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尊敬される日本の姿 (5931)
日時:2011年12月28日 (水) 07時12分
名前:伝統

このスレッドでは、世界の中の日本人として、
歴史上、世界が日本をどう見てきたのかを種々の書を通して、
確認して参りたいと思います。

最初は、「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」<黄 文雄(著)、徳間書店(刊)>
からの紹介です。

・・・・・

著者は1938年、台湾生まれ。
著者は、日本に来て既に48年。
命を懸けて、日本やアジア情勢について、正論を貫いている方です

・・・・・

”帯”より

東日本大震災時だけではない

卑弥呼の時代から 「日本人 スゲー!」

世界が感動した日本の底力

・・・・・

<本著の概要>

黄氏の執筆動機は「東日本大震災」直後から発揮された、日本人の静粛な団結ぶりだった。
これらを実際に目撃すれば嘗(かつ)て同様の体験をし、その日本人の公共の精神と耐える
作法に感動し、羨望を交えて本国に報告した外国人が夥しくいた事実があります。

これらはは現代人を鼓舞してあまりあります。

東日本大震災で日本人の秩序だった行動が世界から絶賛されていることが、大きく報じられた。
しかし、日本人の公徳心の高さ、礼儀正しさは、2000年も前から世界が驚きをもって
伝えていたのである!

・不屈の精神
・美徳
・勤勉
・美意識
・武士道精神

について海外からみた日本に対し評価した文章(中でも日本を肯定しているもの)を
集めてあります。

・・・

<はしがき>より

日本人の冷静さ、忍耐強さ、秩序正しさ、不幸な出来事に対して不満を漏らさず、
粛々と対処する姿は、いつのものだろうか。

それを検証したのが本書である。
日本人が今回の東日本大震災で見せた美しい気質は、
驚くことにすでに『魏志倭人伝』のこらから、海外に伝えられていたのである。

2000年前から戦後に至る迄、日本を訪れた外国人の多くが、
日本人の実直な性格、正直さ、忍耐強さ、勤勉さ、美的センスを絶賛してきた。
本書はそれらの記録、見聞を丹念に集め、検証したものである。

海外から日本人がどのように見られてきたか、それを知ることはとりもなおさず、
「日本人とはなにか」を考察することでもある。
本書には、日本人が知らない「外国人から見た日本人」について、多くの紙面を費やした。



<参考Web>

草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-3618.html

読書 こんな良い本あるのご存じですか?
http://gungunil5.seesaa.net/article/227382047.html

            <感謝合掌 平成23年12月28日 頓首再拝>

ポール・クローデルが見た日本 (5941)
日時:2011年12月29日 (木) 06時24分
名前:伝統

第1章 不屈の精神

(1)私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。(ポール・クローデル)

  ①ポール・クローデル:1921年(大正10年)~1927年(昭和2年)
             駐日フランス大使

  ②日本へ赴任前には、アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などへの駐在生活を経ている。

   駐日フランス大赴任直前~雑誌『エクセルシオール』のインタビューにて

   「フランス代表としてミカドの国に赴任するのは、このうえない名誉です」

   「日本は極東最大の陸海軍を持つ強国ということにとどまらない。
   日本は非常に古い文明を持ちながら、それを見事に近代文明に適応させた国、
   偉大な過去と偉大な未来をあわせ持つ国でもあるのです」

  ③1943年(昭和18年)、日本の戦況が悪化しつつある時、
   パリにて、次の様なスピーチを残した。

   「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。
   あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。

   日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議では
   ありません。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に
   欧米の文化を輸入しても発展したのです。

   どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。
   しかし、日本にはその資格があるのです。
   古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」

   そして、最後にこう付け加えた。

   「彼らは貧しい。しかし、高貴である」

  ④天皇について

   また彼は、天皇について尋ねられたとき、こう述べた。

   「天皇に何か特別の国政上の行為があるように考えるのは不適切であり不敬であろう。
   天皇は、日本では魂のように現存している。
   天皇は、常にそこにあり、そして続くものである。
   天皇が、如何にして始まったのかは誰も知らないが、
   天皇が終わらないであろうことは、誰もが知っている」

   <http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=633 より>

  ④関東大震災時(1923年)の印象

   「地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが
   群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった。

   人々はまるで両親が発狂してしまった良家の子供たちのように、
   悲しみに満ちた諦めの気持ちを抱いていた。

   廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も『助けてくれ! こっちだ』というような
   差し迫った呼び声ではなかった。
   『どうぞ、どうぞ、どうぞ、お願いします』という慎ましい懇願の声だったのである」


   <参考Web:ポール・クローデル>
   ①さっとやってきて、さっといなくなる
     http://japanecho.net/jp/topic/0046/

   ②神に愛された日本
    http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/message013.htm     

            <感謝合掌 平成23年12月29日 頓首再拝>

ペリー提督が見た日本 (5944)
日時:2011年12月30日 (金) 04時55分
名前:伝統

幕末の機運が高まった安政年間(江戸時代後期)、
世情不安をもたらす「天変地異」が立て続けに起こきました。

浦賀沖にペリーがやってきた翌年の1854年12月23日(嘉永七年/安政元年)、
東海道地区で安政東海大地震(マグニチュード8.4の巨大地震)、

その僅か32時間後には安政南海大地震(これもマグニチュード8.4の巨大地震)と、
立て続けに発生しております。

その翌年の1855年、今度は江戸府内および関八州一帯に被害をもたらした
安政の関東大地震(マグニチュード6.9)が起きており、
この一連の大地震を安政三大地震と言います。


安政南海大地震による津波は房総半島から九州までの太平洋沿岸を襲い、
死者は3万人、全壊家屋2万戸、焼失、流失家屋それぞれ6千余戸という
大惨事でありました。


ペリーは1855年に帰国し、遠征についての記録
「アメリカ艦隊の中国海域および日本遠征記」をニューヨークで出版し、
大ベストセラーになりました。

1858年3月4日に心臓発作のため63歳で永眠。


ペリーは、地震に遭遇した日本人について、次のように記述している。

「地震によって生じた災禍にも拘わらず、日本人の特性たる反発力が表われていた。
その特性はよく彼らの精力を証するものであった。
彼らは落胆せず、不幸に泣かず、男らしく仕事にとりかかり、意気阻喪することも
殆どないようであった」              (「ペルリ提督日本遠征記 」)



・・・以下に、「ペルリ提督日本遠征記 」から他の項目についても紹介しておきます。

(1854年、日米和親条約<神奈川条約>の調印後)

(1)4月10日、神奈川郊外を視察

   ペリーたちはある町で「町長」の自宅に招かれ、酒と茶菓の接待にあずかった。
   「町長」の妻と妹が給仕にあたったが… こうした女たちの態度と行動に
   ペリーたちは好感を抱いたようである。

   「遠征記」は日本の女性の地位について次のように書きとめている。

   『日本の社会には、他の東洋諸国民にまさる日本人民の美点を明らかにしている
   一特質がある。それは女性が伴侶と認められていて、単なる奴隷として待遇されて
   いないことである。

   日本の母、妻、および娘は、中国の女のように家畜でもなく…  
   一夫多妻制の存在しないという事実は、日本人があらゆる東洋諸国民のうちで
   最も道徳的であり、洗練されている国民であるという優れた特性をあらわす
   著しい特徴である。

   この恥ずべき習慣のないことは、単に婦人の優れた性質のうちに現れているばかり
   でなく、家庭の道徳がおおいに一般化しているという当然の結果のなかにも現れている。

    …日本婦人の容姿は悪くない。若い娘はよい姿をして、どちらかといえば美しく、
   立ち居振舞いはおおいに活発であり、自主的である。

   それは彼女らが比較的高い尊敬を受けているために生ずる品位の自覚から来る
   ものである。日常相互の友人同士、家族同士の交際には、女も加わるのであって、
   互いの訪問、茶の会は、合衆国におけると同じように日本でも盛んに行われている』

   さらに、

   『下流の人民は例外なしに、豊かに満足しており、過労もしていないようだった。
   貧乏人のいる様子も見えたが、乞食のいる証拠はなかった。

   人口過剰なヨーロッパ諸地方の多くのところと同じく、女たちが耕作労働に従事して
   いるのもしばしば見え、人口稠密なこの帝国では誰でも勤勉であり、
   誰をでも忙しく働かせる必要があることを示していた。

   最下層の階級さえも、気持ちのよい服装をまとい、簡素な木綿の衣服を着ていた。
    …あらゆる階級の人々はきわめて鄭重で、外国人について知りたがり屋だが、
   決して図々しくでしゃばりはしない。

    …彼らの習慣は彼ら自身の間では社交的で、
   しばしば互いに親しい交わりをむすんでいる』と描写している。


(2)4月18日下田入港時

   『下田の町は小じんまりと建設されていて、規則正しくできている。
     …街路の幅は約20フィートで、一部分には砕石が敷かれており、
   一部分は舗装されている。

   下田は進歩した開化の様相を呈していて、
   同町の建設者が同地の清潔と健康に留意した点は、我々が誇りにする
   合衆国の進歩した清潔と健康さよりはるかに進んでいる。

   濠があるばかりでなく下水もあって汚水や汚物は直接に海に流すか、
   または町の間を通っている小川に流し込む』

   と、清潔と健康に留意した町づくりを称賛している。


(3)5月13日下田を出港し、5月17日函館の港に投錨

  ①『函館はあらゆる日本町と同じように著しく清潔で、街路は排水に適するように
   つくられ、たえず水を撒いたり掃いたりしていつでもさっぱりと健康によい状態に
   保たれている』

  ②教育については、下田でも函館でも、書物は店頭で見うけられ、
   『明らかにおおいに需要されるものであった』として次のように述べている。

   『人民が一般に読み方を教えられていて、見聞を得ることに熱心だからである。

   教育は同帝国いたるところに普及しており、また日本の婦人は中国の婦人とは
   異なって男と同じく知識が進歩しているし、女性独特の芸事にも熟達している
   ばかりでなく、日本固有の文字によく通じていることもしばしばである。

   アメリカ人の接触した日本の上流階級は、自国のことをよく知っていたばかりでなく、
   他の国々の地理、物質的進歩および当代の歴史についても何事かを知っていた』


(4)当時、ペリーらが日本から受けた印象は、

  ①鎖国下の日本が他のアジア諸国とはかなり違った文化的・社会的発展を遂げつつある国
   であり、近代欧米文化に適応する能力と文化水準を十分にもち、

   いずれは欧米先進諸国の競争者の仲間入りをする可能性を秘めた国である、
   ということであった。

  ②「遠征記」は、日本を観察した結論として、
   『人民の発明力をもっと自由に発達させるならば日本人は最も成功している
   工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう』 

   『日本人が一度文明世界の過去および現在の技能を所有したならば、
   強力な競争者として将来の機械工業の成功を目指す競争者に加わるだろう』

   と予言している。

   *Web:「ペリーの見た幕末の日本」
        http://mirror.jijisama.org/bakumatsu.htm

            <感謝合掌 平成23年12月30日 頓首再拝>

日露戦争勝利の背景は、 (6178)
日時:2012年01月17日 (火) 07時17分
名前:伝統

    *メルマガ「ココロの授業(2010/07/23)」からの紹介です。
     このお話は、次の書をベースに講演されたものです。

     「賢者の書」(著:喜多川泰)
      http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4887597339/mag12-22/ref=nosim/ 

第4の賢者は「目標」を教えてくれました。

賢者は、こう言うんですね。

「人生における成功を ”何になるか”に求める人は多い。

 しかし、
 ”これになれたら成功”とか、”これになれたら幸せ”というような職業は存在しない。

 なぜなら成功や幸せは職業についてくるものではなく、人についてくるものだからだ。

 何になるかを目標にしても、成功を収めることはできない。

 大事なのは、どんな人間になりたいかである。

 自らの理想とする人間像を追求することによって、
 驚くほど強い意志の力を身につけることができ、

 その課程の中で、自らの進むべき道を自然と見出し、
 何をやるべきかということは おのずと決まってくる」

って、そんなことを言うんです。

実は、私も、ウエジョビの就職対策授業で、学生たちに、いつも言っていたんですね。

「どんな職業につくかが大事なんじゃない」と。
「大事なのは、その職業についた後、どんな仕事をするかだ」

って。

だから、この第4の賢者の言葉を読んで、私はもう、しびれました。

まさにそうだ!
って思って嬉しかったですね。

江戸時代、日本では「士農工商」という身分制度がありました。

「身分制度」自体がいいか悪いかと聞かれたら、
「悪いことだ、人間はみんな平等だ」
なんて言う人がいるかと思いますが、
この身分制度には良いこともあったんですね。

例えばね、
江戸時代、武士の家に生まれたら、もう将来の職業は決まっているんです。
武士って決まっているんです。

今の日本は違いますよね。
「将来、何になろう?」ってみんな考えます。

あんまり考えていないような子でも、
保育園でも、七夕には「○○になりたい」なんて書くように教えられたり、
小学校の文集でも「将来の夢」なんていう項目を書かされたりしますよね。

高校に入れば「進路指導」で、
「お前は将来何になるんだ?」と
とにかく、何かにつけて聞かれるわけですよ。

そうするとですね、
だんだん
「医者ならカッコイイし、収入も高いから、医者になれれば幸せだ」
「弁護士にさえなれば幸せだ」
なんて、思い込んじゃうわけですよ。

ところが、江戸時代はすでに職業が決まっています。
だから、どの身分であろうと、
「どんな武士になろう」
「どんな商人になろう」
って、考えるようになるんですね。

さらに、江戸時代は280年間、戦(いくさ)がなかった時代です。
平和な時代でした。

一番上の位の武士の仕事って、本来、戦ですよね。

でも、戦がないわけですから、存在価値がないじゃないですか。

そんな時代に、日本の武士たちがどう考えたかということですが、
武士たちは、

「下の身分の人たちから 尊敬されるような生き方をしよう」

って、
日本中の武士がみんな考えたそうです。
それが「武士道」という生き方ですよね。

もちろん、「武士道」というのは、戦がどうこうではなく、

「相手を尊重し、
 思いやりの心を持ち、
 自分が後、相手が先」

という、そんな生き方なんですね。

でも、この武士道っていう生き方は、武士だけのものじゃなかったんです。

下の位の者達は、武士たちを尊敬したんです。
だから、自分達もそういう生き方をしようって、

実は、日本中の人たちが、
そういう、「相手を尊重する」という生き方をしていた、そんな時代なんです。

世界中からみても、この日本の江戸時代というのは

300年近くも戦もなく、平和で、さらに、国民達の人間性が高かった時代で、

歴史を研究している方達からみても、
こんな時代はどこの国にもないって言われているそうです。
そんな時代です。

さて、私は「武士道」と言うと、必ず思い出す話があるんです。

島根県の合宿制自動車教習所、Mランドの小河二郎さんからお聞きした話です。

Mランドには、「05527」という名前のバス停があるんです。

05527って言うのは、1905年5月27日のことです。

この日は、日露戦争で、日本がバルチック艦隊を破った日なんです。

当時、アジアでは、国の名前がついていたのは、
日本とタイだけだったんです。
後はみんな植民地だったんですね。

そんな時、大国ロシアが、日本に攻めてきたわけなんですね。

日本は危機感ありますよね。
ここで負けたら、日本も植民地ですよ。
「日本」という国がなくなっちゃうわけですよ。

だから必死で戦って、
日露戦争を行なうんですね。

そしたら、意外と日本軍はがんばったそうです。
すると、ロシアの偉い人達は、イライラしているわけですよ。

あんな小さな島国に、何てこずっているんだ、と。

だから、当時世界最強と言われていたバルチック艦隊を送ってきたわけです。
日本海に。

日本海を押さえれば、ロシア軍の勝ちだ、とそう思ったんです。

その時、世界中がこう思ったそうです。

「日本もついにおしまいだ。
 バルチック艦隊に勝てるわけがない」と。

ところが、そのバルチック艦隊を、東郷平八郎さん率いる日本連合艦隊が、
ほんの数時間でほぼ全滅させてしまうんです。

世界中みんなビックリです。
まさか日本が勝つとは思っていなかったんですね。

もちろん、東郷平八郎さんの手腕も素晴らしかったと思うんです。

でもね、
小河さんは、こう言うんです。

「なぜ日本が勝てたか。
 それは、当時日本が、世界中から尊敬されていたからだ」

っていうんです。
当時は、まだ武士道の考え方が残っていた時代です。

日本では、ロシアと戦争するという時に、こんなお達しが出たそうです。

「これから日本はロシアと戦争をする。
 しかし、ロシアを侮辱したりするようなことはしてはいけない」

さらに、戦争をすると捕らえた兵士を「捕虜」にしますよね。

その捕虜を愛媛県の松山市にある「捕虜収容所」に集めるんですが、
松山では捕虜が来ると、毎回毎回、松山市長が出迎えてあいさつをしてくれるそうです。

「みなさんいろいろ大変でしたね。
 しばらくの間は
 ここでゆっくり休んでいってください」

なんて言ってね。

しかも、捕虜収容所なんて言うと、
高い塀があって逃げられなくて、逃げようとしたものなら撃たれる、
みたいなイメージじゃないですか。

でも、ここでは捕虜の人たちも出入り自由で、
幹部の人たちは、道後温泉にも入れたそうです。


おもてなしの心です。
捕虜に対して。

武士道の 「相手を尊重する」という考え方がしっかり根付いているんですね。

しかも、ロシアの兵士達も、そのことを知っているんですね。
だから、戦争をしている最中に、
雲行きが怪しくなると、すぐに武器を捨てて、両手を挙げて、
「マツヤマ~!」って叫ぶんですって。

つまりですね、

「松山はいいところだっていうじゃないか。俺をそこに連れて行け」

ってわけですよ。

そんな国だったんですね。日本は。

それを世界中の人たちが知っていたんですね。
だから、みんな 日本を勝たせたい、日本という国を無くしてはいけない、
って思ってくれていたんです。

バルチック艦隊がロシアの港を出て、
日本に着くまでの間、何ヶ月もかかるんですが、途中で港に寄りたいわけですよ。
休憩もしたいし、食料や燃料の補給もしたいわけです。

ところが、
「出て行け」と言われるんですって。

「これから日本をやっつけようとする
 バルチック艦隊なんかを休ませる場所は わが国にはない!」

というわけです。

バルチック艦隊は、
日本海につく頃にはもうヘトヘトです。

日本海では、日本人達が、
「これで負けたら日本は占領される」と命がけで待っているわけですから、
短時間で勝負がついたそうです。

いや、もう私はこの話を聞いて、
「そんなことがあったのか」
と思いました。

実際当時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も
「この戦は日本に勝たせないといけない」
って言っていて、

この後、ロシアに
「もう、バルチック艦隊が負けたこときっかけに、
 日本に負けたことを認めろ。」
って、条約を結ぶように
すすめてくれたそうです。

(伝統補足、
 参考Web:日露戦争・・ルーズベルト大統領を日本びいきにした金子堅太郎
       http://maechan.sakura.ne.jp/japanese_r/data/13.pdf )

世界中みんなが日本を勝たせたいと思ってくれていたから
勝てたんですって。

あの時、日本が、世界中から尊敬される国でなかったら、
今頃日本は、植民地になっていたことでしょう。
日本という国はなかったでしょう。

ところがね、その数十年後、第二次世界大戦、太平洋戦争では、
日本人は、世界を敵にまわしました。

対戦したアメリカ人のことを
「鬼畜米英」なんて言ったり
「敵国の言葉を使うな」なんて命令が出たりしましたよね。

その結果は、みなさんがご存知のとおりです。


話は変わりますが、
アインシュタインという物理学者がいます。
この方は、1922年に、43日間も日本に滞在しています。
長期滞在ですよ。

このとき、アインシュタインが言った言葉がこの本に載っているんです。

「世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰」なんですが、
もう、読んでいて涙が出てきます。


「我々は神に感謝する。
 我々に日本という尊い国を
 作っておいてくれたことを。

 日本人のすばらしさは、
 きちんとしたしつけや、心のやさしさにある。

 日本人は、これまで知り合った
 どの国の人よりも、
 すべての人に対して、
 うわべだけでなく、すべての物事に対して物静かで控え目で
 知的で、芸術好きで、思いやりがあって、
 非常に感じが良い人たちです。

 この地球という星の上に、
 今もなお、こんなに優美な芸術的伝統を持ち、
 あのような簡単さと心の美しさを備えている国民が
 存在している。
 
 この国に特有な感情のやさしさや
 ヨーロッパ人よりもずっと優れていると思われる
 同情心の強さ。

 彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人は
 どこにもいない。

 この国を愛し、尊敬すべきである。」

(「世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰」
 (著:波田野毅 出版:ごま書房新社)より引用


当時、日本は、そういう国だったんですね。

残念ながら、今、
自分のことばかり考えている人…
自分さえ良ければ、
自分さえ、儲かれば…
なんて考えている日本人もたくさんいると思います。

でもね、我々には、
日本人の血が流れているんです。
我々の祖先が持っていた、周りの人を大切にするDNAを持っているはずです。

こういうことを思い出して、
生きていきたいなと思いますね。

人間性ってやっぱり大事だなと思うんです。

佐藤芳直さんが以前、こんな言葉を教えてくれました。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

…私、最初、この言葉を聴いたときに、
「えっ!?」って思いました。

だって、経験に学ぶこと、大事でしょう。

でもね、後でこう考えました。
きっと、「愚者は自分の経験からしか学べない」ということなんじゃないかと。

私は今、39歳です。(注:この講演を行ったときの年齢です)
自分の経験からしか学べないとしたら、たった39年間です。

でもね、
数千年の歴史の中には
いろんなこと、あるじゃないですか。

今お話したことも、まさに
歴史が教えてくれています。

人間性が大事だってことを教えてくれていますよね。

今日は、学校の先生もたくさんいらっしゃいますが、
もしも社会の先生がいらっしゃれば、
こういう歴史を、
ぜひ日本の子ども達に教えていただけたら、
日本はもっともっといい国になっていくんじゃないかと
そう思います。

日本がロシアに勝てたのも、
結局日本人の人間性や生き方が良かったからなんですよね。

人間性によって勝てたわけですから、

ここで、第4の賢者の言葉に戻りますが、

成功は、人についてくるものなんです。
どんな職業につくかが問題なんじゃないんです。
大事なことは、どんな人間になるか、
なんですね。

            <感謝合掌 平成24年1月17日 頓首再拝>



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