初めまして、うめと申します。私の家は江戸の前から鹿児島に住み 苗字を「後藤」と名乗り、島津家の分家だと言い伝えられております。今は鹿児島には住んでおりませんが、屋敷跡はそのまま残っております。鹿児島に来た初代は兄弟2人で最初から「後藤」と名乗っていたそうです。昔はウチは兄の血筋で山側に住み「上後藤」、弟の血筋は海側に住み「下後藤」と言っていたそうです。祖父が軍人だったせいで(戦犯の為の財産没収を恐れて)戦後のどさくさに一族が所有していた山々や田畑と売り払った祭に系図や甲冑・刀等も売り払われ、生還して天寿をまっとうした祖父も居ない今現在、詳しい事はわかりません。以前父が文献で系図等を調べた所、島津運久のもう一人の息子の忠貞という息子がおり、その人の息子が一人北条家家臣の後藤家に養子に入り、その息子達の内1人が後藤縫殿充家に繋がる言勝と名前不詳の兄2人が居ると、書いてありました。その名前不詳の兄2人がウチの初代かもしれません。 知った所で仕方のない事ですが、この数百年から江戸が終わるまで島津家に監視されながら、鹿児島の山奥の田舎侍の家が、途絶えそうになると血縁のある一族内から養子を迎えてまで今日まで「後藤家」を繋げてきたのにはそれ相応の理由があるはずだと思います。 何かウチに関わりのある事柄でご存知の事があれば教えて戴きたいのですが、無理でしょうか? いきなりの長文・乱文で失礼いたしました。 かしこ
|