言葉には、必ず精神波動が伴う (5473) |
- 日時:2011年11月26日 (土) 05時07分
名前:伝統
善くない言葉には、必ず善くない精神波動が伴い、 善き言葉には善き精神波動を伴う。
古人は、「賢者は人の見えざる所に慎む」といったそうだが、 すべからく今は、賢者は何人の聞かざる所においても 言葉は慎まなければならないのである。
キリストは「天地は過ぎ逝かん。然(さ)れどわが言葉は過ぎ逝くことなし」といって、 言葉の実現性(じつげんせい<ものにあらわれるちから>)を強調して、自分のいった言葉の 一点一画でも決して実現せずに消滅することはないと断言しているのである。
われらの言葉の力もやはりかくのごときものであってここで果(み)を結ばなかったら、 必ずかしこで果を結ぶのであって、いやしくも言葉が何物をも実現しないで 消滅することはないのである。
コトバはなんであろうと、必ずその言葉の内容とする何ものかを実現せずにはおかないのである。
だから、諸君は人の聞かざる所においても、できるだけ善き言葉を語り、 善き言葉を読まなければならないのである。
*『生命の實相(教育篇)(P183~184)』より
<合掌 平成23年11月26日 頓首再拝>
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