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島津氏について語り合う

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(216) RE:RE:七人島津 投稿者:佐多 MAIL URL
瀧川様
知覧高究帳は知覧図書館蔵ですが、実物は見たことないです。三番と四番与ですので、迫瀬戸山衆、浮辺衆(うけべと読むそうです、私は知りませんでしたが、母は読めてました)、加治佐衆、などが考えられます。
運良く詳細が郷土誌に出ていまして、除籍簿を役場から取り寄せたら私の先祖だったのが発覚しました。達山仁兵衛の内に従弟八郎次とあり、その二男良助その二男が曽祖父の五左衛門です。除籍簿で良助、長男新左衛門、二男五左衛門と三人も同じでしたので、判った次第です。もちろん明治時代の戸籍ですので、佐多姓になりますが。調べられたら何かわかるかもしれませんね。
ミュージアム知覧紀要に島津八代子様の所蔵文書に庶流系図というのがあるようです。多分、知覧島津家の子孫の方だと思います。見てみたいですねぇ。
分与は南北朝期のどさくさに紛れて父の忠宗から譲与されたという偽文書が伝来しているそうです。(樺山氏に伝来)佐多氏は戦国末期に城が炎上して歴代の系図、文書の大半を焼失したので、かなり少ないそうです。いずれにしても鎌倉期(忠宗代)までは庶流は薩摩国に分散(忠宗弟久長は伊作)して、南北朝期以降に日向、大隈などに進出したのでしょう。(薩摩では与える土地が無かったはずで、北条氏から没収した土地がいっぱいあったのでしょう。空手形が多いようですが)佐多氏は大隈国佐多邑を領していたので、大隈守護職六代陸奥守氏久の与力として付けられたのでしょう。後室に忠光の息女が嫁いで八代久豊が誕生しています。従いまして佐多氏は家臣団の筆頭として遇しています。知覧の知行自体は四代親久代から本格化したそうです。(久豊から去る謂れありて佐多氏知覧二〇町賜ったと山田聖栄自記にあり、さるいわれは足利尊氏から空手形の知行宛いを発行してもらった経緯からと推測)六代忠山(ただたか)から知覧に居住していたと思われます。

PS:この間、久々に国会図書館に行きましたら、蔵書・雑誌の貸し出しや複写の申し込みが電子化されていまして、戸惑いました。かなり行ってなかったらしい。。。

2005年03月02日 (水) 00時12分




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