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いのちが響き合う (8809)
日時:2012年05月02日 (水) 04時42分
名前:伝統

5月13日(日)は、母の日です。

母の日に関連して、新たなスレッド「いのちが響き合う」を立て、
種々のお話を紹介してまいります。

   *”母の日”関連スレッド①「母の大恩 (964)」
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=224

    ”母の日”関連スレッド②「お母さんの偉大な力 (4535)」
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=943


「ごめんなさいね おかあさん」
       

紹介する詩は、重い脳性麻痺の少年やっちゃん(山田康文君:当時14歳)の担任の先生
(向野幾世さん)が何ヶ月もかかって、少しずつ言葉を確認しながら記録された詩です。

相手の言葉は理解できるが、自分は話す事が出来ないので、1つの言葉を選ぶのに
何日もかかったそうですが、やっちゃんの心の中から生まれ出た宝石のような言葉。

神様が彼と、おかあさんと、向野先生を結びつけて下さった事に感謝せずにはいられない詩です。
この詩が出来て間もなく、15歳の誕生日のすぐ後にやっちゃんは、この世を去りました。

「やさしさこそが 大切で/悲しさこそが 美しい」こんな言葉を残して。


   ・・・・・・・・(前半)・・・・・・・・

   ごめんなさいね おかあさん
   ごめんなさいね おかあさん
   ぼくが生まれて ごめんなさい

   ぼくを背負う かあさんの
   細いうなじに ぼくはいう

   ぼくさえ 生まれなかったら
   かあさんの しらがもなかったろうね

   大きくなった このぼくを
   背負って歩く かなしさも

   「かたわな子だね」とふりかえる
   つめたい視線に 泣くことも

   ぼくさえ 生まれなかったら

   ・・・・・・・・・・・・・・

この詩は、いまから37年程前、
15歳で亡くなった山田康文くん――
やっちゃんが作った詩です。

重度の脳性マヒで、全身が不自由、口も利けないやっちゃんが、
いのちのたけを託して作った詩です。

私(向野幾世)が勤めていた奈良県立明日香養護学校に
やっちゃんが入学してきたのは昭和43年、 彼が8歳の時でした。

以来、担任として、学部主事として、 そして最後は言語訓練教師として
足かけ8年の付き合いでした。

この詩が生まれたのは、やっちゃんが亡くなる、
わずか2か月前のことでした。

当時私は、養護学校卒業後の障害者たちが集える
「たんぽぽの家」をつくろうと、障害児のお母さん方とともに、
「奈良たんぽぽの会」を結成していました。

この運動もいまではOLや学生など若者たちの支持を得て、
全国で4,000人の会員を擁する全国運動に盛り上がっています。

その活動の一環として、養護学校の生徒の詩に
フォーク好きの学生さんが曲をつけ、
奈良文化会館の大ホールでコンサートをする企画が持ち上がったのです。

障害程度の軽い子は、自分で詩を書くことができます。
文字が書けない子でも、手足の指や口を使って
電動タイプを打つことができます。

しかし、やっちゃんのように重度の子の場合は、
先生である私が抱きしめて、全身で言葉を聞くのです。


私が言う言葉がやっちゃんの言いたい言葉だったら、
やっちゃんはウインクでイエスのサインを出します。

ノーのときは下を出す。脳性マヒの緊張や
アテノーゼ(不随意運動)さえも、
やっちゃんの発する意思表示です。

そうやって時間をかけてやっちゃんの言葉の世界に
近づいていく作業が始まりました。



言語訓練をしていた私の手元には、
一人ひとりの子どものノートがありました。

やっちゃんのノートには、どのページも


「ありがとう」

「おかあさん、ごめんね」


という2つの言葉で埋まっていました。


最初は『ごめんね おかあさん』
これを題にしようかと私が言うと、
“ノーノー、いやだ”と舌を出します。

それじゃ、男らしく
『ごめんよ かあさん』これはどう?と言うと、
またノーのサイン。

今度は上下を逆にして、
『かあさん ごめんよ』とやってみます。

どうもピッタリこないんだなあ、というやっちゃんの顔。

私の頭に浮かぶ限りの言葉の組み合わせの中から、
やっと、やっちゃんがウインクでイエスのサインを出したのは、

『ごめんなさいね おかあさん』

でした。


こうやって何か月もかけてやっと前半部分ができた時、
やっちゃんのお母さんに見てもらいました。

読み終えてもお母さんは無言でした。

ただ目頭を押さえて、立ちつくしていました。


「やっちゃんが、これを……」


と、かすかに言われたように思います。

そのせり上がる思いが私にも伝わってきました。


『わたしの息子よ』と呼びかけたお母さんの詩が
私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。
今度は私が立ちつくしました。


   ・・・・・・(母から息子へ)・・・・・・・・

   わたしの息子よ ゆるしてね
   わたしのむすこよ ゆるしてね
   このかあさんを ゆるしておくれ

   お前が 脳性マヒと知ったとき
   ああごめんなさいと 泣きました
   いっぱいいっぱい 泣きました

   いつまでたっても 歩けない

   お前を背負って歩くとき
   肩にくいこむ重さより

   「歩きたかろうね」と 母心

   “重くはない”と聞いている
   あなたの心が せつなくて

   私の息子よ ありがとう
   ありがとう 息子よ

   あなたのすがたを見守って
   お母さんは 生きていく

   悲しいまでの がんばりと
   人をいたわるほほえみの

   その笑顔で 生きている
   脳性マヒの わが息子

   そこに あなたがいるかぎり

   ・・・・・・・・・・・・


 このお母さんの心を受け止めるようにしてやっちゃんは、
 後半の詩づくりにまた挑んだのです。
 
 やっちゃんが言う「ごめんなさいね」は、
 母へのいたわりと思いやりがあふれていました。


   ・・・・・・・・(後半)・・・・・・・・

   ありがとう おかあさん
   ありがとう おかあさん

   おかあさんが いるかぎり
   ぼくは生きていくのです
   脳性マヒを 生きていく

   やさしさこそが 大切で
   悲しさこそが 美しい

   そんな 人の生き方を
   教えてくれた おかあさん

   おかあさん
   あなたがそこに いるかぎり

    ・・・・・・・・・・・・

            <感謝合掌 平成24年5月2日 頓首再拝>

「お母さんから命のバトンタッチ」 (10681)
日時:2012年06月29日 (金) 04時24分
名前:伝統


    *月刊『致知』2012年7月号 より

「お母さんから命のバトンタッチ」 ~ 鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)



僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。
余命3か月と診断され、彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。

「先生、助からないのはもう分かっています。
だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、
黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、

「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
 卒業式を母親として見てあげたい」

と言うんです。

9月のことでした。
彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。
子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。

奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、 例えば希望を持って生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、
内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。

さらに不思議なことが起きました。

彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で、下の子が高校2年。

せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと、僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、
1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。

そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」

と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。
病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、

「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」

と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。


「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。
 そのおむすびを持って、学校に行きました。
 久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

 昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
 切なくて、切なくて、
 なかなか手に取ることができませんでした」


お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。

でも、命は長さじゃないんですね。

お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。


人間は「誰かのために」と思った時に、
希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって
免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。

            <感謝合掌 平成24年6月29日 頓首再拝>

七夕の願いごと (11025)
日時:2012年07月07日 (土) 12時01分
名前:伝統

今日は七夕です。
七夕にちなんで、次のお話を紹介いたします。

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年07月07日)」より

   多湖輝氏の心に響く言葉より…

   
   ずいぶんまえのこと、日曜日の朝テレビを見ていると、お医者さんの講演を放送していました。
   以下はそのお医者さんの話です。


   ある下半身マヒの女性がいました。
   その女性は、左手も思うように動かせないので、
   もちろん、車椅子を自分で動かすこともできません。

   外出、お風呂やトイレでの介助など、すべての世話はお母さんの役目になっていました。


   ある年のことです。

   彼女を含めた障害者の方々のために七夕パーティが、
   ボランティアの人たちの手で開催されました。
   みながとても楽しそうにかざりつけをしていました。

   私が、彼女に、「短冊はもう飾ったの?」と聞くと、
   「はい、私の願いは一つだけなので、短冊は一つ飾っただけです」と答えました。

   「一つだけ?  なんて書いたの」と聞くと、
   「お母さんより一日だけ早く死ねますようにって書いたんです。

   お母さん、ずっと私の世話ばかりだから。
   私はお母さんがいないと困ってしまうけれど、
   お母さんには、私の世話をしなくてもいい日が一日でもあって欲しいな!って思って」

   彼女は笑顔でそう言ったのです。

   私は感動してその話を、彼女の母親に伝えました。
   すると、彼女の母親は、「私も短冊に願いごとを書いてきますね」と言って、
   向こうへ行ってしまいました。

   飾りつけが終わってから、彼女の母親に、「短冊かざりましたか?」と聞くと、
   「ええ、あそこに」と上のほうを指さしました。
   ちょっと高い所だったので何て書いてあるのか読めません。

   「何て書いたんですか?」と聞いてみると、

   「ぜいたくを言わせてもらえば、娘より一日だけ長く生きさせてくださいと書きました」と、
   娘さんと同じ笑顔でした。

   そして、「自分が楽をするために、一日長くと書いたのではありません。

   あの子が安心して天国へ行けるようにと思いまして。
   一人ではお手洗いにも行けない子ですからね」と続けたのです。


   この親子の絆を強く感じるとともに、その明るさに私は救われました。

         <『思わずほほえむいい話』PHP>

   ・・・

私たちは、今の生活をあたりまえのこととして毎日を過ごしている。

もし、自分一人でトイレにも行けないとしたら…
誰かのお世話にならなければ、食事もできないとしたら…

そう考えたとき、今の生活がどんなにか、ありがたいものであるかがわかる。

些細(ささい)なことで、不平不満を言ったり、怒ったりする自分が恥ずかしくなる。

今あるあたりまえの幸せに気づき、感謝の気持で生きていきたい。

            <感謝合掌 平成24年7月7日 頓首再拝>

「生長の家」実相顕現の祈りを (11075)
日時:2012年07月09日 (月) 07時28分
名前:伝統

”元白鳩会員 さま”  ”龍 さま” ありがとうございます。

”龍 さま”による「本物の生長の家の顕現を祈りましょう!」との呼びかけ。

そして、”元白鳩会員 さま”による、8月24日(旧暦7月7日)<旧暦の七夕の日>に、
”「生長の家」実相顕現の祈り”をとの提案。

本当に素晴らしい呼びかけであり、提案ではないかと感じております。
多くの人の賛同を得て、この祈りが大きな龍の力となって渦巻き上昇することを期待しております。

”元白鳩会員 さま”は霊感が鋭く、しかも、ただ今、「甘露の法雨」千巻読誦中での
『ひらめき』による提案ですので、大なる導きでもあるのではと感じております。

            <感謝合掌 平成24年7月9日 頓首再拝>



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