(177) RE:末川家について |
投稿者:馬原@管理人
MAIL
URL
|
酒井敏さん、佐多さん、こんにちは。
『鹿児島県姓氏家系大辞典』などによりますと、末川氏は垂水島津家4代久信の庶子久幸(のちの久章)が新城島津家を創立しますが、藩主の島津光久に背き殺され断絶ののち、遺児の忠清によって再興されますが、その際に末川を名乗り以下
忠清===久侶===久雄―――久隆―――久租―――久照―+ | +―――――――――――――――――――――――――――+ | +―久備―――久輔―――久徴―――久寛―――久紀―――久治
とつづいたらしく幕末の当主は久治でした。 また垂水島津家9代貴儔の次男久救も末川を称していまして子孫は
久救===久満―――久平―――久長
と続き、久救は大目付、若年寄、久平は幕末頃家老となっています。残念ながら久敬という名前は見つかりませんでした。
|
|
2004年05月24日 (月) 22時00分 |
|