無料で掲示板を作ろう  この掲示板をサポートする



 

本流宣言掲示板


 光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三」「光明掲示板・伝統・第一」「光明掲示板・伝統・第二谷口雅春先生に帰りましょう・第一 谷口雅春先生に帰りましょう・第二

ご投稿は「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」へ

「本流宣言掲示板」の宣言
「本流宣言掲示板」の利用法
重要リンク
トップページ
必ずお読みくださるようお願いします

 

 

「奇跡の人」ヘレンケラー (2955)
日時:2011年06月23日 (木) 20時55分
名前:伝統

ヘレンケラーの何処が偉いか


(谷口雅春先生・著「人生読本」より)

ヘレンケラーの言った言葉に、

「何でも明るく見る心、光明主義は物事を成しとげる基である。
希望がなければ、何事も成し遂げることはできない」

というのがあります。

ヘレンケラーは3歳の時、脳膜炎という病気を患い、その結果、眼は見えなくなり、
耳は聞こえなくなり、言葉は言えなくなったということですが、

その後眼で見ず、耳で聴かずして、皮膚や指先や匂いなどによって、世の中の
凡てのことがよく判るようになり、人生の三重の苦しみを征服した聖女として
尊敬されておりますが、

それにはヘレンケラーを教えたサリヴァン先生の教え方が上手であったのにも
よりましょうけれども、ヘレンケラー自身が、盲になり、聾になり、唖になっても、
少しも失望落胆せず、心に希望を持っていたからです。

失望とは心に望みを失うことです。
落胆とは勇気を落として、気が沈んでしまうことです。

眼が見えず、耳が聞こえず、口が利けなくとも、
希望を失わず、勇気を落とさずにいたら、
人間はヘレンケラーのように偉い者なれるのです。

眼が見え、耳が聞こえ、口が利ける皆さんが希望を失わず、
勇気を失わず、自分の目的とする所へ突進して徃ったら、
どれほど優れた人になれるか、考えてみずとも判るでしょう。


 <参考Web:ヘレン・ケラー物語
        http://www.helenkeller.or.jp/hkstory.htm >

         <平成23年6月23日 記>

ヘレン・ケラーから学ぶ7つの人生訓 (2957)
日時:2011年06月23日 (木) 20時56分
名前:伝統

(1)夢を追い求めよう  (Go After Your Dreams)

   「人生とは恐れを知らぬ冒険であるか、あるいは単なる虚無でしかない。
   いわゆる安全と言われているものの多くは迷信でしかなく、自然には存在しないもの。
   長い目で見た場合、リスクを避けることはリスクに挑むことよりも安全とは言い切れない。

   (Life is either a daring adventure or nothing.
    Security is mostly a superstition. It does not exist in nature.
    Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure.)」


(2)展望を持とう  (You Must Have a Vision)

   「目は見えているのに、未来への展望が見えていないのはとても残念な話である。

    (It's a terrible thing to see, and have no vision!)」


(3)出来ないことなど何もない  (Nothing’s Impossible)

   「諦めることなく努力を続けていれば、
   やりたいと思っているどんなことでも成し遂げることができる。

   (We can do anything we want to do, if we stick to it long enough.)」


(4)経験はプライスレス  (Experience is Priceless)

   「人生とはレッスンの積み重ね。
   それは生きて実際に経験してみないと分からないものである。

   (Life is a succession of lessons which must be lived to be understood.)」


(5)ポジティブシンキング  (Focus on the Positive)

   「世界は苦難に満ちている。しかし同時に、それを克服することにもまた満ちている。

   (Although the world is full of suffering, it is full also of the overcoming of it.)」


(6)楽観主義であれ  (Hang-out with Winners)

   「自ら『出来るはずがない』と言いあっているうちは、何もできないものだ。

   (While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.)」


   「楽観主義は物事を達成へと導く信仰である。
   希望、そして確信が無ければ、何事もなし得ることはできない。

   (Optimism is the faith that leads to achievement.
    Nothing can be done without hope and confidence.)」


(7)自分の運命はすでに自分の手の中に  (Your Destiny is in Your Hands)

   「私が探しているものは外のどこかにあるのではありません。
   すでに自分の内にあるのです。

    (What I am looking for is not "out there," it is in me”.)」

   *一人ひとりが成功するために必要な要素はすべて、実はすでに
    それぞれの内に持っている。ただしそれは黙っていては実現化しない。

    その要素を内に秘めていることを確信し、その成功に値するだけの努力
    をして「内なる力」を引き出さねばならない。

         <平成23年6月23日 記>

「奇跡の人」ヘレンケラー (2970)
日時:2011年06月24日 (金) 06時14分
名前:伝統

来週の月曜日の6月27日は【奇跡の人の日】

アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年(明治13年)の誕生日。
生後1歳9カ月で、猩紅熱(しょうこうねつ)のために目・耳・口が不自由になったが、
家庭教師アン・サリバンの厳格かつ献身的な教育によって読み書きを覚えて
大学を卒業し、「奇跡の人」と呼ばれました。

日本にも3度ほど来て、多くの障害者へ希望を与え、聖女と称えられました。

 <参考Web:ヘレン・ケラー・バースデー
  http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ca7a0c92d1f41e59e50974d5ba36206b >

         <平成23年6月24日 記>

”ヘレン・ケラー【It is warm today】 ”  (2987)
日時:2011年06月25日 (土) 04時39分
名前:伝統

注意!

以下の文章を読むと、どんな逆境にも、いいわけができなくなる恐れがあります。


ヘレン・ケラー〜アメリカの社会福祉事業家の物語。


(1)ヘレンケラー1歳9ヵ月のときです。

   原因不明の高熱と腹痛におそわれ重体。
   耳と目をおかされ光と音の世界から完全に隔離。
   「見る」「聞く」「話す」ことができなくなってしまったのです。

   でも両親は希望を捨てなかった。


(2)方々調べてヘレンのための家庭教師として、アンニー・サリヴァンとご縁がつながります。

   このサリヴァンこそ、その後50年間ヘレンのよき半身となって献身的努力を続け、
   後に米国の著名作家マーク・トウエインをしてナポレオンとともに『19世紀の奇跡』とたたえ、
   聖女といわしめるまでにヘレンケラーを育てあげた『偉大なる教師』その人である。



   当時22歳のサリヴァン、7歳のヘレン。

   サリヴァンは、まず最初に人形をヘレンに抱かせ、
   指文字で「DOLL(人形)」という字をその掌に書きました。

   ヘレンは何のことかわかりません。
   しかし何度も何度も繰り返しているうちに、
   それが自分の抱いているものの名前であることが次第にわかってきました。

   サリヴァンはヘレンのことをよく観察し、ヘレンの興味を引き立てながら、
   ひとつひとつ気の遠くなるような時間をかけて
   独学によって知り得るすべてのものを教え授けていきます。


(3)1889年10月、 ヘレンはパーキンス盲学校に赴きます。

   ここでヘレンは生まれて初めて自分と同年輩の多くの盲児と遊びます。
   元気にはしゃぐ子供たちが、自分と同じ盲人であることを知った時の驚き、
   しかも子供たちが実に幸福そうであること知ったヘレンの喜びは筆舌につくし難く、

   「私はどんなに生き甲斐を感じたことでしょう」 と自伝で述べています。

   そしてヘレン11歳の春。
   一生忘れられない思い出の年になりました。

   彼女が長い年月、何とかして話したいと念願していた、その悲願が達せられたのです。

   それまでは、一言でも声というものを発してみたいばかりに、
   常に片手で自分の喉を押え、片手を唇にふれて声を出そうと努めていました。

   サリヴァンの口の中に指を突っこんで話す時の舌の位置を知ろうと努め、
   そのためサリヴァンが嘔吐したことも何度もありました。

   ヘレンの自伝にはこうあります。

   「私は最初に『It is warm today(今日は暖かです)』と自分には 聞えないながらも、
   声だけは発し得た時の驚きと喜びは、終生忘れ得ないことです。

   それは聞き取りにくい言葉ではあった。
   しかし正しく人間の言葉であった。
   私はこれで永い間の苦悩から救い出された」

   「今日は暖かです」

   このたった一言を発することができたときの喜びを一生涯忘れられないというのです。

(4)ヘレン17歳。
   ヘレンはハーバード大学を希望し、その入学準備のためケンブリッジ市の女学校に入学します。

   ハーバード大学の当時の入学試験科目は英語、歴史、フランス語、ドイツ語、ラテン、
   ギリシャ両古典及び代数、幾何。
   これをマスターしなければいけないのです。

   見る聞くができない状態でです!

   サリヴァンもヘレンと一緒に女学校に登校して授業に同席し、 教師の教えるところを
   サリヴァンがそのまま指文字でヘレンに伝え、また質問する時はヘレンが指文字で
   サリヴァンに伝え、更にサリヴァンから教師に口でその意味を説明するという極めて
   不便な方法ででした。

   3年間の大学入学準備期間は、睡眠時間削り勉強し
   点字本を読むための指頭からは血がふき出るほどだったそうです。

   しかし、この苦労は報われます。
   ハーバード大学附属のラッドクリフ女子大学入学できたのです!

   
   卒業の年には、ヘレンの講演会が開催されました。

   壇上に進んだヘレンは、生まれてはじめて人前に立ち、
   力一杯の声を張り上げたつもりでしたが、自分ではその声は聞こえません。

   実際に喉から出た声は実に細く、側にいた人が辛うじてきき得る程度だったそう。

   それをその会の会長がそのまま大声で復唱して伝えたところ聴衆は感激。


   演説を終って退場するヘレンに聴衆が殺到し、
   交通巡査が出動するほどの大反響になりました。


(5)1歳9ヵ月で「見る」「聞く」「話す」ができなくなったヘレンケラーに
   モノには名前があることからはじめ、言葉や代数、幾何まで教えることは
   まさに不可能への挑戦だったと思います。

   「今日は暖かですね」

   この一言を発するだけでも10年の歳月がかかっている。
   もう想像しただけで倒れそうになります。


   <サリヴァンへ>
   あなただって、あきらめたくなったことはきっと何度もあったよね。

   1日かけて1mmも進まない。
   1ヵ月かけても1mmも進まない。

   私は人生を無駄してるのでは?
   私は人生を無駄してるのでは?

   そう自分に問うた日だってきっとあったよね。

   だってあなたもまだ二十歳そこそこだったんだもんね。
   友達と遊びに行きたい日だってきっとあったよね。


   <ヘレンへ>
   自分のためにこれほどの情熱をかけてくれるサリヴァンに対して、それでも
   進歩しない自分に絶望して、申し訳なくて死にたくなった日もきっとあったよね。

   なんで私は見えないの? 聞こえないの? 話せないの?
   でも、どうして涙だけはでるの?

   そう嘆いた日もきっとあったよね。


   1日1mmすら進まない前進を50年間続けたサリヴァンとヘレン。

   でも、その前進は後の世の人々の心の伝説になりました。


(6)サリヴァンとともに、3重苦を乗り越えたヘレンケラーはこんな言葉を残しています。

   「私は自分の障害を神に感謝しています。
    私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、
    この障害を通してだったからです」


   では最後に目にやきつけてください。

   これがサリヴァンとヘレンケラー。
   ふたりが出会ってまもない頃の写真です。
      http://plaza.rakuten.co.jp/megumemobin/3007

    *出典は「名言セラピー」より。


 <参考Web:言葉が不自由だったヘレン・ケラーが喋る貴重な動画
        http://getnews.jp/archives/26223 >

         <平成23年6月25日 記>

”書生 さま”へ感謝! (2992)
日時:2011年06月25日 (土) 09時55分
名前:伝統

”書生 さま” ありがとうございます。

>もう少しヘレンについて勉強します。
>このヘレンの生き方、みなさんに知ってほしくおもいました。

”書生 さま”の感性の高さに、尊敬の想いでいっぱいです。

”書生 さま”のように、このスレッドで何かを感じていただける人がいて、
よかったと、今、心の底から感じております。
感謝申し上げます。

・・・・・・以下に、ヘレン・ケラーの言葉を数点紹介させていただきます。

(1)私は、盲・聾・唖の障害者でありながら、世間の常識に反して
   自分は幸福であるという考え方を信条としている。

(2)私は自分の障害に感謝している。
   私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、
   この障害を通してだったからである。

(3)幸せの扉がひとつ閉じるとき、別の扉がひとつ開く。
   けれども、私たちは閉じたほうばかり見つめていて、
   私たちのために開けられた扉に気づかないことが多い。

(4)悲しみと苦痛はやがて「人のために尽くす心」という美しい花を咲かせる土壌だと考えよう。
   心を優しく持ち、耐え抜くことを学ぼう。

   強い心で生きるために。

(5)不幸せの極みにあるとき、自分にはすべきことがあるのだと信じなさい。
   誰かの苦悩を和らげてあげられるかぎり、人生は無駄とはならない。




<参考:Web「谷口雅春に訊け(6月25日)&(6月24日)」において、
    「奇跡の人 ヘレン・ケラー」について、紹介されております。
    http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/2011-06.html#20110625 >

         <平成23年6月25日 記>

「ヘレン・ケラー」と「塙保己一」 (3003)
日時:2011年06月26日 (日) 06時30分
名前:伝統

ヘレン・ケラーは日本を3回訪問しています。
@第1回目は昭和12年(1937年)米大統領の平和親書を携え初来日。
A第2回目は昭和23年(1948年)戦後の混乱期に来日。
B第3回目は昭和30年(1955年)ヘレンの晩年に来日。

第1回目の初来日では、埼玉県を訪問しております。

埼玉県の埼玉会館での講演会で次のように語っています。

「私は特別な思いを抱いて、この会場にまいりました。
いつか日本に行ってみたい、日本に行ったら必ず埼玉を
訪問したいと長い間思っていました。

その夢が、今日かないました。

それは、私が人生の目標とし、苦しく、辛く、くじけそうになったときに
心の支えとしての人が、この埼玉ゆかりの人物であったからです。

その人の名は≪塙保己一≫といいます」

保己一が亡くなってから115年後のことでした。




ヘレン・ケラーが塙保己一を顕彰する社団法人温故学会(東京)
に来会したのは、昭和12年4月26日のことであった。

この時、ヘレンはこう話しています。

「わたしが幼いときのことですが、母はわたしに
『塙保己一(はなわほきいち)先生はあなたの人生の目標となる方ですよ』
とよく話してくれたものです。

日本には幼くして目がまったく見えなくなってしまったのに、
努力して立派な学者になった塙先生という方がいたと教えられました。
それを聞いて、わたしは励まされて、いっしょうけんめい勉強しました。

そして、苦しいとき、つらいときも、くじけず努力することができたのです。

今日、こうして温故学会を訪問して、先生の像にじかに触れることができたのは、
今回の日本訪問の中でもっとも意義ぶかいものでした。

使い古された質素な机に触れ、優しそうに少し首をかしげた先生の像に両手で
触っていると、塙先生のお人柄が伝わってきて、いっそう先生への尊敬の気持ちが
強くなってくるのです。

この塙先生の名前は、これからも何世代にわたって、豊かな水をたたえる川の流れのように、
絶えることなく永遠に伝えられていくにちがいありません」

  *「塙保己一とともに」堺正一・著 より

         <平成23年6月26日 記>

ヘレンケラーが人生の目標とした「塙保己一」とは? (3025)
日時:2011年06月27日 (月) 07時31分
名前:伝統


(1)塙保己一の生涯

   江戸時代中期の国学者で、延享3年(1746年)現在の児玉町保木野に生まれた。
   7歳の時失明、15歳で江戸に出て賀茂真淵らに国学を学んだ。

   寛政5年(1793年)幕府保護のもとに江戸番町に和学講談所をたて、
   多くの門人を養成した。

   文政2年(1819年)に群書類従を完成させた。


   <参考Web:塙保己一の生涯
           http://www.onkogakkai.com/hanawa_life.htm >

(2)群書類従(ぐんしょるいじゅう)

   塙保己一編、江戸時代の1819年(文政2年)完成、
   正編1270種530巻666冊からなる日本最大の国書の叢書。

   盲目の国学者・塙保己一が古書の散逸を危惧し、41年の年月を掛けて集輯・編纂。
   幕府や諸大名、寺社など多くの機関や人々が協力して、江戸初期までに刊行された
   史書や文学作品を所収。

   その後の歴史学、国文学等に多大な影響を与え、学術研究に貢献している、
   今なお非常に貴重な叢書である。

   続編「続群書類従」は2103種1150巻1185冊、編者塙保己一は死去、
   子の忠宝は暗殺、そののち孫の忠韶に編纂が受け継がれ、
   孫の代の明治44年(1911年)に完成した。

   正編と同様、のちの学界に大きな影響を与えた。

   <参考Web:群書類従の編纂
          http://www.onkogakkai.com/ruijyu_hensan.htm >

(3)塙保己一の人となり

  @”驚異的な”記憶力の持ち主で、何万冊もの書物を暗記した。

  A手先が不器用なために「あんま」や「三味線」を習得できなかったが、
   学問の世界では、持ち前の才能に加え、努力のすえ学者として大成した。

  B「群書類従」の刊行という文化的功績により、将軍にお目見えを許され、
   実家は苗字帯刀を許されるほど出世した。

  C片田舎の農家に生まれた盲少年が、盲人社会最高位の総検校になり、
   その葬儀は大名の格式で行われるほどであった。

  D16歳の自殺未遂以後、「多くの人に支えられて生きている。その人たちの
   ためにも”世のため、後のために”生きよう」と決意した。

   保己一はこんな歌を詠んでいます

   ”何事も 我が前(さき)の 世の報ぞと 思へばいはん 言の葉もなし”

   運命をあるがままに受け入れ、前向きに生きたのです。
   日々「般若心経」を読誦につとめた与えられた生き方でした。

   その後は、感謝のうちに、卑下することも奢ることもなく、精神的自由を
   謳歌したといっていい人生を送りました。

       *「塙保己一とともに」堺正一・著 より

         <平成23年6月27日 記>

感謝! (3031)
日時:2011年06月27日 (月) 09時19分
名前:伝統


”コスモス さま”いつもありがとうございます。

ハンディを負った偉人の伝記を読むと、
「神の子・人間、無限力」の奥深さに感銘を受けると共に、
おのれの未熟さに恥じ入るばかりであります。

このスレッドにも関連しますが、別のスレッド「水への想い」へ
谷口雅春先の聖詩「生きた生命」を掲示し、お礼といたします。

         <平成23年6月27日 記>

「楽天主義」 (3061)
日時:2011年06月28日 (火) 06時03分
名前:伝統

塙保己一については、ブログ「谷口雅春に訊け(6月27日)」において、

”不屈の精神とは 「塙保己一と中村久子」に学ぶ”という題で詳しく紹介されて
おりますので、ご関心のある方は、参照してみてください。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562052.html

(個人的には、この情報をアップしたブログ「谷口雅春に訊け」管理人さまの
 感性の鋭さに脱帽するとともに、感動・感激・感謝の想いでいっぱいです)


また、そこに出てきている「中村久子」さんも壮絶な人生を経験した素晴らしく魂の高い人です。

「中村久子」さんについては、別の機会に、紹介できればと密かに思ったりしています。



・・・・・以下は、ヘレン・ケラー著の「楽天主義」の要約の紹介です。

「楽天主義」(ヘレン・ケラー著)

(1)幸福の境地

  @誰もが自分の才能に見合った仕事を自由に選べるとしたら、
   人生はどれほど楽しいものになるだろうか。

   幸福感に満ちて、充実した毎日を過ごせることにほかならない。

  A人生の目的は何か、などと堅苦しく考える必要はない。

   楽しく生きて、この世を去るときに、
   「生まれてきてよかった。幸福な人生だった」 と振り返ることができたら、

   その人は人生を楽天主義者として過ごせた成功者だといえる。

  B幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。

   自分が納得のいく仕事をしたとき、美しい風景を眺めたとき、家族で和やかなに
   団欒しているとき、人は幸福を意識することなく心の安らぎに浸るのである。

   その安らぎこそが、幸福の境地なのではないだろうか。

(2)信じること

  @私は他人が善を行うことを愛するのである。
   これらの善の活動は、私が助力しようと願おうが願わまいが、
   真実の人間観を樹立する証となるものである。

  A私は、誰もが最高のものとして信じている力、
   すなわち「秩序」「霊力」「自然」「神」の恩恵を認める。

   万物を生育させ、存立させている太陽の力を認める。

   私はこれらの不思議な力を仰ぎ、その導きによって善なるものが実現することを信じているため、
   これらを師として、また友として、それらが与えるどのような運命にも感謝し、
   歓喜し、勇躍して服従するのを光栄とする。

   このことがまさに、私の楽天思想の思想的態度なのである。

(3)神の世界で

  @私の考えるところでは、深遠で厳粛な楽天主義は、
   自分自身は神のなかにあるという強固な信念より溢れ出たものである。

  A神の大きな心はいっさいの真理に通暁し、あるがままに宇宙を包み込み、
   幻影を実体に変える。

  Bまた、絶えずやむことのない変化を見てとり、永遠で極まる
   ところのない悟りの世界における実相の一要素とする。

  C私たちは宇宙のほんの小部分を手で掴むだけであるが、
   精神は宇宙全体を眺め、宇宙を支配する慈仁恩愛の法則を認めている。

(4)未来への確信

  @世の中にはいまなお多くの邪悪があり、それら邪悪はいまだに掃討されていない。

   しかし、我々楽天主義者は、洋々とした未来に希望を抱いている。

   楽天主義者の信条のなかには、失望、落胆はない。
   神の正義と人の尊厳を信じているからである。

  A現在のような、各民族が互いに抗争し、それぞれの主義主張
   が相争う惨憺たる修羅場のなかから、徐々に絢爛たる霊的新
   時代が現れようとしているのを我々は感じている。

   この新時代においては、人類はみな「平和」を法律とし、「親和」を定則とし、
   「労働」を手段とし、「神」を天に戴く一同胞となるのである。

   そうなれば、現在の諸民族間における対立はなくなるであろう。

(5)私の信条

  @すべての信念を統括するものは、この宇宙を創造した偉大な力として、
   別に厳然と存在している。

   そして、私があらゆる災害と艱難を克服して、
   信念を維持できるように守ってくれている。

  A楽天主義とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より
   美しいものにするための努力を重ねる生き方なのである。

  B明日は今日より美しい。 明後日は明日よりさらに美しい。

   楽天主義者はそのように信じている。

(6)未来に対する希望

  @私はいま幸福の絶頂におります。 毎日が充実しています。

  A私の三重苦の障害は、神様が私に授けてくれた運命です。

   この障害のおかげで、私は外部からの妨害や悪い影響などを
   いっさい受けることなく、積極的に考えて生活することができるのです。

   障害は神様からの恩恵であり、
   私はこの運命に対し、心から感謝しております。

  B人は目的なり志なりを立てて、
   その実現に努力することが成功への道です。

   その努力には、目的の財産や権力を得るのにふさわしい人格
   をつくることも含まれています。

   努力をするから人生は楽しくなるのです。
   精一杯の能力を注ぐことで、その努力は必ず報われます。

(7)楽天主義者は、信じ、試み、そして目標を成し遂げる。

   楽天主義こそいっさいを成功に導く信念である。
   希望がなければ何ごとも成就するものではない。

(8)どんなに幸せそうに見えても、
   本人が幸せと思っていなければ、その人は幸せではありません。

   どんなに不幸に見えても、
   本人が自分は幸せと思っているのなら、その人は幸せです。

(9)人生とは興奮に満ちた仕事の実践である。
   最も興奮するのは、他人のために生きるときだ。

(10)人生は、私たちが愛のなかで育つようにと、神さまが与えてくださったものだと思う。

         <平成23年6月28日 記>

常に希望を失うな (3084)
日時:2011年06月29日 (水) 08時20分
名前:伝統


   (谷口雅春先生・著『新版 生活読本』より)


ヘレン・ケラー女史は
「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である。
希望がなければ何事も成就しない」と云いました。

楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て常に
「よくなる」と云う希望を失わない「考え方」です。


今、日本に必要なのは、
この「必ずよくなると云う希望」ではないでしょうか。

希望を失わない、愉快な明るい民族は栄えるのです。
発達する国民の奥にはこの愉快な明るい国民性があるのです。

日本人も本来、明るい国民でしたが、いつの間にか暗い陰気な
苦虫かみつぶした顔をしている方が上品だなどと考え出したのです。
暗いところでは大きな樹はそだちません。人間でも同じです。


心に日光をもつことです。
暗い気持ちで物をつくっても、好いものは作れません。
明るい気持ちで物をつくれば好い考えが浮かんでくるでしょう。

考えて御覧なさい。
叱られて暗い気持ちになってから勉強してもよく覚えられないでしょう。

ほめられて楽しい気持ちでやったときには、
難しい算術の応用問題でもスラスラと解けるでしょう。

歴史の本や読本を覚えようと思っても中々覚えられないのに、
面白い芝居を愉快な楽しい気持ちで見ていると、
読本よりも、ズッと長い、むつかしい役者の言葉を、
「誰が、あの時こう云った」と、一つ一つ間違えずに覚えられるでしょう。
これは愉快な気持ちでおれば、心がよく働くからです。


愉快な気持ちは、機械に油をさすように、心の運転に油をさすものです。
油を充分さした機械は、どんなに激しく回転しても摩擦する(すれてちびる)
ことはありません。

それと同じく、「楽しさ」で油をさした心は、
どんなに働いても疲れることはありません。

         <平成23年6月29日 記>

初来日時の肉声発見…「ありがとう」 (4019)
日時:2011年08月21日 (日) 08時30分
名前:伝統

ヘレン・ケラー初来日時の肉声発見…アリガトウ
読売新聞 8月18日(木)14時57分配信

視力や聴力を失いながら社会福祉活動を行った米のヘレン・ケラー(1880〜1968)が、
1937年の初来日時に日本への印象などを語った録音テープが見つかった。

約8分で最後に「さよなら、ありがとう」と日本語で結んでいる。

東京文化財研究所と早稲田大学演劇博物館の調査で、大阪芸術大学が保管する音声テープ
「トーキングブツク ヘレンケラー」に声があった。

ケラーは1937年4月に来日、8月の離日まで全国で講演した。

音声はスタジオ収録したもので、盲目の福祉運動家岩橋武夫の問いを秘書が指でケラーに伝え、
彼女がくぐもった声で答えている。

ケラーは滞日生活の印象を述べた後、

「日本の友にお願いしたいのは、見えず聞こえざる同胞に対して惜しみなき助けの手を伸べて
いただきたい。彼らを社会の有用な存在たらしめ、幸福なる人たらしめてほしい。
真の助けの手を伸べていただきたい」と、福祉向上を訴えた。

ケラーは戦後にも2回来日し、その映像と音声はあるが、戦前の音声は貴重とみられる。
研究所や早大は「目と耳が不自由なケラーに日本語を語らせるのは、声帯の動きを通して
教えるなどの苦労があったはず」と話している。 .最終更新:8月18日(木)14時57分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110818-00000661-yom-soci

希望と言葉が運命を変えていく (10616)
日時:2012年06月27日 (水) 06時49分
名前:伝統

今日、6月27日は【奇跡の人の日】。

【奇跡の人の日】
   アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年(明治13年)の誕生日。
   生後19か月で、猩紅熱(しょうこうねつ)のために目・耳・口が不自由になったが、
   家庭教師アン・サリバンの厳格かつ献身的な教育によって読み書きを覚えて大学を卒業し、
   「奇跡の人」と呼ばれた。



   *『「超」言葉力』ハイブロー武蔵・著(P43〜45)より

世の中には大変な、つらい運命の中に生まれてくる人もある。
神様は本当にいるのか、と言いたくもなる。
しかし、そんな運命さえも打ち破っていく人もいる。

ヘレン・ケラーもその一人である。

人は言葉を身につけることで、初めて人間らしく生きていける存在となっていく。
ところがヘレン・ケラーは一歳半の時、言葉を獲得する前に音のない暗闇の世界に
閉じ込められた。

物の名前はもちろん、父や母のこと、善いこと悪いことのすべてが識別できないまま、
7年という歳月を過ごした。

この運命を変えたのは、サリバン先生というすばらしい人に出会ってからであった。

サリバン先生は少女ヘレン・ケラーの手のひらに指で文字を書いて教えていく。
初めて言葉として理解できたのが「水」だった。
ヘレンケラーは、「水」という言葉を自ら獲得できた時の感動を次のように述べている。

       ○       ○

ところが突然、私は何かしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえって
こようとする思想におののきといった、一種の神秘的な自覚を感じました。

この時初めて、水とは自分の手の上を流れている不思議な冷たい物の名前であることを
知りました。この生きた一言が私の魂を目覚めさせ、それに光と希望とを与え、
私の魂を解放することになったのです。

       ○       ○



その後、ヘレン・ケラーは、長い眠りから覚めたように好奇心を強く持ち、
大学に進み卒業しました。卒業後、彼女は1968年6月1日八十七歳で亡くなるまで、
体の不自由な人たちを助ける運動を世界中に広めていったのです。

木原武一氏は『大人のための偉人伝』の中で、ヘレン・ケラーの奇跡について
見事な説明をしてくれている。

       ○       ○

彼女は、ことばとともに、魂が抜けた野生児から生き生きした人間へと変貌したのである。
ことばがなければ、人間はありえないし、人間社会もありえないだろう。
ヘレン・ケラーの体験は、人間はまさしく「ホモ・ロクエンス」(言葉を持つ人間)である
ことを雄弁に語っているのである。

そして同時に、私はこんなふうにも考える。
奇跡ということを持ち出せば、三十苦のヘレン・ケラーがことばをおぼえ、のちには
口もきけるようになったことが奇跡なのではなく、人間がことばをおぼえることじたいが
ひとつの奇跡なのではなかろうか、と。

われわれは安易に奇跡を連発するために、ありふれた奇跡に鈍感になっているのではないか。
赤ん坊が生まれて数年もしないうちに、状況に応じてどのような言語も習得してしまうのは、
あらためて考えてみれば、この世の最大の不可思議と言えるのではなかろうか。

ヘレン・ケラーを「奇跡の人」と呼ぶのは正しい。
彼女は人間そのものの奇跡を教える人である。

彼女の体験は、ほとんどすべての人がことばの学習を通して
ひとつの奇跡を体験していることを思いおこさせるのである。

       ○       ○

私たちはヘレン・ケラーの生涯を見るとき、
変えられない運命はないと教えられる。

希望と言葉を持ちつづけているかぎり、奇跡さえ起すことができるということである。
希望と向上心を持ち、言葉を大切にすることで、なりたい自分に近づいていけるのである。


・・・以下は、谷口雅春先生の言葉より

(1)「人生読本」より

   眼が見えず、耳が聞こえず、口が利けなくとも、
   希望を失わず、勇気を落とさずにいたら、
   人間はヘレンケラーのように偉い者なれるのです。

   眼が見え、耳が聞こえ、口が利ける皆さんが希望を失わず、
   勇気を失わず、自分の目的とする所へ突進して徃ったら、
   どれほど優れた人になれるか、考えてみずとも判るでしょう。

(2)「生活読本」より

   ヘレン・ケラー女史は
   「楽天主義こそ一切を成功にみちびくところの信仰である。
   希望がなければ何事も成就しない」と云いました。

   楽天主義とは、ものの明るい方面ばかりを見て常に
   「よくなる」と云う希望を失わない「考え方」です。

   希望を失わない、愉快な明るい民族は栄えるのです。

   心に日光をもつことです。
   暗い気持ちで物をつくっても、好いものは作れません。
   明るい気持ちで物をつくれば好い考えが浮かんでくるでしょう。

            <感謝合掌 平成24年6月27日 頓首再拝>



Number
Pass




レノボ週末クーポン   掲示板の作り方
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板