所を得ない日本国憲法 (9743) |
- 日時:2012年06月01日 (金) 08時36分
名前:さくらふぶき
柳は緑、花は紅という、言葉のつながりで、碧巌録解釈で、憲法について書かれていたご文章の一部を引用させて頂きました。いつも伝統様のスレッドをお借りして申し訳ありません。
碧巌録「五十九則 趙州語言 垂示」解釈
(前略) 柳は緑、、花は紅いだなどと大雑把なことをいって悟ったつもりでいる人もあるらしいが、そんなことでは実は何ごとも悟っていないのである。百草は百草なりに各々異なる個性ある色彩や形相をあらわしているが、その雑草の一つ一つに宇宙大生命の当体たる涅槃妙心が輝いているのである。涅槃妙心とはそんな“緑”と“紅い”とに分類してわかったつもりでいられるような、そんな概括的なものではないのである。無限の時間と無限の空間とのことごとく異なる時点に於いて、平等にそこに普く遍く増すことなく減ずることなく充ち満ちて居ながらも、時点の異なる毎に、それぞれ異なる色彩ある光明を放つところの露滴のように生きて輝いているのが、盡天盡地に満つる至道であり、仏性であるのである。
国家の形態の如きも、この百草頭上にあらわれる至道のそれぞれ異なる個性ある色彩ある光明なのである。其の国の国体が「それぞれ異なる個性ある色彩ある光明及び形相」たる事を忘れて、現行の占領軍押付けの「日本国仮憲法」の前文にある如き“国民主権”の形態を「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」というが如きは、百草頭上に咲き出でる色々の美しき花のうちには洋蘭の花の如きものもあれば、牡丹の花の如きもあり、菫の花の如きもあり、水芭蕉の花の如きもあり……夫々異なる個性ある色彩と形態とに涅槃妙心が咲き出でたものであるのに、ただ洋蘭の花の色と形とを“百科普遍の花の理想像”としてそれを押し付けるものであって、間違いも甚だしきものといわなければならないのである。“涅槃妙心”の一語――それはただ同一の語句であるから、みんな普遍平等のパターンにあらわれるべきものだなどと「バカの一つ憶え」を押し付けるが如きはノイローゼ患者の偏執せる妄想であるのである。
またこの押しつけ洋蘭の如き「日本国憲法」は、武器または武力というものが隣国を脅威に曝し、隣人の命脈を傷つけるが如き危険なる凶器であるが如く錯覚して、 「日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とその前文に書かしめ、本文の第九条に於いて「武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」と自縄自縛的語句を用いて、雁字搦めに自分自身の国の無礙自在のはたらきを縛って至道の発顕を閉塞しているのであるが、必ずしも干戈(かんか=武力)を備えないのが、その国の命脈を温存してくれる訳ではないのである。
今津洪嶽老師も「今、衲僧分上に於いて、至道の妙用を自在に活動させる上に於いては、其の“人を殺す凶器”を以て直に衲僧の命脈を点定して息災延命の境界に安住せしめる活機用がある」と碧巌集の講義の中で述べていられるのである。これは今津洪嶽師の僧侶としての分上に於いての事であるが、国家としての分上に於いても同じことなのである。
大東亜戦争に於いて、日本が敗れてひとたび日本全国の大都市という大都市は悉く灰燼に帰したのを大変不幸なように思い、このような不幸な国運を招来した原因は、日清、日露の戦争に日本は勝利を得たので、戦争すればかならず勝つものだという自己批判の不足を生じ、図に乗って無謀な大東亜戦争に突入したからであると、恰も、日清、日露の戦争に負けていたら、こんな大東亜戦争を惹き起こすこともなかったのに、などとまるで、「日清、日露の戦争に負けていたらよかったのに」などと途方もない逆反省をしている戦後の批評家もあるが、そんな馬鹿馬鹿しい非難は当らないのである。
日露戦争の時点に於いて日本が負けていたら、以後の日本国はソ連の衛星国になるかして国民は奴隷同様に酷使され搾取されて、日本国民は今よりズッと貧しく、且つ不幸な運命を辿っていなければならなかったに相違ないのである。
干戈は決して国家の命脈を不幸に陥れるとはきまっていないのである。干戈叢裡に国民の命脈を輝かし安定する道もあるのである。「至道無難」とは何も「あなたまかせ」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意する」(「日本国憲法」の前文)ごとき不安定のものに依存することでは決してないのである。そんな公正と信義とを以て日本人の安全と生存を保持してくれる隣国などというものはどこにもないのである。
現にソ連は、現存の日ソ漁業条約をふみにじって、自国の利益のために「二百海里専管水域」を定め、日本の漁民の安全操業権を奪取するどころか、その水域で今まで鮭・鱒・昆布等を採取して生活して来た漁民の生存権までも奪取していて、日本政府代表が日本の総理大臣の親書をもって陳情にいっても、日本人の安全操業権や生存権などには一顧もかえりみてくらないのである。その横暴に対して、日本政府や日本政府高官はそれを「横暴」と非難することさえ出来ないでソ連の態度は「きびしい」と、まるで小学校の生徒が校長先生に対するごとき敬語をつかってお辞儀をしているのである。
第二次世界大戦後ソ連と日本とにこのような段違いの国家の威厳に相違が出来たのは、戦後、ソ連は二十年間、国民は食うや食わずに、ナイロンの靴下さえろくろく求めることも出来ない窮乏生活を送りながら、その生活費から余剰を絞り出して「軍備軍備」とアメリカに追いつき追い抜くべく国家の武力装備を増強する努力を続けてきたからであるのである。これに反して日本国は国家の防衛力をアメリカの信義とやらに信頼し切って、防衛軍備をそなえるのは「日本国憲法」第九条にそむくと、自らの力の増強につくすことなく、ただ泰平の夢をむさぼって、日常生活に贅沢をきわめて来たのである。
「天は自ら助くる者を助く」というのは天則である。その報いは今や歴然としてソ連と日本国の国力及び国家権力に相違をきたして、ソ連は校長先生の如くなり、どんな横暴をしても「ソ連は厳しい」と讃称とも礼拝とも訳の分からぬ尊称を奉って彼の前にひれ伏して憐憫を乞うている如き屈辱に甘んじている日本の現状である。
趙州の“至道無難”時代の禅宗の行履(あんり)や行持(ぎょうじ)が現代に何ほどの貢献をしてくれるか。趙州和尚にそのような実力がほんとうにあるかどうか、挙(こ)す看(み)よである。わたしは日本の現状に照らして多少この「垂示」を書き換えてみたのである。
『生長の家』誌昭和52年8月号より
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