(116) 島津運久のもう一人の息子 |
投稿者:てらだ
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本日やっとこさ『島津義弘のすべて』(新人物往来社)を取り寄せて (注:地元で一番大きな図書館にもなかったんだよーん 涙)読んでお ります。 ちまたで話題?の学研の赤本シリーズ(『裂帛島津戦記』もそうでした っけ(^^;))みたいな「ko○iのゲームが好きな連中でもないと手が 出せそうにない」みたいな恐ろしい装丁(^-^;)の本を想像していて、正 直取り寄せるのすら恥ずかしかったのですが、実際見たらかなりまじめ な本で、しかも専門書でも余りふれていないようなことにも言及されて おり、非常におもしろかったです。購入しようと思うのですが、もう絶 版ですかねえ…。
ところで、この中の「義弘の出自」という項目で、相州家・島津運久 (島津忠良の母・常磐の再婚した夫)には養子にした忠良の他にもう 1人実の息子がいたというのですな。ちなみに永正8年(1511年) 生まれと言われているようです。 運久と常磐の約束の関係で、実子でありながら相州家を継げなかった彼 は、薩摩を出て足利学校に留学しようとしたのですが、その途中で乗船 が難破して関東までたどり着けずに駿河の今川氏親につかえ、その後北 条氏綱に仕えたというのです。ちなみに彼は「島津右衛門尉忠貞」と称 したとか。
この不幸にして貧乏くじを引いてしまった(らしい)島津忠貞。 ほんとうに彼は運久の息子だったのか?今川氏や北条氏に使えたところ を見ると、単なる信州島津氏の別れのような気もしなくもないのですが…
今川も北条も後に崩壊してしまうので、子孫は滅亡したと思われるので すが、情報をご存じの方がいらっしゃったらよろしくお願いします <(_ _)>
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2003年06月11日 (水) 10時11分 |
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