(140) 『旧記雑録』ありがとうございました。 |
投稿者:てらだ
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お忙しい中大変お手数をおかけしました<(_ _)>
えっと、義弘の奥さんと間違っているのでは?ということですが これはなかなかむずかしい問題ですね。この『旧記雑録』2-510 「御日記」をちょっと検討してみます。
「武庫様」=島津義弘、「又一郎様」=島津久保が大坂まで 「御前」(18日条)と「御<米斤>仁様」 (注:<>は一つの漢字。米編に斧づくり) と言われる人物をお見送りしていることが分かります。この「御前」と 言われる人物ですが、25日条に「太守様」という名前が出てくるので 島津義久であることが分かります。ちなみに「御<米斤>仁様」は義久 の三女で後に久保の妻になる島津亀寿のことです。これはこの時の有名 な話なのでご存じと思いますが、亀寿は豊臣秀吉の命令で人質とされて 久保と共に上京しますが、義久の和歌一本で秀吉の帰国許可が出てしま ったという(^^;)すごい逸話があります。 で、問題の「島津義久の妻?」じゃないかという記述は 14日条と翌月6日条に「奥様」と言うのが出てくるのですが、 翌月6日条に出てくる「奥様」は義久・亀寿と同行して秋月家の狼藉に あったことが書かれているので、「奥様」=義久の妻と考えるのが良さ そうですが…。
それにしてもこの『旧記雑録』に出てくる「御日記」なんですが 「御<米斤>仁様」=亀寿の記述はかなり細かいのですが、 「奥様」の記述は目茶少ないですねえ。 島津家の中で「島津義久の妻」はかなり影が薄かったんではないかと思 われます。
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2003年06月22日 (日) 14時23分 |
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