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容姿端麗 |
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まっきぃ
(325)投稿日:2005年01月27日 (木) 21時56分
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この言葉、女性に対してだけです。 では、男性に対しては?・・・
”眉目秀麗” です。
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□眉目秀麗/FINE
(326)投稿日 : 2005年01月29日 (土) 21時08分
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「容姿端麗」は女性に対してしようされるのかもしれなせんが、
「眉目秀麗」は女性に対しても使われている文章を見かけます。 その文章が間違っているのでしょうか。 国語的に間違っていたとしても、その表現が適切と思われる場合には、よろしいのではないでしょうか。
試験では × になるかなぁ。 |
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□基本は/まっきぃ
(327)投稿日 : 2005年01月30日 (日) 18時24分
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”はっきりとした美しい顔立ちで凛々しい感じの男性”の事ですが、 言葉は”生き物”ですから、変化も進化もしていきます。 それはそれで、良いでしょう。
「今の若い者の言葉は・・・」 なんて、大昔から言われていた事ですからね〜(^^; |
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□言葉の性的差別?/FINE
(328)投稿日 : 2005年01月30日 (日) 19時26分
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「容姿端麗」な男性が居れば(実際ちょっと想像し難いですが)それはそれで使用することに制限を設ける必要はないか、 と考えます。
”はっきりとした美しい顔立ちで凛々しい感じの女性”が居ればそれは、それでよいのではないでしょうか。
女性を褒める言葉、男性を褒める言葉と定義してしまうと、 主題のような本来意図していない不毛な議論と、日本語の柔軟性(変化を受け入れられる意味で)を自ら断ち切っていくような感じもします。
美しい、麗しい、そのことの形容詞は本来それ以上には「余計なお世話」、のような気もします。 日本語学者の先生方には怒られちゃうかもしれませんが、今の若い人たちの言葉で日本語が変わっていったとしても それは「生きた言葉の進化」と、考えてはまずいでしょうか。 |
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□私自身めちゃくちゃですが・・・(^^;/まっきぃ
(336)投稿日 : 2005年02月02日 (水) 17時49分
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我が母国語の表現の豊かさは、他に類をみないと思っています。 その語源を知ることは、とても大切な事だとも思っています。
ただし、もちろん言葉は進化も変化もして当然です。
たとえば 新しい(あたらしい)は、”あらたしい”が本来の言葉。 江戸時代、若者が粋だと ”た”と”ら” を入れ替えて使っていたものが現在通用していますよね。 それはそれで素敵なことです。
だけども、言葉を発するときには その言葉の受け手が存在しますよね。 受け手を意識しない自己完結的言葉は、淘汰されてしかるべきだと・・・ |
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□私は使い分けた方がよいと思います/キャンディ!
(354)投稿日 : 2005年02月17日 (木) 23時27分
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容姿端麗、眉目秀麗はやはり男女の美しさというものの観点は 異性から見るのと同性から見るのとは違います。 ただもっとカンタンにいえば、男性用、女性用の言葉が あったっていいのです。 オバタリアンの人に「おっちゃん」と言いますか? 小学生の男子に「おじょうちゃん」と言いますか? そうかんがえると その言葉こそが男性的、女性的というものを 実際私たちが感じやすくしてくれているとも思います。 あ、ココでニューハーフはとかしょうもない突っ込みは無用ですよ 結構真面目に考えて出した〆(^∇゜*)ですから |