「寛政重修諸家譜」に、島津忠良の弟に長徳軒という弟がいて、なぜか小田原の北条氏に寄食し、その孫が江戸幕府の御用呉服商の後藤縫殿だと書かれています。 『「寛政譜」にも島津家の譜になしと、怪しい話と認識しているようです。実際に、薩摩島津家と後藤縫殿との間に交流などあったのでしょうか?』の質問に対し、 慶長九年(1604)お福(のちの春日局)二十六歳の時、生まれたばかりの正利を置いて正成のもとを去るのですが、お福が生まれたばかりの子と夫を捨てた理由は明らかではありません。多くの書では正成がお福以外の女に子を産ませたから嫉妬して家出をしたと伝えられています。 家出し、京へ出たお福は、いったん母のもとに身を寄せますが、将軍秀忠の長子竹千代(後の家光)の誕生で、その乳母を上方で募集しているのを知り、海北友松と親しい幕府の呉服方「後藤縫殿介」の紹介で、家光の乳母となり江戸へ下ることとなります。 ..... 「家系から抹殺された義理の弟...」ってなことで小説のネタになるかもねっ。(-.-); 運久と前妻の間には本当は男の子がいて、都合が悪いので出家させたとか...? てなことを別の書いたような気がします。関係なかったか...。 http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x112.html
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