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No.218 巨石観察ノート 2014年版20 岩手県花巻市石鳥谷町呼石地区 夜鳴石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年08月24日 (日) 16時31分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、岩手県北上山地の遠野花崗岩露出地を廻っていて、花巻市石鳥谷町五大堂、呼石地区の夜鳴石を訪れたので、備忘録代わりに簡略まとめ。
 東北地方の巨石事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報を得ています。 この夜鳴石もその一つです。
 また、その後、岡田謙二氏のHP「巨石巡礼」 http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/ でも「呼石大明神」として取り上げられ、この石にまつわる伝承が紹介されています」。
 それらで見ると、丘陵性山地の山頂直下にある、とても大きな花崗岩平石らしく、根石ではないのかということと、風化破断形が、復元できそうで、特に平頭の形がどうできるのか興味があって、訪れてみました。 画像は、夜鳴石正面、谷側から見た景観。
 正面・長辺12m×断面・短辺5m×高さ2.7mぐらいな平頭な石であった。・・・それなりに迫力あり。
 手前の岩塊は、正面が円弧状破断による分離岩塊。節理面起源の平頭だが、水平でなく、山側に面が傾き、未分離の岩片が2つ上に載っているのが見える。 (続く)

No.219 夜鳴石の伝承 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年08月26日 (火) 22時57分

夜鳴石は、花巻市石鳥谷町五大堂、呼石地区の呼石大明神という神社社殿裏にあります。
緯度経度(世界座標)は、北緯39度26分19.15秒、東経141度12分13.29秒。
2.5万地形図図幅は、「石鳥谷」。
 北上山地の白亜紀遠野花崗岩体がマサ化した丘陵性山地の145.9mの平頂峰の北斜面132m付近にあります・・・・花巻市2500分の1地形図による。
 この地域は、花崗岩の山地はマサ化して侵食されやすく、標高250〜150の低い山地で、谷頭まで水田化された短い谷がたくさん入っています。一方、北東には、斑糲岩・蛇紋岩が分布し、風化しにくく、緻密なため、花崗岩山地よりひときわ高く聳える残丘山地(権現堂山・標高476m)になり、山の斜面形は岩質を反映して山襞のない平滑な形が特徴です。
 上記の周辺の地形や、夜鳴石の神性、呼石という地名の起源、などにまつわる伝承が、図書館にあった、菊池邦雄著「いしどりや歴史散歩」:1996、自家出版 という本に記録されていました。
 以下、その本のp109〜110、夜鳴石の項、引用です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用開始)〜〜〜〜
 夜鳴石(よなきいし)
 八重畑(注 1955年石鳥谷町に合併した八重畑村地区)の呼石に呼石大明神という神社がありますが、境内に夜鳴石といわれている石があります。 夜鳴石は、部落のほぼ中央の丘の北側中段にあります。長さ約十三メートル、幅約七メートル、高さが約三メートルで、石の上からは東側や西側、北側を見渡すには好都合な場所になっています。あ
 いい伝えによれば、今から六百五十年程前に、無底禅師(水沢市黒石町の正法寺開祖)(注 水沢市は現奥州市水沢区)が布教のため奥州へ下り、黒石の地が大変気にいって庵を建てて住んでいました。庵の近くには沼があり、沼には鎮守の神霊が住んでいました。沼の主を鎮守姫(お池峰ともいう)と.いいました。
 禅師は、黒石の地を仏法の霊場とするために仏戒の諸法を講じて祈ったところ、突然沼の土手が破れ、水が北上川に流れ出しました。そのために鎮守姫は住む場所がなくなり、滝田の権現堂山(注 呼石の北東にある山 標高476.3m)にきて一晩に千の沢を作って居住の場所にしようとしました。使いの天狗たちを働かせて九百九十九沢まで作ってあと一沢という時に、夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえ、鎮守姫は驚いて早池峰山の方へ去って行ってしまいました。 鎮守姫が沢作りを始めた際に、大石が呼び声を上げ、その声につれて山の麓の石まで皆頭を権現堂山の方に向けたということから、この大石を夜鳴石と称し、これより呼石の地名が起こったといわれています。
 夜鳴石と呼石大明神とのつながりは明らかでありませんが、昭和六、七年ごろまでは、石の上に堂が建てられていました。神社の祭神は現在は弁財天といわれていますが、弁財天が祀られる前には、・夜鳴石を信仰の対象として崇めてきたのではないかとみられています。
 夜鳴石の周辺には、蛇石とよばれている石や、元文五年(一七四〇年) に立てられた庚申塔があります。蛇石は唐檀石(からといし)ともよばれ、横割目の入った石で、石には沢山の蛇が棲んでいて、その蛇を殺傷した者には崇りがくるといういい伝えがあります。また、庚申塔は御庚猿と刻まれ、町内にある庚申塔では最も古い稗です。夜鳴石から神社のあるあたりは、古くからこの地域での信仰の中心の地になっていたのではないかとみられています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用終わり)〜〜〜
 現地では、石の上からは、石の周りの木々が茂っていて、展望はありませんが、展望ソフトで確認すると、木がなければ、視界一杯に権現堂山が望める立地です。ただ、早池峰山は、権現堂山の影でまったく見える可能性がありません。
 聖山を領する神・水源の神・女神という概念や、山を望む(拝する)・巨石・神を呼ぶ。あるいは、神が呼ぶなどの場所の機能伝承など、民俗には門外漢ですが、内容の濃い伝承だなあと思います。
 なお、蛇石という石は、どれだか分かりませんでした。残念。それから、境内には4基の石塔があったけど、金毘羅塔、天照皇大神他2神、三十三番観世音塔が2基という顔ぶれで、元文5年の庚申塔って、どこにあるんでしょうかね。見当たりませんでした。

No.220 夜鳴石の移動と停止 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年08月29日 (金) 01時06分

画像は、山頂から夜鳴石を通る斜面の縦断面図です。花巻市発行の1/2500地形図を利用して図の水平距離を取り、標高は概測で作りました。キチンと測量したわけでありませんので、寸法は大体です。
 念のため、1/2500地形図は、空中写真測量で作った2m等高線の正確な地形図ですが、一般に林冠の下の地表表現が不正確で地図の等高線を信用できません。夜鳴石周辺の2500図の等高線も現実の地形と違っていて、地滑り地形が表現されていませんでしたので、平面図は出しません。
 さて、夜鳴石の底面を見ますと、岩塊底部はマサの上に乗っていて、明らかに根石でなく、動いていることが分かりました。上に登って、周りの微地形を見ますと、夜鳴石は、小さな浅い地滑り地形の中にあり、その地滑りの最上部の小さな地すべりブロック(地滑り堆)の前面に当たり、長辺を地滑り地形の等高線と平行にして止まっている状態であることが分かりました。長辺の向きからみますと、同じ移動してきた岩塊でも、転落した岩塊は等高線に直交する傾向があり、地滑りや土石流で動いてきて止まった岩塊は等高線に平行になるようです。
 図で示した縦断図から判断しますと、そのような地盤の所で、山頂近くの斜面から、小規模で浅い地滑りが起こり、夜鳴石が12〜3m移動したあと、傾斜が緩くなり、長辺を等高線に平行になる方向に露出して止まったことになります。
 その時期は、伝承の語るように、夜鳴石が古くからの信仰対象になっていることからも、ずっと古く、また、江戸時代以来動いていないと思われます。
 地滑り発生以前の地形は、平頂峰の端に、未風化のコアストーン巨岩が1つある、稜線先端部に立地する型だったと言えます。
 また、夜鳴石の頂上に登ってみますと、石の頂面が山側に傾いて、緩やかですが逆傾斜になっています。斜面に平行に滑ったのでなく、少しですが逆回転しながら滑ってきたことを示していると思います。地滑り移動の岩塊と、転落や土石流移動岩塊との違いかもしれません。
 以上、夜鳴石の立地形状は、地滑りによる移動岩塊という点で、以前紹介した花巻市の胎内石(この掲示板書込142〜145参照)や、福島県寒川町の破石、宮城県丸森町経石(拙HP http://chibataki.moo.jp/ の巨石奇石見物記参照)と同じと言えます。
 特に、花巻市丹内の胎内石と、頂面が逆傾斜する所など、動き方、停止の仕方が酷似していると思います。

No.221 露出後の岩塊風化・破断形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年08月31日 (日) 12時13分

画像は、夜鳴石の西側面。すべりの方向でいうと側面、岩塊の形でいうと短辺です。
画面右手から滑ってきて、止まっています。右手の押してきた土塊を止めているといってもよいです。
 岩の表面には平行した割れ目がたくさん入っています。露出後の表層が剥離する風化に伴ってできる割れ目と思われます。 風化割れ目の模様は、花崗岩巨石の表面によく見られますが、前に紹介した山梨県甲州市の鎧石(拙HP の巨石奇石見物記参照)のような網目模様と、夜鳴石のような平行模様があるようです。こちらの模様については、いろいろ考慮中。
 先述したように、夜鳴石頂部は、節理面の沿って破断した平面形で、頂部の平面は逆傾斜していて、山側に傾き、割れた岩片群が平面の下部に溜まっています。
 画像の右上端に落下して寄りかかっている岩片は、夜鳴石の頂部から山側方向に落ちてきた岩片です。また、画面の中央上部の凸部は、石の谷側(前面)で、割れ残った部分があり、頂部から突出しているところ。
 地滑りで滑ってきて、逆傾斜して止まり、頂面が節理面で破断して後ろや側面に落ちているという状況は、何度も言いますが岩手県花巻市の胎内石(この掲示板書込142〜145参照)と同じです。
 なお、書込218の正面画像で手前の分離岩塊は、夜鳴石前面(節理面起源の元々のコアストーン面)の一部が、重力破断して、円弧状の割れ目ができ、分離落下したもの。この掲示板書込193の、山梨県山梨市大石山の甲石から浮舟石が分離した例と同じタイプと思います。(以上)



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