(172) 播磨の島津氏 |
投稿者:てらだ
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大変ご無沙汰しております。
播磨国にいた島津氏に関して幾つか話題が出ていたようですが、 戦国時代の播磨国の大名・赤松氏に仕えていた島津氏がいまして、 こちらは薩摩の島津氏の遠い親戚になり、前任地が越前国だった ことから「越前島津氏」と呼ばれていました。この越前島津家の 当主・島津忠長が1534年に戦死したことで、この越前島津家 は滅亡します。 こちらのサイトが詳しいのでご参照下さい。 http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/rekishi/akamatu/syozamurai/shimadu1.htm この一族の一人が本家である薩摩の島津家まで落ち延びますが、 越前島津家の再興がなる前に亡くなったようです。結局系図だけが 残って、江戸時代中期に藩主の息子を分家させるという形で名前だ け再興されたのが現在の「越前島津家」のちの「島津久光公爵家」 です。
ところが、これとは別の流れがあり 豊臣秀吉が京に島津家の人質を取る代わりに「化粧料」として播磨国に 1万石を島津家に宛ったのですが、この地の管理に功績があったとして ある豪農が島津義弘から轡十字の家紋と島津の苗字をもらったという話 があります。この人が明治時代に島津製作所や日本電池を創立した島津 源蔵氏のご先祖です。最もこの話は、島津源蔵家に伝わる史料だけに書 かれている話で、肝心の薩摩島津家側の史料には全く残っておりません。
その他、播磨の島津家に関しては『兵庫県史』に詳しく書かれているよ うなので、そちらが参考になるのではないかと思います。
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2004年02月14日 (土) 15時56分 |
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