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中秋の名月 (4406)
日時:2011年09月12日 (月) 07時12分
名前:伝統

今日、9月12日は、満月で、中秋の名月

今夜は、ススキと月見団子をお供えし、名月を味わう日ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=8xG366N9FM0&feature=related

今夜の中秋の名月の輝きを神々さまにお祈りいたします。

まずは、童謡で、幼心を思いだしましょう。

(童謡)十五夜お月さん
http://www.youtube.com/watch?v=oQVOepp21Ko&feature=related
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_0164.html

(童謡)うさぎ (わらべうた)
http://www.youtube.com/watch?v=QkMsLR-zQZo&feature=related

・・・・・

そして、満月で中秋の名月である今夜の神想観は、「浄円月観」でしょう。

          *「聖光録」より

淨圓月觀

(正坐瞑目合掌し、普通の神想観の如く、
 無限の智慧、愛、生命、供給、歓び、調和の世界を観じたる後、次の如く繰返し祈る)

 神よあなたの無限の愛を吾れに流れ入れ給いて、
 吾れに於て愛の霊光燦然として輝き給え、
 然して、すべての人の罪を赦しすべての人々を愛したまえ。

(以下思念を次の通り繰返します)

 神の無限の愛吾れに流れ入り給いて吾れに於て愛の霊光燦然と輝き給う。

(坐れる自身の身長と同じ位の空色の淨圓月の雰囲氣に包まれている自分を内観します)

 吾れに淨圓月の雰囲氣ただよう。
 吾が雰囲氣は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。
 
 すべての人々に平和と喜びを与え、すべての人の罪を赦し、
 すべての人を愛するのである。

(前に戻って繰返し念ずるのであります)


・・・・・

 *補足〜「詳説 神想観」(「浄円月観」)より

この神想観は自分の雰囲気をやわらかく、あたたかく、人に平和と喜びを与えるような、
そういう雰囲気をよくするにふさわしい神想観であります。

まず普通の神想観の如く、無限の智慧、愛、生命、供給、歓び、調和の世界を観じたる後、
(あるいは最初から直接)次の如く繰返し祈ります。


『天地一切の創造主(つくりぬし)にましまして、吾が御親にまします神よ、
あなたの無限の愛を吾れに流れ入らしめ給いて、吾れに於いて愛の霊光燦然と輝き給いて、
すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛し給え。』

これが祈りの言葉であります。

我々が人の罪を赦そうと思ってもなかなか腹が立って赦せない。
怨み骨髄に徹し、嫉妬心が起ったり、損得利害の考えが起きてきてどうしても赦す事ができない。

しかし、それは人間で赦そうと思うからできないのであります。
そこでこういう祈りが必要になる。

神の無限の愛が自分に流れ入って、そして神の愛が自分において人々を赦すので
自分が赦すのではない。

人を赦さないで憎んだり、怨んだりして人を縛る心を持つと自分自身の心が縛られ
その人の雰囲気が峻しい雰囲気になっている。そして人が何となく近寄りがたく親しみがなくなる。

そこですべての人々を赦し、すべての人々を愛するような雰囲気になりますと
人が自然と親しみやすく、近よりやすく、その人の為に何でもしてやりたいと思うようになって、
おのずから店も繁昌し、事業も協力者を得て成就するという事になるわけであります。


それでこの祈りを数回一心不乱に繰返しまして、その祈りがきかれたと思いまして出来るだけ
ゆっくり息を吸いながら空気を吸うと思わず、光り輝く神様の愛が流れ入ると観じながら。


『神の無限の愛吾れに流れ入りたまいて吾れにおいて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾れに浄円月(じょうえんげつ)の雰囲気ただよう。吾れに浄円月の雰囲気ただよう。』

こう念ずるまで息をずっと吸っているわけであります。
吸い終わってもう息が入らないでも息を吸っておるつもりで
じっと息を止めていればよろしいのであります。

『吾れにおいて愛の霊光燦然と輝きたまう』

と念ずるときには光り輝くものが流れ入ってその念ずる言葉と調和して自分を中心に
黄金色の光が自分からさして、そしてちょうど自分の背より一尺くらい大きい位の黄金色の
ガス状みたいな後光(オーラ)が自分を取り囲んでいるような気持ちになり、

静かなる空色の浄(きよ)く円(まど)かなるお月様のような光を放っている、
その雰囲気をじっと見詰めるのであります。

それで下腹に力を徐々に入れながら、”みずおち”を引っ込めてその辺の息を下腹に落して、
下腹に息をじっと保ったままその雰囲気をじっと見詰めて、

『吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。
すべての人々に平和と喜びを与え、すべての人々の罪を赦し、
すべての人々を愛するのである。』

こういうふうに下腹に息を軽く入れて保ったままで
「吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。すべての人々に平和と喜びを与え」
―― その自分まで息を下腹に保ち、

その次の「すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである」 
―― こう念ずる自分、息が自然と洩れて下腹が少し引っ込む位の気持ちになる。
それで息がでるとまた息を吸う。

吸うときは「神の無限の愛吾れに流れ入り給いて吾れにおいて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾れに浄円月の雰囲気ただよう。吾れに浄円月の雰囲気ただよう」、
息を吸い終るとその息を下腹に落し、

「吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。すべての人々に平和と喜びを与え」
―― こう念じている時分が一番下腹に息が入って下腹がふくれている時分です。

そして、「すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである」
―― という時分に息がもれ、下腹がちょっとくぼんだような状態になる。

これを繰り返します。

・・・・・

  【、「浄円月観」でニコニコ晴れやか、”ツキ”を収め、大飛躍!】(笑)

                <平成23年9月12日 記>

≪月の兎 みたりの友≫  (4435)
日時:2011年09月13日 (火) 20時32分
名前:伝統

月と兎に関連し、次のお話を紹介致します。

    *メルマガ「大和しうるわし(2011年09月13日)」より

≪月の兎 みたりの友≫

 良寛の長歌「月の兎」に、「みたりの友」という話がある。
 http://blogs.yahoo.co.jp/sitiyu33/11127578.html

 この話を現代的に表現したお話です。

・・・

まいにち、まいにち、野山をかけめぐり、さるときつねとうさぎの三人(みたり)の友は、
楽しく暮らしていた。朝は、早くから、なかよく遊び、日が暮れて夕になっても、
時をわすれて遊んでいた。

山の神さまが、あまりになかのよい三人を見て思われた。
「ようし、この三人のこころがやさしく、ほんもののこころ根なのかたしかめてみよう」と、
お腹をすかせた、老いた旅人の姿になってやってきた。

「おい、おい、おまえたち、お腹がすいて、もう歩けない。
何か食べるものをとってきてはくれないか」

「それは、おやすいご用です」と、さるは、山へ木の実を狩りにはしり、
きつねは、川へ魚を狩りにいった。二人とも何の苦労もなく老いた旅人のところへ
食べ物をもってきた。

うさぎは、野山を一日中走り回ったが、何も狩ることができない。
暗くなり、しかたなく何も持たずに帰ってきた。

さるときつねは言った。
「おまえだけ、私たちとこころ根が違うのではないか。どこかで一日中遊んでいたにちがいない」

うさぎは何も言い訳をしなかった。
「さるさん、山から柴を刈ってきておくれ、きつねさん、その柴に火をつけておくれ」
二人は、うさぎに言われたようにした。

あっ!
さっとうさぎが飛び込んだ。天に立ち昇る炎。
うさぎは、見知らぬ旅人に、自分の身を与えたのだった。

「何ということをしてしまったのだ、あんなに仲の良かった三人のこころの根を確かめようと、
こんな姿に身を変えてまでして・・・」

炎の中から、うさぎの亡骸を抱きかかえて出てきた旅人の姿は、山の神であった。

「三人とも、こころ根は、やまとこころ。
されど、身を捨ててつくしたうさぎのこころ根は、誰にもまして貴い。
このこころ根を、後々のやまとの国に語り継ぐよう、月夜霊(つくよみ)様にお願いし、
お月さまの世界で、いついつまでも生きていられるようにしてもらおう」
と天に昇っていかれたのである。

それからというもの、やまとの国のこころ宿る人が、やまとの国がある限り、
ひな(こども)に語り伝える約束となった。

如何でしょうか?

「なぜ月にうさぎがいるのか」という物語が、
私たちの国には、しっかりと伝わっているのです。
私は毎年、十五夜の月に出会うたびに、この物語を思い出します。

・・・

月夜霊(つくよみ)<月読命、月読神>
近年、パワーアップ中との情報もあります。

*伊勢神宮の「月読(月夜)宮」
http://irisensata.blog28.fc2.com/blog-category-7.html

月読命(ツクヨミノミコト)
http://nire.main.jp/sb/log/eid76.html

               <平成23年9月13日 記>

手塚治虫 (4443)
日時:2011年09月14日 (水) 10時21分
名前:童子

 手塚治虫は彼の名作『ブッダ』の冒頭で、
『ウサギが自分で身を焼いたナゾがわかる人間は、この世に何人もおるまい。そのような方はおそらく神になるべき人か・・・』とバラモンに言わせ、

 さらに、アッサジという架空修行僧を登場させては、腹を減らせた飢えたオオカミの子の前に自ら身を投げ出させ『これ以上の苦行はない』とブッダを悟らせ、

 そしてラストでは、それが『慈悲』だとブッダに言わせています。

慈悲とは、 (4459)
日時:2011年09月15日 (木) 19時08分
名前:伝統

”童子 さま”いつもありがとうございます。

”童子 さま”の投稿には、一瞬たじろがざるを得ない神秘性があります。

>『ウサギが自分で身を焼いたナゾがわかる人間は、この世に何人もおるまい。
>そのような方はおそらく神になるべき人か・・・』

>さらに、アッサジという架空修行僧を登場させては、腹を減らせた飢えたオオカミの子の
>前に自ら身を投げ出させ『これ以上の苦行はない』とブッダを悟らせ、

>そしてラストでは、それが『慈悲』だとブッダに言わせています。


”童子 さま”の紹介で
初めて『ブッダ』(現時点では、第1巻と第14巻だけですが)を読んでおりますが、
素晴らしい内容ですね。

折角ですので、
『ブッダ』第14巻から、「ブッダ」の言葉を全文以下に紹介しておきます。

・・・

「ウサギは自分から飢えた人に食べられて神になった・・・。
 この例え話は、昔 子供の頃に聞いた話なのです」

「だが、私はこのような行ないをした人間をまのあたりに見たことがある。・・・
 その人は生きたまま飢えたオオカミの子に自分をたべさせたのだ」

「その人はもちろん苦しかっただろう。
 ひきさかれる痛みはたえられなかっただろう」

「もちろん、このようなことはだれにでもできることではない・・・」

「みなさんはみなさんのできる方法でやればよい」

「お金を持っている人は苦しんでいる人に与え、
 力がある人は、苦しんでいる人をささえてやりなさい」

「余分なお金も力もない人は・・・せめて
 相手の気持ちをくみとって、かわいそうに・・・と同情してあげなさい」

「それだけでもいいのです。
 それであなたはあの例え話のウサギのように
 相手のために苦しんだことになる」

「この心のことを”慈悲”と呼びましょう」

「”慈悲”、どんな人の心にも宿っているはずです」

「あなたがだれかを助けたら、別の人が、今度はあなたをきっと助けてくれるでしょう」

・・・
               <平成23年9月15日 記>



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