(208) RE:RE:こんばんわ |
投稿者:佐多
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瀧川様 伊佐敷氏は一時無くなったんですが、仮屋薗家佐多狩野介久朝(父が伊佐敷氏より養子)の弟紀伊介久充の家が孫の代に嫡家又四郎久孝より伊佐敷姓にするように命じられています。元は父が佐多家に養子に入っているので、佐多でもよかったのでしょうが家格が整備されていくなかでの処置なのでしょう。又、打出口佐多家も縫殿助久師が文禄・慶長の役で戦死して家風退衰し一時、藤枝氏を名乗っています。その後に佐多へ復姓の申請をしていて、認められず伊佐敷氏となり後年やっと佐多へ復されています。達山は佐多の小名字なので復姓出来たのでしょう。他の家(邦永⇒新納、音堅⇒樺山、龍岡⇒北郷)も明治時代に復姓しています。伊佐敷氏は元からなので、そのままなのかもしれません。しかし、佐多もそうですがものすごくめずらしい名前(苗字)ですよね。大隈の佐多町の地名伊座敷からきているそうですが。東京の電話帳に1名いたような気がします。 久朝は関が原の合戦に嫡家の軍代として出陣した人です。久充は肥前名護屋城の普請手伝いに狩り出されています。
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2005年02月16日 (水) 21時35分 |
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