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こんにちわ。海外在住の柳生ファンです。HP大変興味深く拝見しました。 実は昨年の11月一時帰国の際、柳生の里に行ってきました。我々夫婦は家老屋敷→十兵衛杉→芳徳寺→正木坂道場→一刀石→陣屋跡の順で回ったのですが、最初の家老屋敷でひき肌竹刀を見てからテンションが上がりぱなし。中でもHPでも紹介の通り芳徳寺は垂涎ものの展示物が目白押しで、純粋なお寺参りの方々もいたというのに、年がいもなく大興奮してしまいました。
実はパソコンが壊れていて立ち上がらず、 旅行前にこちらのHPに伺えなかったことが悔やまれてなりません。柳生家の墓地で墓石の名を読み取るのに本当に苦労しましたので。 一刀石に向かう時になり小雨模様となり、足場の悪い中、人一人やっと通れる山道を塞ぐ倒れた杉を跨ぎつつようやく到達。しかし雨に濡れつつも行ったかいがありました。ただ薄暗い中見る天乃石立神社の佇まいはかなり無気味で、思わず手を合わせてしまいました。
バスを待つ間、酒屋さんで散々試飲し柳生錦を2本ゲット、春の坂道もかなりネーミングに心惹かれたのですが、これは次回ということで断念。 ちなみに酒屋の奥さんのお話によると、今回の大河には町自体もかなり熱をいれているようでした。「次に来たときは変わっているかもよ」とのこと。住んでいる方々にとってはもう少し観光でなんとかならないかという思いがあるんでしょうね。確かに帰りに乗った奈良行きのバスは、いくつもの小学校を廻って子供たちをひろっては、また柳生近くに戻っていたので人口の問題もあるのかもしれません。勝手な意見で申し訳ないのですが、私としてはできたらこのまま変わってほしくはないなと…。
残念だったのが、購入できるお土産が日本酒と山菜の佃煮しかなったことです。せめて絵はがき、できたら芳徳寺に保管されている史料の解説本とかあったら絶対に購入していたのにと思います。それを除けばとても満足な旅でした。おまけに紅葉もみれましたし。帰国の折りはまた是非遊びに行き、町の民宿に泊まってみたいと考えています。
ところでちょっとお伺いしたいことがあります。十兵衛の亡くなった弓ヶ淵はダム建設でなくなったそうですが、場所はどのへんだったのでしょうか?それと友矩の金魚の井戸は確か正木坂道場の敷地内にあったと思うのですが、これも見つけられませんでした。お分かりの方いましたら教えて下さい。長文になり申し訳ありません。
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| No.86 気持ちが伝わってきます |
| NAME:但馬 |
柳生観光、楽しかったと思われ、その気持ちが文章を通じて良く伝わってきました。 何せ、僕自身がそうだったように、行く場所、全てに感動した様子が伺われます。
質問の、弓が淵ですが、京都の南山城村にあります。 京都の県境で、奈良、三重、滋賀県と隣り合わせになっています。 柳生よりも北東方面になります。 名張川と伊賀川が合流して木津川となるあたりで、その昔、剣術修業中の若者・大和国司の絃之丞と恋仲となった郷士の娘・夢姫が、父の許しを得られないために川に身を投げたという伝説が残っている『夢絃峡』という場所のすぐ下流あたりだそうです。
それと、金魚の井戸ですが、これは正木坂道場と道をへだてた山側にあるそうです。(僕もわかりませんでした・・・) 山岡氏の小説では友矩がこの井戸に金魚を捨てて・・・というのですが、伝説では、この井戸に奇怪な金魚が棲んでいて、その金魚を見たり、水を飲んだりすると祟りがあるというので誰も近づかなかったが、実はここが柳生忍者の抜け道だったという話が残っているそうです。 また元家老屋敷の裏側に興福庵という小さな寺があり、そこもまた柳生忍者の隠れ家だったという話もあるそうです。 柳生の忍者説は有名ですが、こうした伝説などで残っているのですね。
帰国しましたら、ぜひまた柳生を訪れてみてください。 その時は、またご報告をお待ちしております。
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| No.87 ありがとうございました。 |
| NAME:オルフェ |
但馬さん、貴重な情報ありがとうございました。 弓が淵は思っていたよりずいぶん遠いところにあったのですね。 金魚の井戸は正木坂道場の反対でしたか。 実は正木坂道場を下ったところの公衆トイレの付近で工事をしていた方々に訪ねたのですが、どなたもわからなかったのです。 私たちはもしかしてこのトイレがその場所だったら悲しいねと話していたんですよ。 そこじゃなくて安心しました(笑)。
御陰さまではっきりと場所がわかり凄く嬉しい!!ありがとうございます。
興福庵は柳生の里のパンフにも載っていなかったので、全く見逃してたお寺です。 今度こそ必ずこの3か所は行ってみたいと思ってます。
またこちらにも時々遊びに来させて頂きますので、宜しくお願いします。
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