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グッキーのお勉強

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[179] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ07 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年08月19日 (木) 09時02分

 この歌劇の舞台となった村は、シチリアに現実に存在する。シチリア東部のカターニャと南部沿岸のジェーラとを結んだ線のちょうど中ほどに位置するヴィッツィーニ村がそれである。山中にあるこの小さな村で原作者ヴェルガは幼い頃を過ごした。歌劇に登場する教会、ルチア母さんの居酒屋、ローラ、サントゥッツァの家はそのまま残っている。ルチアの営む居酒屋は教会のすぐ前に位置し、ローラとサントゥッツァの家は、そこから目と鼻の先の距離にあり、道を挟んで向かい合う形で建っている。現在は人が住んでおり、建物の壁面に埋められた記念碑から、それがうかがわれるだけである。村の外にはおそらく決闘が行われたであろう場所が眼下に広がっている。ヴェルガの家系は裕福な地主で、家は村の中心にあるサンタ・テレーザ広場に面している。2階のバルコニーからは、表通りと広場を行き交う人々の姿が間近に見える。このバルコニーから彼が見たものこそ、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の原風景だったのであろう。


[178] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ06 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年08月18日 (水) 09時10分

 色男トゥリッドゥは、ローラの夫アルフィオとの決闘へ向かう前に、母親に甘える息子の姿を見せる。酒に酔ったふりをしながら、母に祝福のキスをしてほしい、サントゥッツァをよろしく頼むと願うのである。有名なアリア“母さん、あのワインは強いねMamma, quel vino e generoso”は、彼の死への決意と残される者への思いがくみとれる場面である。ただし、決闘のことは口にしない。
 トゥリッドゥが自分の命の終わりを予期したとき、すがる相手は母親であった。恋人のサントゥッツァのことが心残りでも、最後にキスをしてほしい相手はルチアだったのである。息子の母親に対する一種独特の愛情表現である「マンミズモmammismo」の象徴的場面である。


[177] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ05 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年07月18日 (日) 09時17分

 復活祭を家族で過ごそうと村へ帰ってきた馬車屋アルフィオは、鈴を鳴らし、鞭の音を響かせながら“馬は今にも駆け出しそうだIl cavallo scalpita”を、サントゥッツァとトゥリッドゥが言い争う場面に登場するローラは、花の名を織り込んだ“アイリスの花にFior di giaggiolo”を歌いながら舞台上に現れる。どちらも二人の性格を非常にうまく表している。
 ここで忘れてはならないことは、物語が展開する日が主の復活を祝うめでたい日であるということである。復活祭の日に決闘という血の惨劇が起きるのである。「聖」なるものに規定される社会の中で、「俗」なるものがつきつめられたとき、行く先にあるのは破滅である。サントゥッツァは愛する恋人を、ルチアは息子を失ってしまうのである。原作には、決闘が行われると知ったとき、ローラはロザリオを手に祈るしかなかったとある。


[176] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ04 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年07月06日 (火) 05時00分

 前奏曲のあとトゥリッドゥのシチリアーナ“おお、ローラよ、ミルク色の寝衣をまとうお前O Lola ch'ai di latti la cammisa”が舞台奥から聞こえてくる。シチリア方言のこの歌がすべての序章となっている。ローラへの想いと、死を予感させる一節。聴衆が異文化的要素に惹きつけられる一瞬である。
 また、各場で合唱が効果的に使われている。シチリアーナのあとの村人たちの合唱“オレンジは香りGli alanci olezzano”は、清らか、かつ牧歌的で、そのあと展開する血生臭いストーリーとはまったく対照的である。教会内部から聞こえてくるハレルヤの合唱、教会から出てきた村人たちの合唱“家へ帰ろう、さあ、みんなA casa, a casa, amici”と乾杯の合唱“泡立つワインに乾杯Viva il vino spumeggiante”は、村人たちの風俗と日常生活が見てとれる場面である。


[175] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ03 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年07月03日 (土) 17時34分

 当時は、結婚まで純潔を守ることが女の務めであった。また、結婚は神の御前で誓う秘蹟の一つであるから、その誓いを破るのは神に背く行為とされた。夫は不貞をはたらいた妻の相手と果たし合いをすることによって自分の名誉を守らねばならない。サントゥッツァから事情を聞かされたアルフィオは彼女に礼を言う。“サンタさんよ、そういうことだったのか、礼を言うぞComare Santa, allor grato vi sono.”そのときの彼の心中はいかばかりだったであろう。自分の名誉を汚されたと知った彼は怒りに狂う。
 尋常ではない様子からすべてを悟ったトゥリッドゥは、アルフィオに決闘を申し込む。それが男同士が抱き合って相手の耳を噛むという、掟どおりの行為によって示される。トゥリッドゥは、自分の非を認めつつも、死ぬわけにはいかないと自分を奮い立たせる。“アルフィオよ!Compar Alfio!”アルフィオ登場の場面からは、緊迫感あふれるやりとりが連続する。“やあ、皆の衆!A voi tutti salute!”


[174] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ02 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年07月02日 (金) 05時31分

 トゥリッドゥにはサントゥッツァという恋人がいるが、結婚したローラへのあてつけもあって彼女と恋仲になったという経緯がある。取り合ってくれない彼の母ルチアにサントゥッツァは思いあまって事情を打ち明ける。そのとき歌うのが“母さん、知っているでしょうVoi lo sapete, o mamma”。恥も外聞も投げ捨てて告白する彼女を前に、ルチアは言葉を失う。
 そのあとトゥリッドゥは舞台上に登場、サントゥッツァに事実を突きつけられ、男としての面子をつぶされた格好の彼は、追いすがるサントゥッツァを突き放す。“いや、いやよ、トゥリッドゥ、もう少しここにいてNo, no, Turiddu, rimani ancora.”この二重唱は圧巻。
 倫理を問えば、不貞を働いたローラ、その相手のトゥリッドゥ、そして髪の誓い以前に身を許してしまったサントゥッツァの皆に罪がある。夫の留守にトゥリッドゥを招き入れるローラは、罪の意識もなく復活祭の日に教会へ行くような女である。けれども、当時の社会において結婚は自分一人の意思で決められるものではなかった。母と二人暮らしのトゥリッドゥよりも、金持ちのアルフィオとの縁談が進められたとしても、ローラを責めるのは酷かもしれない。
 一方、サントゥッツァは、母ルチアの家にも教会へも自分は入ることはできない女なのだと、我が身を責めるほど一途で正直な女だった。そんな女の愛は受け入れられる場所を失ったとき、憎しみに変わる。あと先を考えず、愛と憎しみの感情に揺れるままサントゥッツァがとった行為がもたらしたものは、何だったのか。
 小さい村のことであるから、ローラとトゥリッドゥの関係は周知のことだったであろう。年の離れたアルフィオはローラには寛容だったであろう。日常生活は村人たちの「沈黙omerta」によって平穏に進んでいたのである。その沈黙が破られたとき、男の選択した道は「決闘duello」であった。


[173] 題名:カヴァレリア・ルスティカーナ01(笑) 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2004年07月01日 (木) 05時22分

新国立劇場2004/2005シーズンのオープニングを飾る『カヴァレリア・ルスティカーナ』。9月の公演に向けてこっそりと予習しちゃうぞ!

 このオペラのタイトル『カヴァレリア・ルスティカーナCavalleria Rusticana』は、イタリア語で「田舎の騎士道」を意味する。(cavalleriaは「騎士道」、rusticanaは「田舎の、田園の」)。この物語は、シチリアのある村で現実に起きた出来事を主題とし、村の掟とともに生きる民衆の姿がリアリスティックに展開される。
 村の若者トゥリッドゥは、サントゥッツァという恋人がいながら、人妻であるローラとの関係を続けていた。ローラとは以前に将来を約束した間柄であったが、兵役に行っている間に、彼女はすでに結婚し、人妻となっていたのである。想いを断ち切れない彼は、ローラの夫、馬車屋のアルフィオが留守がちであるのをよいことに、ローラとの逢瀬を重ねた。
 二人の仲を知ったサントゥッツァは、トゥリッドゥの愛を取り戻そうと懸命に彼に乞い願う。トゥリッドゥの母ルチアにもその苦しみを打ち明ける。しかし、彼の愛を取り戻すことはできない。自分の名誉を汚され、トゥリッドゥに冷たくあしらわれたサントゥッツァは、嫉妬のあまり、ローラの夫アルフィオにその事実を告げてしまう。妻の不貞を知ったアルフィオは、トゥリッドゥと男の名誉を賭けた決闘に臨み、敗れたトゥリッドゥは殺されてしまう。


[172] 題名:積極性 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2003年10月29日 (水) 20時50分

○彼の行動には、積極性がまったく欠けている。
×彼の行動には、積極さがまったく欠けている。

「積極性」は、進んで物事をしようとする性質。「積極さ」は、
「健全性―健全さ」「便利性―便利さ」のように、「〜性」を
「〜さ」といいかえられることからの類推による誤りといえる。
「健全さ」「便利さ」は、それぞれ「健全な」「便利な」という
形容動詞の語幹に「さ」がついたもの。「積極な」という形容動詞
はないから「積極さ」とはいえない。「公共性」「指導性」などが
「公共さ」「指導さ」といえないのと同じである。


[171] 題名:すごく 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2003年07月27日 (日) 08時19分

○あの遊園地は、すごく楽しい。
×あの遊園地は、すごい楽しい。
「すごく」は形容詞「すごい」の連用形。この「すごく」を副詞的に
用いると、「すごく暑い」「すごくおもしろい」のように、程度の
はなはだしい意となる。終止形の「すごい」を使った「すごい楽しい」は、
話言葉ではよく使われるが、いわないほうがよい。


[170] 題名:遮二無二 名前:グッキー MAIL URL 投稿日:2003年07月11日 (金) 07時05分

○目標に向かって遮二無二突き進む。
×目標に向かって遮二無二に突き進む。
「遮二無二」は、ほかのことは何も考えず、あることだけを
ひたすらにするさまをいう。むやみに、がむしゃらにという
意の副詞。さらに助詞「に」をつけて「遮二無二に」とする
のは誤り。また、「遮二無二」を名詞と勘違いした「遮二無二
な突進をする」という言い方も正しくない。




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