以下は、メルマガ「人の心に灯をともす(2012年03月29日)」より

   江戸で桜の名所として有名だったのは、上野の寛永寺だ。
   この花見の習慣、もともとは「一本桜」といって、一本の桜の名木を楽しむものだった。
   江戸には、三十三桜と呼ばれる名木があり、三間もあるような大きな老木が珍重された。

   そして、たとえば武家であれば、酒をひょうたんに入れてお供をひとり連れ、
   その名木の下へ行って花を愛でながら酒を嗜(たしな)む。

   町人でも教養のある者は、静かに歌を詠んだりして過ごす
   ・・・これが本来の花見だったのである。

   ところが、天保(1830年)の頃になると、
   「飲んで食べて騒ぐのが花見ってもんよ」という江戸っ子連中が現われた。

   なにしろ、この連中は飲んでおおはしゃぎするのが目的だから、
   一本桜などには目もくれない。

   「いっぺんに咲いていたほうが派手でいいじゃねぇか」というわけで、
   やがて桜の木がズラリと並んでいる場所が、
   人気のお花見スポットになっていったのである。

   めずらしいところでは、吉原遊郭でも花見をすることができた。
   といっても、もともと吉原に桜の木はない。
   毎年3月になると、よそから桜の木を移植してきて、わざわざ桜並木をつくったのである。

   「昨日まで ない花の咲く 面白さ」と川柳にも詠まれているが、
   夢を売る吉原ならではの手の込んだ趣向であった。

       <『江戸の庶民の朝から晩まで』KAWADE夢文庫>

      ・・・・・・・

          <感謝合掌 平成24年4月7日 頓首再拝>

「桜守」 (8150)
日時:2012年04月08日 (日) 04時10分
名前:伝統

4月5日のテレビで、「桜守」の紹介がありました。

(1)桜守とは、桜の命をつなぐ匠。

    以下は、『桜守のはなし』(佐野藤右衛門/作)より

   桜は「守り」をして継いでやらな絶えてしまう木なんです。 
   日本全国を飛び回り、傷ついた桜の手当てをし、桜の新種をさがす佐野さんは、
   「桜守」とよばれています。

(2)桜守・佐野藤右衛門さんの言葉

  @「花見は、酒を飲みに行くだけでもよろしいんですけど、
   帰りぎわに 『おおきにありがとさん』 と言うて帰るといいんです」 

  A「桜はいっぺん傷がつくと、その傷がなかなか塞がりませんねや。
   小さいときにちょっと傷がつくと、幹が太るのと同じようにその傷も大きく
   なるんですわ。 『桜切るバカ、梅切らんアホ』 というのはそれなんです」

  B「実生で植えて20年になると 場所にもよりますが、
   直径が20cmぐらいにはなりますわな。 そうなるとふつうに花が咲くんですね。
   人生と一緒ですね、一番見ごろは30年からですわ。
   ・・・・・そやから育てていけと言うんですのやけどね」 

  C「わしらでも、桜を見せてもろうたときは自然にぽんぽんと幹を叩いて**な。
   そうするとやっぱり花もなびきよるものね。 ふるふるっと笑いよる。
   その感覚はなんともいえんものがあります。
   おもしろいもんでっせ、それも触るでなし叩くでなし、なんとなしに」

  D「人間のために生きている動植物、昆虫類はいっぱいおります。
   しかし、人間が勝手に決めた害をする動植物を絶やしてしまったら、
   それがおらんかったら、ためになる虫も鳥も、植物も一緒に絶えてしまうかも
   わからへん、そういうことをしたら人間生活が成り立たなくなるかもしれん
   という感覚はないですわな。 これは自然とのつながりを忘れてしまって、
   スイッチさえ入れておけば、生きていられると思っていることと同じですわな」

  E花見のマナー(テレビより)

   ビニールシートを敷くのはよくない。桜や土が息ができなくなる。
   敷くならゴザがよい。

  F桜守が推薦する今春の花見の場所は
   京都、川端通り五条から南側 だそうです。

          <感謝合掌 平成24年4月8日 頓首再拝>

花見の意味  (8185)
日時:2012年04月09日 (月) 07時09分
名前:伝統


   *メルマガ「ことだま通信(2012年03月31日)」より

桜の花見は場所を取って一緒に食事をすることが大事になります。
場所取りと食事、これが桜の花見です。

桜の花を見ながら今年も綺麗な桜だなあと思うのは桜を愛でているだけで
桜の花見とはならないわけです。

その理由は次の2点からです。

 @桜の花見の食事は神の力をいただくものです。
  食べることで神の力を体に取り入れて血とし肉とすることです。

 A仲間、家族と一緒に食べることで仲良くなる。
  ひとりでないという安心感を得る。同じ釜の飯を食うことに繋がります。
  花見で一緒に食べる人は自分に取って大事な仲間とういことです。

桜の花見とは「さの神」さまに来てもらうために場所を作る。
そして食事をとることで「さの神」さまの力を体に入れること。
そして一緒に食べることで仲間になること。

これが花見の重要なポイントと言えます。

捧げる意味=「さ」の神が下げる

捧げるとは一般には神仏や目上の人などに物をさし出すことを意味します。

自分から神仏への一方通行のように思われますが、捧げたものを
花見のお弁当=「さ」の神様への供え物
花見で食べるお弁当は「さ」の神様のお下がりを食べることになります。

・・・・・

桜の花が早く散る理由

桜が早く散るのは幸を与える力を得たので
早くみんなに幸をあたえなさいという意味があります。

「さ」の動きは早い動きです。「さっさ」「さあ」「さっそう」など。
善は急げを教えていると言えます。

みんなに幸を与える状態は、桜の花が散るように美しいということを 教えています。

          <感謝合掌 平成24年4月9日 頓首再拝>

【神代桜】 (8201)
日時:2012年04月10日 (火) 04時28分
名前:伝統


昨日(4月9日)日本最古の桜(神代桜)の開花が宣言されました。
見頃になるのは、4月中旬頃になりそうですとのことです。
  → http://park8.wakwak.com/~matsunaga/

神代桜は、4月1日の読売新聞では、

「日本武尊が植え、日蓮上人が祈りを捧げたという伝説が残る神代桜」と紹介され、

長寿の祈りや長寿の象徴としても崇められているようです。


以下に、メルマガ「大和しうるわし(2011年04月11日)」からの記事を紹介します。


・・・”桜の古木に宿る伝承は、「甦るちから」”

どんな時代でも、どんな苦難が起ころうとも、春の訪れを告げてきた神代桜。
日本武尊の最期の歌「大和しうるわし・・・」の心根が毎年の花を咲かせます。


今の今できること・・・
それは、私たち日本人が大和の国の素晴らしさに気づくことです。

過去の伝承は、今を生きる力になります。
神代桜は咲き誇ります
・・・小ぶりな花びらが、「この心根を持て」と叫んでいるように見えます。

歴史・伝承を学び、それを活かさなければ、新しい時代の扉は開かれません。

====================================

毎年、必ず花をつける桜の木。
どんな時代でも、新しい春の息吹を感じさせてくれます。

日本人にとって特別な「木花(このはな)」は、
震災によって未曾有の国難を迎えても、見事な花を咲かせてくれます。

やはり、今年の桜を愛でなくては、何か気が落ち着きません。
そんな訳で、昨日、日本最古の桜「神代桜」に身を運んできました。
まだ満開とはいかないまでも、これから咲く蕾も多く見ることができました。

しかし、見事です。この古木に咲く桜は、「勢い」を感じます。
全身全霊で命がけで咲いている、力一杯生きる事の大切さを教えてくれます。


日本人にとって、ただただ桜を「きれい」といって眺めるだけでなく、
自然(あめつち)の見えない力を感じ、生きていくために、
自然と一体になっていくこと。

そして、自然(あめつち)の力を借りなければ、生きられない
・・・ということを知っている日本人です。


この神代桜には、特別な物語のあることを学びました。

神代桜の案内には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折りにお手植えした
と伝えられています。そして、そこから1800年以上咲き続けている・・・


しかし、実はこれだけではないようです。
なぜ、日本武尊(やまとたけるのみこと)はこの地に桜を植えたのでしょうか?

日本武尊は天皇に命じられて、東国を平定に向かいました。

相模から上総へと向かう海の上で、激しい暴風雨にあいました。
その時、お供としてついてきた「弟橘姫(おとたちばなひめ)」は海の神を鎮めるために、
自ら海に飛び込んでしまいました。

そのお陰で、日本武尊の命は救われましたが、ひどくひどく悲しみました。

東国を無事に平定し帰路につく日本武尊は、自らの命をかけてくれた弟橘姫の魂靈(たましび)を
鎮魂するために、一本の桜の木を植えました。

毎年、弟橘姫の魂靈が、春の訪れとともに花に宿りますようにと祈りながら。

この時の桜の木が、山高神代桜なのです。


さらに話は続きます。
日本武尊はその帰路、山の神を退治しようとして、伊吹で命を落とします。
生まれ故郷の直前で、願いかなわず息途絶えるのです。その最期の歌は、

 ≪やまとは国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 大和しうるわし≫

です。

「大和しうるわし」・・・生まれ故郷の大和の国に帰りたくても帰れなかった
         ・・・切実な思いが感じられます。

そして、鈴鹿で葬られた日本武尊は、白鳥となって甦り、飛び立っていった
・・・という話は有名です。

その白鳥は、桜吹雪の中を悠々と飛び、富士の裾野の弟橘姫の魂靈宿るこの神代桜へと
向かったとのことです。

この神代桜にはこのような物語があります。
この物語を知って、この古木にて桜狩りをした時、今の今特別な思いが起こってきます。


私たちの国・日本は、今大きな転換期に直面しています。
この転換期には、「存在していたもの」が形を変えていく・・・というレベルではありません。

「存在していたもの」が無くなり、「新しいもの」を生みだしていくことを意味しています。


新しいものを産みだすには、「甦るちから」が必要です。

カタチあるものは、いつかは無くなりますが、
「心根」という「根」は甦る力を得ることができます。

毎年、新しい花をつける桜の木です。
その桜の花を咲かせるのは、「根」が張っているからです。

神代桜の根には、弟橘姫を偲び、大和の国を思う、日本武尊の心根があるに違いありません。


どんな苦難が訪れても、心根があれば、「甦るちから」を得ることができます。
そして、どんな時にも、花を咲かせることができるのです。

今の時代、しっかりと日本人・大和人としての心根を張って、
生き抜くことが大切だと思います。


 *Web:日本最古の桜 山高神代桜 youtube
      http://www.youtube.com/watch?v=JDxdG3DsPVg



・・・<参考>日本三大桜の銘木
    http://home.s02.itscom.net/nabe3/newpage46.html

  @山高神代桜(やまたかじんだいざくら)

   所在:山梨県北杜市 実相寺内
   種類:江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)

  A淡墨桜(うすずみざくら)

   所在:岐阜県本巣市 根尾谷・淡墨(うすずみ)公園内
   種類:江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)
   推定樹齢:1500年

   http://www.youtube.com/watch?v=XWaJPgUmz1A

  B三春の滝桜(みはるたきざくら)

   所在:福島県三春町
   種類:紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)
   推定樹齢:1000年

   http://www.youtube.com/watch?v=CBn-c5BquOU&feature=related

          <感謝合掌 平成24年4月10日 頓首再拝>

日米友好の桜、今年で100年 (8220)
日時:2012年04月11日 (水) 04時11分
名前:伝統


  *読売新聞(2012年3月30日)より

アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、
世界的な名所の一つとして、多くの人たちを魅了しています。

毎年3月末から4月のはじめにかけてシーズンには、
盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れ、
パレードやその年の「桜の女王」が選ばれます。

この桜は明治の終わりごろ(1912年)に、アメリカのタフト大統領夫人の希望により、
ニューヨーク在住の高峰謙吉博士と当時の尾崎行雄東京市長の尽力で、日本の桜約3000本
が東京市からワシントンに贈られました。

2012年は桜の苗木が贈られて100年目に当たる節目の年。

100周年記念のオープニングセレモシーは3月25日に開催され、
さまざまな100周年記念行事が3月20日から4月27日までの「全米桜祭り」
期間中に行われ、多くの人たちに桜の素晴らしさを楽しませております。

<参考 you tube :National Cherry Blossom Festival 2012 "Centennial Celebration"
       → http://www.youtube.com/watch?v=A_Xtm1043B4&feature=fvwrel >

<参考Web:米国ワシントンD.C.の桜物語
       http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/sakura.htm  >

          <感謝合掌 平成24年4月11日 頓首再拝>

桜の花言葉 (8253)
日時:2012年04月12日 (木) 04時25分
名前:伝統

桜は日本を代表する花であり、日本人にとりましては特別な存在の花です。

そんな桜にまつわる言葉をいくつかあります。


(1)花時(はなどき)    桜の花が咲く時季
 
(2)桜狩(さくらがり)   花見

(3)花盛り(はなざかり)  満開の桜

(4)花影(はなかげ・かえい)水面などに映った桜花の影

(5)花明り(はなあかり)  夜、満開の桜のまわりがほのかに明るく感じる様

(6)花衣(はなごろも)   花見に行く際の女性の美しい着物

(7)花疲れ(はなづかれ)  花見に行って疲れること

(8)花人(はなびと)    花見の人

(9)花守(はなもり)    花の番をしている人

(10)花篝(はなかがり)   夜桜を見るために花の下で炊かれる篝火「花雪洞」

(11)花筵(はなむしろ)   桜の花びらが一面に散り敷いている様子

(12)花曇(はなぐもり)   桜の頃に多い曇天。花を養うとの意で「養花天」

(13)花の雨(はなのあめ)  花見の頃に降るあいにくの雨「桜雨」

(14)花の風(はなのかぜ)  桜を散らしてしまう恨めしい風「花嵐」

(15)花の雪(はなのゆき)  雪のように散る桜花

(16)零れ桜(こぼれざくら) 散る桜

(18)花筏(はないかだ)   水面に散った花びらが吹き寄せられ流れていく様

(19)残花(ざんか)     散り残った桜花

(20)桜流し(さくらながし) 散った花びらが雨や水に流れていく様子



これらの言葉を見ただけでも、桜は日本人に愛されてきたことが分かります。

ちなみに「花吹雪」は、詩人谷川俊太郎の尊父で哲学者の谷川徹三氏がかつて
世界一美しい言葉として激賞した言葉でもあります。

          <感謝合掌 平成24年4月12日 頓首再拝>

「やすらえ、花や」 (8428)
日時:2012年04月17日 (火) 22時45分
名前:伝統


以下は、毎日新聞「余禄」(4月17日)より


その昔は散る桜が疫病や災厄をもたらすと信じられた。「やすらえ、花や」。
つまり花よ散るな、ゆっくりと咲いていろという囃子(はやし)言葉を繰り返す
祭礼「花しずめ」が行われた。

今に残る奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の鎮花祭は
病よけの祭事として知られ、あす(18日)行われる。

民俗学者の折口信夫によると、昔は桜の花の咲き具合がその年の稲の豊凶を示すと
思われたそうだ。花が早く散れば実りも少ないというので「やすらえ」という
囃子言葉が唱えられた。

はじめは稲の病虫害よけのことだったのが、人の疫病よけの呪文になったらしい。



・・・・(鎮花祭)

「鎮花祭」は、大神本社と、摂社(本社の祭神と
縁故の深い神を祀った神社)である狭井(さい)神社の両神社で行われます。

この祭については『大宝令』(701)には、国家の大祭として毎年必ず行うよう定められ、
「国民の無病息災を祈願した」と記されています。

「のどかなる 春のまつりの花しづめ 風をさまれとなほ祈るらし」(新拾遺和歌集)の
古歌にもあるように、当時、春たけなわの春花飛散・百花繚乱の時節を迎えると、
疫神(えきじん)が分散して流行病を起こすと考えられていたので、
これを鎮圧するため行われていました。

千三百年後の現在もなお、古儀に則(のっと)り、
本社および狭井神社の二社で行われています。


「鎮花祭」の祝詞として、

   風の音も遠き神代の昔、
   国造りの親神とたたへまつる大神の、
   少彦名の大神と御力(みちから)を合はせ、御心を一つにして、
   大国(おほぐに)、小国(をぐに)、
   造り固めなしたまひ、
   現(うつ)しき青人草を撫でたまひ、恵みたまへるなかに、


   四つの季(とき)めぐりめぐりて春さり来れば咲く花の散り乱れ、
   うつそみの人の心もさまよひ出(い)で、
   千早振(ちはやぶ)る神のあやしき業(わざ)、荒(すさ)びそむるを鎮むるとして、
   鎮花(はなしづめ)の御祭(みまつり)を大宝令に定めまつられしは、
   いともいとも畏(かしこ)ききはにて、・・・

<参考Web:大神神社の鎮花祭>
  @4月18日 鎮花祭(はなしずめのまつり)
    http://www.sankogan.co.jp/tmp/hanasizu/hanasizu.html

  A三輪の鎮花祭(はなしづめのまつり
    http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/nihongaku/miwachinka.htm

          <感謝合掌 平成24年4月17日 頓首再拝>

桜(さくら)を詠んだ歌〜万葉集 (8461)
日時:2012年04月19日 (木) 07時49分
名前:伝統


   *Web:たのしい万葉集: 桜(さくら)を詠んだ歌 より
     http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/sakura.html


0257: 天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば松風に.......(長歌)

0260: 天降りつく神の香具山うち靡く春さり来れば桜花.......(長歌)
   〜作者「鴨足人(かものたるひと)」

0829: 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
   〜作者「作者: 藥師張氏福子(くすしちょうしのふくし」

0971: 白雲の龍田の山の露霜に色づく時にうち越えて.......(長歌)

1047: やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は.......(長歌)

1212: 足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来るまで
   〜作者:不明

1425: あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも
   〜作者「山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)」

1429: 娘子らがかざしのために風流士の蘰のためと.......
   〜作者「若宮年魚麿(わかみやのあゆまろ)」

1430: 去年の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも
   〜作者「若宮年魚麿(わかみやのあゆまろ)」

1440: 春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
   〜作者「河辺東人(かわへのあずまと)」

1456: この花の一節のうちに百種の言ぞ隠れるおほろかにすな
   〜作者「藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)」

1457: この花の一節のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
   〜作者「娘子(をとめ)」・・・1456への返歌


1458: やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ
   〜作者「厚見王(あつみのおおきみ)」

1459: 世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも
   〜作者「久米女郎(くめのいらつめ)」

1747: 白雲の龍田の山の瀧の上の小椋の嶺に咲きををる.......(長歌)
   〜作者「高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)歌集より」

1748: 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
   〜作者「高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)歌集より」

1749: 白雲の龍田の山を夕暮れにうち越え行けば瀧の上の.......(長歌)

1750: 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
   〜作者「高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)歌集より」

1751: 島山をい行き廻れる川沿ひの岡辺の道ゆ昨日こそ.......(長歌)

1752: い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
   〜作者「高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)歌集より」  

1776: 絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
   〜作者「播磨娘子(はりまのをとめ)」

1854: 鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
   〜作者:不明

1855: 桜花時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ
   〜作者:不明

1864: あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも
   〜作者:不明

1866: 雉鳴く高円の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも
   〜作者:不明

1867: 阿保山の桜の花は今日もかも散り乱ふらむ見る人なしに
   〜作者:不明

1869: 春雨に争ひかねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり
   〜作者:不明

1870: 春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
   〜作者:不明

1872: 見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも
   〜作者:不明

1887: 春日なる御笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく
   〜作者:不明

2617: あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる
   〜作者:不明

3129: 桜花咲きかも散ると見るまでに誰れかもここに見えて散り行く
   〜作者「柿本人麻呂歌集(かきのもとひとまろかしゅう)より」

3305: 物思はず道行く行くも青山を振り放け見れば.......(長歌)
   〜作者:不明

3309: 物思はず道行く行くも青山をふりさけ見れば.......(長歌)
   〜作者「柿本人麻呂歌集(かきのもとひとまろかしゅう)より」

3786: 春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも
   〜作者:不明

3787: 妹が名に懸けたる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに
   〜作者:不明

3970: あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも
   〜作者「大伴家持(おおとものやかもち)」

3973: おおきみの命かしこみあしひきの山野さはらず.......(長歌)
   〜作者「大伴宿禰池主(おおとものすくねいけぬし)」

4074: 桜花今ぞ盛りと人は言へど我れは寂しも君としあらねば
   〜作者「大伴池主(おおとものいけぬし)」

4077: 我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね
   〜作者「大伴家持(おおとものやかもち)」

4151: 今日のためと思ひて標しあしひきの峰の上の桜かく咲きにけり
   〜作者「大伴家持(おおとものやかもち)」

4361: 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ
   〜作者「大伴家持(おおとものやかもち)」

4395: 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに
   〜作者「大伴家持(おおとものやかもち)」

          <感謝合掌 平成24年4月19日 頓首再拝>

桜の文学史 (8493)
日時:2012年04月20日 (金) 04時35分
名前:伝統


     *Web:雑学研究 より
          http://zatugaku.jp/sakura.htm

桜が歴史上初めて登場するのは『日本書紀』です。
そこには帝の酒盃に花ビラが風に誘われて浮かび、
その桜のある場所を物部氏に探しに行かせるというエピソードが記されています。

花見の習慣は1500年も前の饗宴に端を発していることが分かります。

2つめの記録は『万葉集』です。

「去年の春 逢えりし君に 恋にてし 桜の花は 迎へけらしも」、
「あしひきの 山桜花 一目だに 君とし見てば 吾恋めやも」と、
ここでは桜に乙女の面影を求めています。

この背景には、4世紀以来の大規模な開発(原生林伐採)によって、
常緑照葉樹林から桜や赤松といった二次林へ更新され、大和の春の山を桜が埋め尽くし、
観られる花となったということがあります。

次に王朝に目を転じると、『古今和歌集』には、平城京から平安京への遷都によって、
奈良を郷愁する歌が多く見られます。桜に囲まれた平城京を忍んで、桜を歌い、
また新都に桜を移植し、それを歌ったものもあります。

この『古今和歌集』以来、桜が日本の花として定着します(それ以前は梅が主流だった)。

そうした治世の端祥としての桜観、輝く美少女としての桜観が変わるのは、
近世の元禄文化に台頭した歌舞伎の中においてです。

竹田出雲の『仮名手本忠臣蔵』は判官切腹の場の演出に散る桜を用いました。
この中の台詞「花は桜木、人は武士」が、桜観を大転換させたのです。

かつて聖樹であり、美の極みであった桜は、
歌舞伎というドラマ空間で散る生命の花になりました。

やがて、幕末、革命志士達は桜を散る我が生命として好んで歌うことになります。

          <感謝合掌 平成24年4月20日 頓首再拝>

東北地方には楽しみな季節 (8524)
日時:2012年04月21日 (土) 04時48分
名前:伝統

今、桜前線は東北地方と長野県を進んでいます。
平年より1週間ほど遅れて北上中のようですが、この先も、平年より4〜7日遅れて進み、
大型連休の前半に青森県に達するという予報です。


さて、「花は桜」として一般的に定着しだした時代に編纂された古今和歌集に、
在原業平(ありわら の なりひら)は次の和歌を残しました。

「 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 」

(もしこの世に桜というものが全くなかったら、人の心はもっとのどかだろうに)


桜の花は、日本の春に欠かすことができない「花」です。

桜の花は、人の心に、自然の変遷の中で、美しく潔い生命(いのち)を表現する
強さを訴えているようです。


これから桜前線が通過する地域にとっては楽しみな季節となります。


歌舞伎において、桜はドラマ空間で散る生命の花と表現されておるようです。

その歌舞伎の中の「楼門五山桐(ろうもんごさんのきり)」の中で、
これから釜煎りされる大盗賊の石川五右衛門が煙管(キセル)片手に切った見得が
有名な場面です。


  絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金とは、小せえ、小せえ。
  この五右衛門の目からは値万両、万々両。 
  もはや日も西に傾ぶき、まことに春の夕暮れに花の盛りもまたひとしお。

  はて、うららかな眺めじゃなぁ。


桜の秘めた美しく潔い強さを感じながら、一方では、この五右衛門のような
「大きな心」で桜の花を楽しみ愛でることも楽しみを増す秘訣かもしれません。

          <感謝合掌 平成24年4月21日 頓首再拝>

桜の和歌ベスト30首  (8538)
日時:2012年04月22日 (日) 04時56分
名前:伝統


*Web:民俗学伝承ひろいあげ辞典 より
        http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/41739846.html

1  ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ   紀友則・古今和歌集、百人一首

2  もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし   前大僧正行尊・小倉百人一首

3  いにしへのならのみやこの八重桜  けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔・詞花和歌集 一春

4  花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり  入道前太政大臣・百人一首

5  清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人みなうつくしき   与謝野晶子・みだれ髪


6  世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし   在原業平・古今和歌集

7  あをによし 寧楽の京師は咲く花の にほふがごとく今さかりなり 小野老・万葉集巻3

8  花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町・百人一首

9  願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃    西行法師・山家集
    (旧暦2/15は釈迦入滅の日)

10 高砂の 尾上の桜 さきにけり 外山の霞 立たずもあらなむ  前中納言許[・小倉百人一首

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11 あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも  万葉集・山部赤人

12 花は散りその色となくながむれば  むなしき空に春雨ぞ降る 式子内親王・新古今和歌集

13 桜色に衣は深く染めて着む  花の散りなむ のちの形見に   紀有朋・古今和歌集

14 春霞 たなびく山の 桜花 うつろはむとや 色かはりゆく    詠み人知らず・古今和歌集

15 少女子が かざしの桜咲きにけり 袖振る山にかかる白雲    藤原為氏・続後撰集


16 仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば     西行法師・山家集

17 山ざくらをしむ心のいくたびか 散る木のもとに行きかへるらん 周防内侍・千載集

18 花桜今年ばかりと見しほどに 八十歳までにもなりにけるかな  源縁法師・万代和歌集

19 乙女子が袖ふる山に千年へて ながめにあかじ 花の色香を    豊臣秀吉

20 咲く花を散らさじと思ふ 御吉野は 心あるべき春の山風     徳川家康

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

21 行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし       平忠度   

22 匂へどもしる人もなき桜花 ただひとり見て哀れとぞ思ふ     慶政上人 ・ 風雅和歌集

23 散る花もまた來む春は見もやせむ やがてわかれし人ぞこひしき  菅原孝標女・更級日記

24 いま桜咲きぬと見えて薄ぐもり 春に霞める世のけしきかな     式子内親王・新古今和歌集

25 宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける     紀貫之・古今和歌集

26 人知れずもの思ふことはならひにき  花に別れぬ春しなければ   和泉式部・詞花和歌集

27 花は根に鳥は古巣にかへるなり  春のとまりを知る人ぞなき    崇徳院・千載和歌集

28 梓弓 はるの山辺を 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける    紀貫之・古今和歌集

30 大空におほふばかりの袖もがな  春咲く花を風にまかせじ     よみ人しらず・後撰和歌集

番外 この花の一節のうちに百種の ことぞ隠れるおほろかにすな     藤原広嗣・万葉集巻8
     

          <感謝合掌 平成24年4月22日 頓首再拝>

「笑いかけ」 (8630)
日時:2012年04月25日 (水) 04時42分
名前:伝統


4月8日の「桜守」で紹介の「桜守、佐野藤右衛門さん」は次のようにも述べております。

『・・・1年間、手塩にかけて守ってやった桜が、春になって、蕾がふくらんでくる。
これを、わしらは「笑いかけ」と言うんですが、微笑んだような状態になって、
自分の力で咲こう、咲こうとしている。それがうれしいんですわ。
わしはこの瞬間があるから、「桜守」をやめられないんです』

『桜には、人に過去を振り返らせる力が宿っているような気イしますわ』 

・・・

日本気象協会によると、桜前線は現在、東北地方を北上中であり、
おそらく、岩手県から青森県にかけて、桜は「笑いかけ」という状態で
観る人々に微笑みかけているのではないでしょうか?

          <感謝合掌 平成24年4月25日 頓首再拝>

太平洋と日本海を結ぶ、さくら道 (8687)
日時:2012年04月27日 (金) 04時57分
名前:伝統

佐藤良二は、名古屋市と金沢市を結ぶ長距離バス「名金線」に乗務していた。
中部山岳地帯を貫く全長266キロメートルの路線である。

佐藤良二は、この路線に桜を植え、「さくら」のトンネルでつなごうと思い立ち、
始めたのが、昭和41年、36歳からである。

良二は、自分の給料で桜の苗木を買い、平日は仕事が終わってから、休日は朝早くから
オートバイの後ろにくくりつけて、北へ、南へと走り回り、名金線のバス亭を中心に
植えていったのである。周りから見れば、異常なくらいの熱心さであった。

その思いは、

「社会のためになることをしたい、自分にできる精一杯の善をしたい」

という気持ちからであった。


桜の花が、どのバス亭にもあったなら、
乗る人にも、降りる人にも、笑顔があふれるだろう。
どれだけ多くの人が喜び、心がいやされるかわからない。

桜を植えることは、良二にとって、大きな善だと信じていた。
だからこそ、悔いなき人生を全うするために、全力で取り組んでいったのであった。

しかも、台風が近づくと、苗木が倒れていないか心配になり、風雨の中を見て回る。
冬が来ると雪の重みで折れないように支柱を補強したり、除雪車に傷つけられないように
枝の先に赤い布を結んだりしていく、まるで、わが子をいたわるような神経の使い方である。

ひたすら、満開の桜を見て喜ぶ人々の笑顔を胸に描き、バスの走る道を、
桜の花で飾り続けていったのである。


実は、良二の体重は桜の植樹を始める前から減り続けていた。
「おかしいな」と思いながらも、仕事や植樹に没頭していたのであった。

体調が限界に達して、
愛知県ガンセンターで診察を受けたのは昭和46年9月、42歳の時だった。


良二の日記には

「いつ帰れるかわからない。明日は病院だ。もう時間がない」

「死刑台に上がっている心地がした」

と書いてある。

死の病を自覚し、壮絶な闘いが始まったのだ。
入退院を繰り返しながらも、桜を植え続ける良二。
その一心な姿に動かされ、職場の仲間が、少しずつ植樹に参加するようになっていった。

昭和48年4月、石川県の兼六園に、千五百本めの桜を植えた。
植樹を始めて8年め、ついに、名金線の始発・名古屋から、執着・金沢までが
桜でつながったのである。

良二は、さらに意気込む。
もっと苗木を植えて、太平洋と日本海を桜のトンネルで結ぼうと夢みていた。
しかし、体がいうことをきかない。


「再び生れてはこれない人間。人間として生れての最後の到達地点。
すべてそれを目的にした考え方と行動でなければならぬ。
せっかく生きるなら、今、一秒をそのために、その目的のために燃やし尽くさねばならぬ」

「人間がこの世に生れてきた目的は何か?
俺にとって桜を植えることは人を救うことであるのか?
オレは人を救うために生れてきたのか?
生れてきた人間の目的、目的、目的」

悲痛な叫びである。

良二は、全力で生きて、倒れる寸前まで、

「人間に生れてた目的は何か」

と、問い続けていたのだ。


昭和52年1月、良二は47歳の生涯を閉じた。


長距離バス路線「名金線」は、昭和54年になくなってしまったが、
国道沿いに植えられた桜は、今も咲き続けている。

美しく、はかない、桜の命。
そんな短い一生、なぜ生きるのか。

「人生の目的」を問い続ける桜である。

  *スレッド「大志を抱く日 (8380) 」内の記事
   「太平洋と日本海を「桜で結ぶ夢」に挑んだ男 (8631)」と関連します。
   http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1988

            <感謝合掌 平成24年4月27日 頓首再拝>

【 桜 の願い 】 (8781)
日時:2012年05月01日 (火) 04時47分
名前:伝統


桜前線は、おそらく既に津軽海峡を渡り、北の大地(北海道)へと達している模様です。

神の恵みを伝える「桜」の力が日本列島すべてに及ぶのももう少しです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、『桜』の『さ』は 、ストレートに「幸」を表します。

古来、日本人は、「幸」を流す神さまが山にいると考えていました。

その神さまが、春になったら山から里に降りて来て、
秋の収穫まで里にいると考えていまして、

その神さまのことを、「サの神」「サ神」と呼んだんだそうです。
みんなに幸や恵みを与えるために、「サの神」が 里に降りてくると考えていました。


そんな「サの神」「サ神」が、山から里に降りて来るのを教えてくれるのが、
『桜』でした。

(桜が咲く = 「サの神」 が里に降りて来た、ということだったのです)

(だから、”桜はスペシャル<特別>な存在”なのです)

そして、

幸を運ぶ「サの神」が降りて来たことを喜ぶ行事が、お花見だったのです。

なので、お花見は「神事」なのです。

「サの神」が里に下りてきてくれたことへの感謝や、
今後受け取るであろう恵み(=収穫)に感謝しての神事なのです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、

桜の花はどうしてあんなにも早く散るのでしょう。

「サの神」は、みんなに分けるために持ってきた「幸」を
いったん 桜の花びらに閉じ込めたのです。

その一枚一枚に ていねいに。


だから、
”桜のそれぞれの花びらには、幸せがぎゅっと詰まっているのです”


そして、
”その幸せは、桜が散ることで、一斉にあたりに振りまかれるのです”


そう、
”みんなに、幸せを届けるためには、桜は散る必要があるのです”

だから
”桜は早く散るのです”

早く早く
”みんなに幸せを分けたいから”

早く早く
”みんなに幸せを届けたいから”

早く早く
”あなたに幸せになってほしいから。。。”

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

桜の一枚一枚の花びら。
”そこには幸せがつまっていて”

そして、
”みんなにその幸せを届けるために 散り散りに散り急ぐ。。。”


ひらっと舞い落ちてきた桜の花びら。

ふっと気付いたら 髪に付いていた桜の花びら。

かばんの中やコートのポケットに入り込んで
一緒に家までついてきちゃった桜の花びら。


そのどれもが、

あなたに連れて帰ってほしくて、あなたを目指して、
舞い散ってきてくれたのかもしれません。

ということは、

”あなたが幸せになることが、【桜の願い】 なのです”


あなたが幸せになるために
”早く早く”って 散ってくれているんですから。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな桜の願い。


どうかどうか、《日本のすべてのみなさんに届きますように》


どうぞどうぞ、《あなたに届きますように》

          <感謝合掌 平成24年5月1日 頓首再拝>

「桜花の美」に、輝く明るさと押し出す力を観る (8909)
日時:2012年05月05日 (土) 04時48分
名前:伝統


日本人の、サクラに抱く情やイメージが伝わってくるものに、能楽があります。
そこでは、(「熊野(ゆや)」、「桜川」、「墨染桜」、「西行桜」・・・)
聖なるものであり、妖しく、幽玄なものであり、輝く命のようであり、
訪れる死の兆しであり・・・と表現されているようです。


・・・・以下は、『生命の實相』第37巻(P107〜P108)より

見えない間に生長する、進歩が今眼に見えなくとも生命は必ず前進しているのである。

今爛漫と咲いている桜花も、実は枯木のごとく見えていた冬に日に
その「花の美」を貯えていたのである。

沈滞期に本当に沈滞してしまったと思って、
悲観してその成長を続けない桜の木は枯れてしまうのである。

人間もまたかくのごときものである。
 
沈滞期に屈せざる心の明るさと、努力を継続せしむる意思の力と、
その意志の力を持続せしむる感激の押し出す力とを失わない者はついに大成するのである。
 
事業を成るのも、道を成(じょう)ずるのも同じことである。

「海も波のごとく動揺するものは風にさらわれて打ち上げられん」

          <感謝合掌 平成24年5月5日 頓首再拝>

桜の花を支える「”いのち”の根」 (9314)
日時:2012年05月20日 (日) 04時33分
名前:伝統


桜前線は沖縄から始まり、稚内あるいは根室で終点といわれています。
今年は、5月18日に、根室で開花宣言が出ました。
(稚内では、5月14日に開花宣言あり)

桜前線はもう少しで、日本列島から離れます。
美しく咲き、日本の人々を楽しませてくれた桜の花とも1年間のお別れです。


    *以下は、谷口雅春先生・著「美と健康の創造」(P102〜P104)より

桜の花が美しく咲いて人によろこばれるのは、
一ぺんに、どこからともなく花が出て来たのではない。

それは根があり、幹があり、枝があり、葉があり、
その根が、幹が、枝が、地の中にある養分を苦労して吸い上げ、
葉が太陽のお光をいただいて、空気中の炭酸ガスを吸収して、
一所けんめいにそれを同化して、やっと小さな芽のような蕾をつくり上げ、
その蕾を育て上げて、ついに、あの美しい花を咲かせたのです。

人間が今日あるのも、ただひとり、自分の力で此処に生れ出ているのではない。
花には、幹があり、根があるように、人間には父母があり、祖先があり、
祖先のもとには神様があり、その神様のいのちが自分に通うていて人間は生きているのです。

ですから神様に感謝しなければならぬ。
祖先に感謝しなければならぬ。
父母に感謝しなければならぬ。

人間は肉体のようにみえていても、実は肉体ではない「心」なんだから、
「心」で感謝することが、自分の「いのち」の根に養分をやることになるのである。

人間が肉体ではなく、「心」だということは、
「心」がなくなったら「肉体」があっても、もうそれは「ぬけがら」じゃ。

もうものも言わねば、返事もせぬ、それはカラッポじゃから、
焼場に持っていって焼いてしまうでしょう。

だから肉体は人間ではなく、「心」が人間なのですよ。
「心」があなたなんですよ。

だから「心」を大切にいたしましょう。
「心」に角をたてないことにいたしましょう。
腹を立てないことにいたしましょう。
不平を言わないことにいたしましょう。

そして自分の「いのち」の根や幹になっている神様の御恩、祖先の御恩、
父母の御恩を知って、感謝することに致しましょう。

貧乏をしたり、病気をしたりするのは、根に養分が足らぬからです。
感謝が根に養分をやるようになるのであります。

毎日、祖先に『甘露の法雨』を誦げて感謝をいたしましょう。
そうしていますと、毎日いっそう人間は元気になり、運がよくなり、成績がよくなり、
何でも都合よく行くようになります。

よろこべば、よろこびが来るのです。
かなしめば悲しみが来るのです。

心がよろこんで感謝している時が、極楽なのです。
人間は心なのですから心で極楽も地獄も造るのです。

          <感謝合掌 平成24年5月20日 頓首再拝>



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