ついてですので、 「アチックミユーゼアム彙報第四一」 喜界島代官記 喜界島調査資料第二 アチックミユーゼアム刊 解 題 喜界島代官記の原本は現在傳はつてゐない。明治初年代官假屋失火の折焼失したものかと謂はれるが、明かな事は知られない。然しその寫本として現存するものが二種あり、その一は既に永井龍一氏に依つて公刊されてゐる。本書は喜界島の舊家折田家の租が寫録されたと傳へられるもので、現に同家折田昇氏所藏に係はるものである。 喜界島代官記の内容は、主として薩摩より下島の代官並に附役に關する記録であつたやうに見られる。それは現存の二書を併見すれば、容易に肯かれる事と思ふ。即ち永井民刊行の代官記は、右の如く殆んど代官附役に関する記事のみに止つてゐるが、折田氏本には更に歴代島役々、諸事件、藩廳よりの示蓮等が極めて豊富に録されてあり、然もこれらの記事は後々の補遺追加なる事が明らかに観取されるのである。惟ふにこれは寫録者が、自由に他の諸文書記録を借りて代官記の余白を埋めたものではないか。斯かる推測の営否は兎も角として、本代官記が島に於ける唯一の古記録の集成たる事は勿論で、これを改めて刊行する理由もこゝにあつた。..... 尚本書の刊行に當つては、鹿兒島縣警察部の御検閲を受けた。 昭和十四年七月三十一日..... 右同 中村権右衛門 右同 森田慶左衛門 右同 谷山角左衛門 代官喜界嶋ニ而病死 猿渡喜之助 附役 山城新助 右同 中條権之助 一正保四了亥年.......。 やっと3分の一 打ち込みました ^^;
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