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てんさいしまーす |
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ひろぞう
(9668)投稿日:2018年08月20日 (月) 14時34分
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当時の状況、くどくど書いてるのはライヲンさん達には当たり前でも、今となっては日本PC史が全然わかんない人用の説明ですね、だから無駄にくどくはなっているんですが、飛ばしながらでもどうぞ/笑
正直な話そんなに世の中に出回っていないと思う。 9801の規格としてがっちり固まったのはCPUが日本電気のV30,メモリー640K、640/480の16色の画面、JAS第二水準の独自漢字ROMを標準化したVM21以降なんで。 98のFぐらいまでは規格としてふらふらするしVMでも2では、標準搭載されてるメモリーがMS-DOSでの限界値640Kだから駄目だって、後々VM21以降対応ってはじかれちゃって使い物にならないから。 正確には後に「国民機」と言われる9801はこれではない。 これは後々にはVX、CPUを80286にしたものにだんだん標準が取って代わられるんだが このVM21で固まった規格自体は後々まで引っ張られる、逆に言えば98が「国民機」たり得るのは、VM21以降の98で それ以前はビジネスユースでは富士通のFMRシリーズとかが結構善戦してた。 FMRとリーズは結構後年までオフィスの片隅で「古強者」として、老骨にむち打って善戦することになる。 ただそれまで8801SR以降を使っていたユーザーが、ホビーユースでZ80の8ビットの88では当時のソフトハウスが、能力が足りなくて9801VM21以降にソフト開発をスイッチしたから、みんなでこっちに乗り換えたのね。 その能力的にあまり得意とは言えなかったホビーユースも取り込んだから、9801一人勝ち国内シェア9割なんて「国民機」になっちまうわけだな。 その時点でホビーユースをあの時点で超能力的にお得意としていたシャープのX68000がぶんどりに成功していれば ビジネスの9801、ホビーの68000でいけた可能性もある。 ただそれは子細が超甘いシャープがやることだから、機体の素養がよくても戦略がてんで駄目だからそんなことは適わなかった。 シャープに比べると日本電気のソフト開発会社に対するサポートの手厚さが、天と地ほどの差があったから。 それでは騎手を討ち取ろうと思えばまず馬からで、必然的に対応ソフトが集まるから、余計雪球ごろごろ理論で、98に寡占化が進んでいった。 ソフト、拡張ハード開発会社に支持を取り付けられないから、68000のユーリティーソフトとか、拡張ハードの多くが「有志製作」のもので、ビジネスとして儲かるから、開発会社が作った物ではない。 その「全部自分達でやってんだよ」って過剰なユーザーの自負が、後々原理主義化して、他ハードユーザーを目の敵にして過剰に攻撃対象にする、68Kユーザー先鋭化の素地になる。 だから当人達以外の人間にとっては本当にやっかいでめんどくさい、人として困った人間って印象しか残っていない。 話を98に戻すとこれは一応、後継機の9821シリーズまでつながるんだが、ただもうその時にはWIN95の黒船までの期間がなかったので、その後は「ハードなんかどの会社の物でもWIN動けば関係ないんだよって」時代になるから、95の時代になって一回日本電気はさんで、そこからショップブランドにして、知識習得して、あとは勝手に部品単位で勝手に俺も組み立てている。 だから俺の機体はどこのメーカーの物でもない、買ってく組み立てた物になる。 98無印って俺も実は一回しか見たことないレア機体で、高校卒業して職員室に遊びに行ったら、これがあって 「あ゛っこれがあの98無印か」って驚いて。 今時なんでこんな骨董品持ち出したんだいって聞いたら、予算がなくて回ってきたはいいんだが繋げるディスプレーがないんだよとか言ってるから。 裏の端子見て、そういえばうちの物置にうっかり買っちまった、もう使い道が全くない88FHの時に使っていたデジタルディスプレー転がっていたよなあー、もううん年も通電してないから、動作保証はしないけど、それでもいいんなら寄付するよで、それ持っていったんだよな。 その時初めてこんなレガシー機体見た、だって1990年頃のことだったから/笑 https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/retrohard/1137786.html
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□/ライヲン
(9671)投稿日 : 2018年08月21日 (火) 00時04分
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どんな高性能機が出ようとPC98の牙城は崩れませんでしたね。 エロゲーのクオリティは16色FM音源の98がピカイチだったし(笑 ワタシは68、タウンズ、PC486と3機種持ってましたが結局486をメインに使ってましたわ。 仕事ではじめて触ったパソは、FM-Rでした。 その後白黒マックをムリヤリいじらされたものの、PCエンジンのグラフィック仕事は98RXを使ってました。 スーファミ開発はずっと98DXで、プレイステーションからIBM-PC互換機となり今に至りますね。
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□/ひろぞう
(9676)投稿日 : 2018年08月21日 (火) 00時37分
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タウンズの大航海時代みたいな 「七つの海は大騒ぎ」みたいのも好きだったんですが それはあくまで98をメインマシンとして持っているから出来る道楽ですね。 一太郎使う分には私の商売ではって、間だに新松派とか出てきてましたけど。 当時はやっぱり98メインにしないとどうにもなんないって時代だったと思います。
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□/ECM
(9677)投稿日 : 2018年08月21日 (火) 08時03分
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富士通社員なのに98買った裏切者がいましたなぁ。 沖電気(正確には下請けだが)の人も上司に頼んで98買ってもらったと言っていました。(ifシリーズは使えないとぼやいていました) 私は98やエプソンの98互換機は買ったことがないです。 会社がケチでハード買ってくれないので、私物の古いTOWNSを持って行くはめになったこともあります。 まあいろいろと富士通からソフトをごにょごにょできたのが、よかったのですが。 TOWNSエミュレーターは、CD-ROMの読み込み速度がオリジナルは等速だったのが、高速読み込みができるので便利です。
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□/ひろぞう
(9678)投稿日 : 2018年08月21日 (火) 08時18分
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たしか沖電気って旧逓信省系の三分裂した三つのうちの一つ 日本電気-富士通-沖電気の一つですね それに比べると家電屋の片手間、それも業界シェアが下位のシャープがやるにはリスク高すぎ案件だったと思いますね。 イメージ向上の為に始めたらしいですけど、基本専業の日本電気-富士通敵に回してやるのは得策ではない。 これも「目の付け所がシャープではない」シャープ特有の読み間違いだと思いますね。 95以降になると全部部品から共用化になるから家電メーカーの一部門でも出来るようになったんでしょうけど。 出発点から家電屋の片手間でやるべきではなかったと思いますね。 |
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□/ライヲン
(9684)投稿日 : 2018年08月22日 (水) 00時41分
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タウンズや68への98移植ゲームはグラフィック書き起こしが多かったんですが、そのうち16色ベタ移植が増えたような。 68のくにおくんシリーズなんかファミコンのベタ移植で我が目を疑いましたわ。 TOWNSエミュレーターなんてあるんですな。 ハード、ソフト一式人にあげてしまったので手元にソフトがないのれす。 もらった人はたいそう喜んでましたが。 68はファミコン移植に甘んじてた家庭ゲーマーのココロを当初は捕らえましたが、それだけでは全然ダメでしたね。 ナムコもすぐ手を引いてしまったし。
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