(128) 謎多き島津義久の第三の妻?! |
投稿者:てらだ
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RE:127 うーん、公開できそうにない方法ならわざわざここに書き込まない方が… 私みたいに東大史料編纂所のHPあちこち探しまくるような馬鹿が出てく るかも知れないですし(^^;)
というのはおいといて
こういうHP 「Household Industry 歴史館」 http://www.netlaputa.ne.jp/~house/index.htm を見つけて年表をじっくり読んでいるのですが、読んでいると「?」と いう箇所を見つけたのです。
系図などによると島津義久の妻として確認されるのは (1)島津忠良の末娘 御平(島津義虎の妻)を産む。1559年11月18日没。 (2)島津忠良の養女(実は種子島時尭の娘、義久の従姉妹) 玉姫(島津彰久の妻、新城様)、亀寿(島津久保、忠恒の妻)を産む 1572(元亀3)年12月24日没 の2人だけ のはずなんですが どうも『薩藩旧記雑録』には”第3の女”が出てくるようなのですな。 1588年(天正16年) 9月10日 島津義久室、和泉国堺へ出向く。〔「旧記雑録後編」A‐510〕 ^^^^^ 10/6 島津義久室の船に秋月家中の狼藉があったため、捕縛した狼藉者共を秋月氏へ引き渡す。 ^^^^^ 〔「旧記雑録後編」A‐510〕 現在『薩藩旧記雑録』までは読んでないので(と言うか、もよりの図書 館に全くおいてないので(T-T))このHPの記述の正否も含めて裏付け がとれないのですが、もしこの話がホントだとしたら(このHPの性格 からしてホントのような気がするが) 一体この女は誰よ?! とパソコンに向かってうなってしまいました(^^;) 京都の本能寺には謎の「島津義久室の石塔」なる物がいまでもあるそうで、 どうもこれと関係のある女性のようにも思われますが…。 うーむ、これ以上調べるには本能寺に討ち入りするしか手はないか…(^^;)
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2003年06月17日 (火) 21時27分 |
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