(210) 島津氏庶流 |
投稿者:佐多
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瀧川様 喜入は元は給黎と書いていました。島津久豊(奥州家八代)が戦の戦勝を記念して地名を喜入にしたとのことです。久豊の孫が喜入を領しています。だいたい永禄年間に島津姓の使用制限がかかりそれぞれの領地を苗字にしています。喜入姓は六代目の摂津介季久から使用しています。上井覚兼日記によると、犬追物の出席者には島津常陸守佐多殿(佐多氏十代常陸介久政…初忠常)と記載されています。戦国末期までは島津姓を併用していたものと推察されます。これだけ庶流が多いと識別するのが大変だったのでしょう。 喜入氏も直別支族ですので、士分以下・他家奉公には家号使用不可となっています。 佐多氏の八代上野介忠成の二男兵部少輔忠真の系では庶子だったので家督を継げずに寺入りした人物がいて、系譜には記載されていますが、佐多の使用制限がかけられています。 正徳四年春、至寺門前之輩削除御家氏族之家號(号)法制也、以故當(当)家之一流自今以後除佐多號 江戸時代は厳しいですね。
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2005年02月17日 (木) 20時07分 |
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