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島津氏について語り合う

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(135) 「幕末の薩摩」十分楽しませてもらいました。 投稿者:町田助右衛門廣正 MAIL URL
またまた 御翻訳いただき、ありがとさんでした。
「鶏鳴」は「夜明け前」でしたか...。
久倍が死んだのは「慶長五年(1600)八月二十五日」でした。
よくよく考えてみると、父親(町田久徳)は「大永元年(1521)生」なのでやっぱり久倍の生年は1540〜1550年頃か...。
町田久倍
初久増 助太郎 伊賀守 出羽守 入道名存松(ゾソショウ)
(生年不詳)
○母伊集院久盈女
○慶長五年(1600)庚子秋、罹大病、故賜暇辭京師、揚帰帆到於播州明石浦、疾病太重、而八月二十五日卒、法諱帷仙宗篷居士
(薩摩日置郡石谷を領した国人町田氏本宗家忠梅の子で通称助太郎、伊賀守・出羽守を称す。島津氏の一族で忠良・貴久・義久・義弘四代に仕えた薩摩伊集院地頭。永禄十一(1568)年、忠良の菱刈攻めに従い軍功をあげ、大隅市山城を与えられる。はじめ義久の奏者、のち義久・義弘の家老を務めた。)
E町田新左衛門久吉が市山城の支配

町田久徳
始忠梅 助太郎 兵部左衛門尉
○大永元年辛巳誕生於石谷城、
○天文五年十二月六日之夜、従祖父梅久退去於鹿児島、時梅久使忠梅直参謁干伊集院上達其情、 貴久公御感不斜、其後被侵疾病、不能抜攻城野戦之策、空忠志、不幸哉、
法名香中玄通上座、

あっ 翻訳の必要はありません m<(_|_)>m

2003年06月20日 (金) 09時47分




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